11.リーゼは誤魔化す
「あの、ハルフォーフ将軍閣下」
あまりにもディルクの容姿とハルフォーフ将軍の伝説がかけ離れているため、最初は冗談かもしれないと思っていたリーゼだったが、どうも本物らしい。そうなると今までのように気安く名前を呼び捨てにしてはいけないような気がして、リーゼはそう呼びかけた。
「リーナ、今まで通りディルクと呼んでくれ。それ、ちょっと恥ずかしいから」
牢に囚われた公爵令嬢を奪取するつもりだったので、最初は意図的に身分を隠していたディルクだが、リーゼの救出に失敗し、リーナに仮の花嫁になって欲しいと依頼した後は正直に伝えるつもりではいた。ただ、あまりにも派手な伝説となってしまったハルフォーフ将軍の名を告げるのが恥ずかしく、聞かれるまで黙っていたのだった。
しかし、それは仮にでも妻となるリーゼに不実なことだと思い至り、ディルクは自分のことを語ることにした。
「僕は勝利のために手段を選ばなかったという汚名を全て被って戦場で死のうと思っていた。最後まで正々堂々と戦った父を汚したくなかったから。でも、一度始めたことは最後までやりきれ、ハルフォーフ家の人間として逃げることは許さないと母に怒られたんだ。だから、未だに将軍をやっている。戦場で生き残ることができたのも母に死ぬほど鍛えられたからだ」
父と母に幼少より鍛え上げられたディルクは、最強の名に恥じない剣の技量を持っているのは事実である。しかし、戦争は個人の力だけで勝利できるものではないので、彼の伝説は真ではない。大国ブランデスらしからぬ卑怯な作戦を隠蔽するために、青碧の闘神伝説は意図的に流された。
周辺諸国はブランデスの勝利を切に願っていたので、その伝説を素直に受け入れることにした。
各国の町々で吟遊詩人が語る最強の武神の英雄譚は、人々に疑いもなく信じられた。それは、皆が望んでいたことだから。
「ディルクが生きていてくれたことをとても嬉く思います。私が今こうしているのもディルクのおかげだから。お母様に心から感謝したいです」
もしかすると戦場でディルクが死んでいたのかもと思うだけで、リーゼの胸が張り裂けそうに痛む。そして、暖かさが伝わるぐらいディルクが近くにいることに、リーゼは安堵していた。
「すぐ下の弟の方が将軍に向いているかもしれないけど。父に似て強面だし。剣の腕なら僕のほうが上だけどね」
生きていていてくれて嬉しいとリーゼに言われて、ディルクも嬉しいと思ってしまった。
「国とお父様のために命をかけて戦ったディルクが一番将軍に相応しいと私は思うわ」
それはリーゼの心からの言葉。青碧の甲冑をまとったハルフォーフ将軍は威厳に満ちて、他の兵士から尊敬と畏怖を捧げられていた。
そして、少年を救った心優しいハルフォーフ将軍がディルクと重なる。
当時を思い出したリーゼが柔らかく微笑んだ。
ディルクにはやはりその笑顔に見覚えがあった。リーゼを想う余りの気の迷いだと思っていたが、それにしては似すぎているので確かめてみることにした。
「リーナは、もしかしてサンティニ公爵家のリーゼ様ではないのか。あまりにも似ている」
リーゼは思わず首を横に振った。
「違います。私はリーナです。父を亡くしたばかりの元侍女ですよ。他人の空似ではないですか?」
そう言われてディルクはじっとリーゼを見つめていた。
リーゼは冷や汗が出る思いをしたが、努めて冷静を装った。今まで何も言わなかったので、まさかディルクがリーゼのことを覚えているとは思わなかったのだ。
リーゼがブランデスを訪問した時は十六歳だった。王子の婚約者として舐められないようにとかなりきつい印象になる化粧をしていた。雰囲気は素顔の今と随分違うはずだ。
常に第二王子の側にいたリーゼはハルフォーフ将軍とはあまり近付いていない。一番近くに寄ったのは彼が少年を馬から助け出した時だった。
これなら誤魔化せるとリーゼは思った。不安そうなディルクの声も確証があるわけではないと思わせる。
牢番のためにも正体を知られる訳にはいかない。そして、リーナが牢を逃げ出した元公爵令嬢の罪人リーゼと同一人物と知って後、ディルクがどう行動するかリーゼは不安だった。
優しいディルクのことだから、牢に囚われることになると知って国に戻すようなことはしないと思うが、国際問題になるとわかっていてこのまま仮の妻としてブランデスに連れて行ってくれるとも思わなかった。
優しいディルクを騙すことは心苦しく思うリーゼだったが、恋する気持ちを知ってしまった今、あの狭い牢獄で一生を終える覚悟が出来なかった。例え彼を騙したとしても側にいたいと思ってしまうリーゼだった。
「ごめん、変なことを聞いてしまって」
リーナがリーゼであるというような奇跡を信じたかった弱い自分をディルクは情けなく思う。そして、リーゼより長時間一緒に過ごしたリーナに心惹かれていることを自覚してしまった。
しかし、リーゼの救出に失敗したのも拘らず、たまたま出会った女性に心惹かてしまうようなことは許されない。リーゼを救えなかった罪を心に刻んで、この先一人きりで生きなければならないとディルクは自らを戒める。
ディルクは遅い初恋より一年後、二度目の恋をした。しかし、その恋もまた諦めなければならないと思っていた。
リーゼは他の人を想っているディルクに愛されることはなくても、側にいたいと願っていた。
複雑な胸中の二人を乗せた馬は、ブランデスに向かってゆっくりと進んでいた。