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17.母は怒る

 お茶を入れた侍女が退出して、部屋には母とリーナだけが残された。

「見せたいものというのは、これなの」

 母が差し出したのはリーゼと第二王子のことが書かれた文書だった。

「機密文書のようですが、私が見てもよろしいのですか?」

 厳重に封をしていたらしい後をみつけて、リーナは思わず母に訊いた。他国の人間であるリーナが見ても良いのかと心配になる。


「大丈夫。リーナに関わるところだけだから」

 そう言われてリーナは文書に目を通す。

 渡された文書には、婚約者だった第二王子に裏切られたことを苦に、リーゼが食事を拒否して餓死したこと。リーゼの罪とされていたことは、第二王子を誘惑していたリリアンヌの策略だったこと。そして、第二王子が臣籍降下して侯爵となりリーゼと書類だけの結婚をしたことが書かれていた。

「嘘でしょ?」

 あれほど蔑みの目で見てきた王子が、書類だけとはいえ自分と結婚したことにリーナは非常に驚いた。


「やはり、リーナは知らなかったのね。ディルクはその文書を見せても驚かなかった。最初から貴女の名誉が回復していたことと、王子と結婚したことを知っていたのよ。でも、全く悪びれた様子がなかったから、貴女に全て伝えていると思ったのに……」

 母はリーナが辛そうに泣いていると侍女から聞いた時、彼女は何も知らされていないのではないかと心配して訊いてみたが、本当にディルクは黙っていたのかと絶句していた。



「あの馬鹿息子が! お仕置きだ」

 剣を片手に憤怒の表情で部屋を出ていく母親。

 リーナは優しそうだった母親が急に怒り出したので驚いて動けずにいたが、しばらくして我を取り戻すと母親の後を追った。


 

 食事室ではディルクと次男ツェーザルが未だに睨み合っていた。三男ヴァルターは呆れたように、四男マリオンは心配しながら二人を眺めている。



「ディルク!」

 突然母親が扉を蹴り開け、猛烈な勢いでディルクに駆け寄り、軽く飛び上がりながら剣を振り下ろした。ディルクは素早く剣を抜き母の剣を止める。母親は体重の軽さを速度で補う剣の使い手だ。力は圧倒的に上回るディルクに初手を止められると勝ち目はない。だが、母は負けるわけにはいかなかった。

「母上、何をするのです!」

「お黙りなさい! 私はお前をそんな卑怯な男に育てた覚えはありません」


 慎重に間合いを取った母は、今度はディルクの腹をめがけて剣を横に薙いだ。軽々と止めるディルク。

 それから打ち合いが続く。ディルクは母の意図がわからず、戸惑いながら相手をしていた。

 弟たちも手を出すことができずに、机と椅子を部屋の隅に片付けていた。


「何か誤解していませんか? 僕は卑怯なことなどしていません」

「ぬけぬけとそのようなこと。リーナにリーゼのことを黙っていたではありませんか!」

 二人の会話は剣戟に合間に行われている。



「待ってください。悪いのは私なんです」

 リーナがようやく食事室にたどり着いた時には、ディルクと母が激しく闘っていた。原因はリーナのようなのでとにかく止めなければと走り寄る。

 驚いたディルクは片手に持った剣で母を止めながら、リーナを片腕で抱きとめた。

「リーナ、こんなところへ駆けてきては危ないよ」

 リーナには筋肉などないように見え、剣がかすめるだけで骨まで届きそうだと、ディルクの顔は蒼白になり大きく息を繰り返していた。

 母親も驚き剣を引いた。


「お母様、ディルクを騙していたのは私なのです。殺すなら私にしてください」

 リーナはディルクの腕から抜け出し、両手を広げて彼を庇う。彼女の膝も声も震えているが、気丈に母親を見据えていた。

「リーナ?」

 母はリーナの言動に戸惑いながら剣を鞘に収めた。それを見たディルクも倣う。


「ディルクからリーゼではないかと問われたことがあったのですが、私は違うと言い張りました。私なんかを連れ帰れば迷惑をかけるとわかっていたのに、牢に戻るのが怖くて嘘をついていました。本当に申し訳ありません」

 深々と頭を下げるリーゼの目からは涙が溢れてきた。

 呆然と立ち尽くすディルクは、リーナの言葉を理解しようとしていた。


「私は皆さんにこんなに優しくしていただけるような女ではありません。私は優しいディルクを騙していたのです」

 嘘をついてもディルクの側にいたかったとリーナは言えずにいた。想う人を亡くしたばかりのディルクの負担になりたくないと思ったのだ。

「リーナはサンティニ公爵家のリーゼ?」

 リーナにそう訊くディルクの声は掠れている。

「ごめんなさい」

 リーナは小さく頷いた。


 ディルクは青碧の目を大きく見開き、そして、やせ細ったリーナを壊さないように優しくそっと抱きしめた。

「ごめん、もっと早く助けに行くべきだった。僕はずっと後悔していた。生きていてくれて本当に良かった」

 ディルクの声は掠れていた。リーナの耳は大柄のディルクの胸に当たっている。思った以上に硬い胸からは速い鼓動が伝わってきた。

「ディルク、怒っていないの? 私は騙していたのよ」

 リーナがディルクを見上げると、彼は優しく微笑んだ。それは、ディルクから想い人が亡くなったと聞いてからリーナが初めてみた笑顔だった。

「リーナにならば、騙されてもいいよ」

「私は生きていて本当に良かった」

 リーナも嬉しそうに微笑んだ。 

 

***

 二千十八年四月二十三日 鈴元 香奈 著

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