21.僕、結構強いんだ
「旦那様、奥様、お嬢様。少し異変がありましたので、ディルクが確認に行っております。安全だと確認できるまで、念の為身を伏せていてくださいますか?」
御者が後ろを振り向き馬車の小窓を開けて、不安を与えないよう穏やかに声をかけた。
「ディルクが? 大丈夫でしょうか?」
ディルクが確認に行っているという御者の言葉に、リーナは不安を覚える。ディルクは武官なのでそれほど弱くはないだろうが、青碧の闘神の伝説は作られたものだと聞いていたので、強くもないだろうと思っていた。
「詳しいことはわかりませんが、とりあえず身を伏せていてください。ゆっくり走らせますが、一気に加速する場合もあると思いますので、そのお心づもりで」
御者はそう言うと小窓を閉めた。御者の言葉に従い、前ウェイランド伯爵夫妻とリーナは頭を抱えて座席に下にうずくまった。
エドガーは後ろを警戒していた。ディルクの聞いた蹄の音が本当ならば、囮の可能性もあり、後ろから襲撃される可能性があるからだ。
幸か不幸か、かなり広い道は谷になっていて両脇はゆるやかな崖なので、横に逃げることはできないが横から襲われる心配もない。
馬車はゆっくりと緩い坂道を登っていく。ディルクの乗った馬はかなり前に見えなくなっていた。
エドガーの耳に剣戟の音が聞こえてきた。車輪近くに腰掛けている御者にはまだ届いていない。
焦るエドガーだが、馬車を離れる訳にはいかない。あの柔和な青年が複数の襲撃者を相手にできるのか心配だったが、今は信じる他ないと馬車の後ろを守りながら進んでいく。
急に剣戟の音が消えた。
エドガーは片手で手綱を握り、ディルクが何人かは倒していることを祈りながらもう一方の手で剣を抜き放った。
ディルクの死を無駄にしないと、エドガーは気合を入れる。前伯爵一家を守り切ることがディルクへの手向けだと誓う。
しかし、角を曲がったエドガーの目に飛び込んできたのは、一人佇んでいるディルクだった。道端には五人の男たちが倒れている。
信じられないものを見たように、目を見開くエドガー。御者も驚いている。
「殺してはいない。リーナ様の行く手をこのような男たちの血で汚したくはないから。しばらく起きないだろうけど」
柔らかい表情で何事もなかったようにディルクは言った。
「五人の男を相手して、殺さずに全て倒したのか?」
エドガーは大きく息を呑みこんだ。倒れている男たちは筋肉質の体をしており、それなりに剣を使い慣れているようだ。それを、短時間で全滅させた。殺そうと思えば容易かったはずだ。
「僕、結構強いんだ」
全く強そうには見えないが、人は見かけによらないとエドガーは驚いた。
「ディルク! 無事なの?」
馬車の外からディルクの声が聞こえてきたので、無事を祈り続けていたリーナが窓から顔を出した。
「僕は大丈夫だよ。心配かけてごめん」
リーナが心配してくれたことが嬉しく、ディルクは微笑みながら頷いていた。
「リーナ、伏せて。後ろから馬が近づいて来ている。今度は十騎を超えている」
緩んだ顔でリーナを見つめていたディルクが、再び険しい顔になり叫んだ。
「ディルク、迎え撃つぞ」
エドガーにも馬が駆ける音が届いた。
ディルクは馬に飛び乗り、馬車を守るようにエルガーの横に並んだ。
「安心しろ。あれはシュニッツラー侯爵領の警備兵だ。盗賊が出没するとの噂を聞きつけてやって来たんだろう」
騎馬の集団が見えてきた時、エドガーが叫んだ。
「無事ですか!」
騎馬集団の先頭を走っていた隊長らしき男も叫んでいる。
「おお、俺たちは皆無事だ。盗賊は全てやっつけた。殺していないから捕まえてくれ」
エドガーが近寄ってきた警備兵の隊長に経緯を説明してた。
馬車からエックハルトが降りてくる。
「前ウェイランド伯爵ご夫妻とお嬢様でしたか。我々の警備が行き届かずご迷惑をおかいたしました」
隊長は深々と頭を下げた。それをエックハルトは手で制する。
「こちらこそ、助けに来ていただいて感謝する」
それを聞いて隊長が微笑んだ。
「それでは、こいつらのことは任せてください。旅のご無事を祈っております」
エックハルトたちは警備兵に見送られて、再び谷の道を進みだした。
その後ろを隊長は苦々しく顔を歪ませて見送っていた。
警備兵の一人が気絶している盗賊の頭目を起こして、頬を何度も殴りつけて覚醒させた。
「護衛が二人しかいないのなら、襲撃は楽勝だったのではないのか?」
隊長が冷たく言い放す。
「あんな化物がいるなんて聞いていない」
襲撃の時のことを思い出したのか、恐怖に顔を青ざめた頭目はガタガタと歯を打ち鳴らしていた。
「殺れ」
隊長は感情一つ動かすこともなく、部下にそう命じた。
「シュニッツラー侯爵閣下、作戦は失敗しました。あやつらは既にウェイランド伯爵領に入ったと思われます」
馬を早駆けをして、シュニッツラー侯爵邸に戻った警備兵の隊長は、ルドルフに作戦失敗を報告していた。
前シュニッツラー侯爵の娘であるルドルフの妻は気位が高く、子爵令息だったルドルフのことを下に見ていた。現在十歳になる息子を産むと、彼女はルドルフとの同衾を拒否。領地で気ままで贅沢な暮らしを満喫していた。
いつもは財務局の局長として王都で暮らしているルドルフだが、元上司のエックハルトがシュニッツラー侯爵領へやって来るというので、領地へ戻ってきていたのだ。そこで、エックハルトの養女となったリーナを見てしまった。
『欲しい』
細やかな気遣いができ、話題は豊富で立ち振舞も上品だった。何より美しいとルドルフは思った。
策士の彼が考えた作戦は、盗賊に一行を襲わせ、護衛と前伯爵夫妻を殺害。そこを警備兵がやってきてリーナだけを助け出す。再び身寄りのなくなったリーナに恩を売り、王都で愛人にしようとしたのだ。
ルドルフは口うるさく頑固なエックハルトが嫌いだった。シュニッツラー侯爵となり彼を部下にして溜飲を下げようと思っていたが、ルドルフが局長になる時にはエックハルトは引退していた。
『あの娘を遺してくれるのなら、手厚く弔ってやろうと思っていたのに』
ルドルフはリーナを諦めてはいなかった。
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二千十八年四月二十七日 鈴元 香奈 著