19.前ウェイランド伯爵夫妻
「それでも、ディルクは愚かではありませんから。国のために全てを背負って戦った貴方は、とても素敵だと思います」
頬を染めながら俯いて恥ずかしそうにそう言うリーナ。国のために命をかけた大国の将軍と、飢え苦しんでいる民を無視して女に溺れた小国の第二王子。比べるのも失礼だと彼女は思う。
ディルクはリーナに褒められて恥ずかしそうに頭をかいているが、顔は最大限に緩んでいた。
『馬鹿であることは否定しないのだな』
三男のヴァルターは内心思っていたが、嬉しそうなディルクを見て声に出すのを止めた。
「そうなんだよ。ディルク兄様はとっても素敵なんだ。良くわかっているじゃないか」
リーナがディルクを褒めたことが嬉しいマリオンは天使の笑顔を見せた。
「まあな、兄上が救国の英雄であることは誰にも否定できない」
次男のツェーザルにとって、戦場でのディルクは本当に偉大な兄であった。しかし、リーナを前にしたディルクはかなり情けない男である。
「何だか知らないけれど、うまくいって良かったわね。私の襲撃のお陰かしら?」
母も嬉しそうにしている。
『そんな訳あるか!』
弟たちは母に内心でつっこんだが、ディルクはリーナと見つめ合っていたので母の言葉を聞いていなかった。
翌日、リーナは侍女たちにマッサージを受けていた。
昨日の辛そうな雰囲気は払拭されて、嬉しそうにリーナの頬が緩んでいる。
そんなリーナを見て、侍女たちも嬉しくなって口が軽くなった。
「リーナ様はディルク様と結婚されるのですよね。穏やかで優しい方だからいい旦那様になりますよ」
「顔はヴァルター様やマリオン様の方が良いけれど、癖のないあっさりした感じは飽きがこないと思います」
「珍しい青碧の目は素敵ですよね。笑顔も可愛いと思うわ。ツェーザル様に比べると威厳は全くないけれど」
侍女たちにも結婚を祝福されてとてもうれしいリーナだった。
「大奥様。前ウェイランド伯爵ご夫妻がお見えになりました」
母が選んだドレスをまとったリーナと母がお茶を楽しんでいると、執事が来客を告げに母の部屋を訪れた。
「まぁ、叔父様が。可愛い娘のことが待ち切れなかったのかしら」
母がリーナを伴って部屋を出ると、ドアの前にはディルクが立っていた。リーナを見かけると嬉しそうに目尻を下げる。
「ディルク、こんな所で何をしているのです。お前は将軍なのですから、もう少し顔を引き締めなさい。嫌われるわよ」
「母上、なぜ二人だけでお茶をしているのですか? 僕もリーナと話がしたいです」
食事以外は母と侍女がリーナを連れて行ってしまい、せっかく気持ちが通じ合ったのに、ディルクはゆっくりと彼女と話す時間もない。
「でも、ディルクとリーナはまだ婚約もしていないのよ。そんな男女を二人きりにさせる訳にはいかないわ」
「リーナは僕の花嫁です」
「義理とはいえリーナの父になる叔父様が許したらね。義理の息子になるかもしれないから、ディルクも来なさい」
執事を先頭に、四人は玄関へと急いだ。
「まぁ、可愛い。私たちの娘はなんて可愛いのかしら」
前ウェイランド伯爵婦人のベルタがリーナを見て感嘆の声を上げた。駆け寄ってリーナを抱きしめたベルタは、その細さに驚く。
「可哀想に。こんなに痩せて。辛い目に遭ったわね」
「私の娘でもあるのだぞ。独り占めは良くない」
前ウェイランド伯爵のエックハルトは好々爺然とした顔を更に崩している。
「リーナと申します。よろしくお願いいたします」
リーナが頭を下げると、前ウェイランド伯爵夫妻は嬉しそうに頷いた。
「大叔父上、大叔母上。リーナをよろしくお願いします」
ディルクも頭を下げると、エックハルトの顔が険しくなる。
「嫁にやりたくないな。少なくとも後三年ぐらいは手元に置きたい」
「本当ですね、あなた。こんな可愛い娘を嫁に出すなんて、断腸の思いだわ」
ベルタも同意した。
「えっ?」
ディルクが絶句していると、前ウェイランド伯爵夫妻が微笑んだ。母も声を出して笑っている。
「冗談を言わないでください。心臓が止まるかと思いました」
冗談らしいと気付き安心するディルクだったが、
「お前が娘の夫に値しない男ならば、結婚を許さないからな」
そう言うエックハルトの目は笑っていなかった。
ハルフォーフ侯爵邸に一泊した前ウェイランド伯爵夫妻は、リーナを伴い領地へ向かうことになった。
「まだ婚約者ではないからな。あくまでも護衛としてついてくるのは許すが、それ以上の接触は許さない。破れば婚約の話は白紙だ」
領地から護衛を一人連れてきたが、若い女性を乗せての旅では不安である。ディルクが同行するのならば少し安心だとエックハルトは思っていた。この国最強と名高いディルクであるが、元文官であったエックハルトは作られた伝説であることを知っている。しかし、武官ではあるのでいないよりはましぐらいの感じであった。
ウェイランド領から前夫妻を護衛してきたのは、エドガーという名の三十代半ばの男である。手入れの行き届いた剣も着なれた革鎧も彼が手練であると物語っていた。
「お前が新しく加わった護衛か? 手を見せてみろ」
ディルクが馬を引いて馬車の近くへ行くと、待ち構えていたエドガーが声をかけた。ディルクが手を差し出すと、エドガーは確認するように軽く触れ、ディルクの 固くて剣だこだらけの手に満足したように頷いた。
「俺はエドガーだ。俺は奥様を優先して守る。その次は旦那様だ。お嬢様はお前に任せていいな」
「僕はディルク、よろしく。リーナの護衛は僕に任せて。絶対に守ってみせるから」
エドガーは自信有りげに微笑むディルクの柔和な顔に少し不安を覚えたが、全てを一人で守れない以上、リーナはディルクに任せなければならない。
「ところで、お嬢様を呼び捨てにしたりするな。わかったな」
エドガーはもちろんこの国を救った偉大な将軍の事を知っている。しかし、顔は知らなかった。エックハルトに領地までの護衛だと紹介されたので、ディルクをハルフォーフ家の使用人だと思っていた。主人の義理の娘となるリーナに使用人が気安く接するのは、ウェイランド伯爵家が馬鹿にされたようで見過ごすことはできなかった。
ディルクは護衛に徹しなければ婚約できないかもしれないと恐れて、エドガーに従うことにした。
「わかった。リーナ様は僕が命に代えても守るよ」
ディルクの言葉を聞いて、エドガーは満足そうに頷いた。
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二千十八年四月二十五日 鈴元 香奈 著