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☆ 帰り道

 北中からそれほど離れていない場所に1本の長い田舎道がある。3人が並んで歩くのがやっとといった具合の幅の狭い砂利道だ。この道は北中生がよく利用する通路の1つだが、現在は辺りに私たちの他の生徒の姿は見られない。授業が終わってそのまま真っすぐ家路につくにしては遅く、部活に行ってから帰るにしては早すぎる中途半端な時間のせいだろう。


 東西に引かれた道の両脇には桜の樹がずらっと並んでいる。ぬかるんだ砂利道の上には、もとは綺麗な薄ピンク色をしていたのであろう桜の花弁が死屍累々と見るも無残な姿をさらしていた。


 私たちが学校を出たころ、雨は既に上がっていた。依然として雲が空を覆ってはいるが、その隙間からはオレンジ色の光が漏れ、雨露でコーティングされた通学路をきらやかに染め上げている。散りはじめの彩いピンクの桜の木々を鮮やかな太陽の色に塗り替え、木洩れ日は彩の髪や制服やローファーの上に優しく光を落としていた。


 私たちは東から西へと歩く。


 私が自転車を押すカタカタという音と、私と私の隣を歩く彼女のローファーが砂利を踏みしめるザクザクという音が単調にリズムを刻んでいる。私たちの後ろに伸びた影は、色を濃くしたり薄くしたりしながらも無音のままに付いてきた。


 雨と桜の匂いが混じりあった空気を肺に目一杯吸い込んでから、私はずっと気になっていたことを彩に尋ねた。


「彩は最初から大津がやったって気が付いていたの?」


 私の帰りの会での告発をあの場面で止めたという事は、彩は私がその先に言うつもりだった言葉をすでに知っていたのだろうと思えた。彩は最初からそれを知りながら、あえて告発しないことで大津を守っていたのではないだろうか。


「ううん。私は本当に何も知らなかった」


 彩は水たまりを避けるために大回りしながら答えた。


「あの時シャロを止めたのはね、あの窃盗の件を『誰に責められるようなものじゃない』ってシャロが言ったからだよ」


 彼女とは反対回りで水たまりを避けた私は聞き返す。


「どういうこと?」


 その後しばらく彩は黙ったままだった。


 私はまた何かバカなことを言ってしまったのだろうか。水たまりに注意するため視線を落として歩きながら、私は今の会話の流れを振り返った。


 しかしどれだけ考えても、今しがたの会話の中に噛み合っていない点があるとは思えなかった。


 私の告発を止めた理由についても、彩の答えた内容だけでは説明が足りていないと思う。説明が足りないのは、なんだかいつもの彩らしくないなと思った。


 私と彩が、同じリズムで砂利を踏みしめる音が静寂を埋める。水分をたっぷりと含んだ地表は、革底のローファーに押されるたびにじゃりじゃりと硬い音を立てた。


 不意に、彩が口を開いた。


「そんなことはもういいの」


 とても真剣な声だった。彼女の顔は黒い髪で隠れてよく見えなかった。


 そんなことはもういいの。私は頭の中で復唱した。そんなこと、とは何のことだろう。しかしいくら考えてもそれが何を指しているのか見当がつかなかった。私の頭はすり減った靴底みたいに疲れていて、いつも以上に察しが悪くなっていた。


 私は考えるのを諦め、彼女の言葉の続きを待った。


 そう、まだ続きがあるはずだ。私たちの「長くはないがそれなりに深い」付き合いによって、そのあたりことは察することができた。ただ、彼女がこれから何を言うつもりであるのかまでは、見通すことができなかった。


 背中の方から風が一陣吹き抜けていった。その風は私たちを追い越し、左右の桜並木の間をどこまでも真っすぐに進んでいった。風の通ったところから桜は花弁を落とし、水たまりは小さく波を立てた。




「私、シャロに嫌われちゃった?」




 彩が歩みを止めた。


 彼女が歩みを止めると、スイッチを切ったようにすべての風は止んでしまった。水たまりの水面も木々の枝の震えも雲の流れも太陽の光もこの世の何もかもが動きを止めた。


 私はただ黙って、首だけこちらに向けている彩の顔を見つめた。彼女は今朝、初めて教室で顔を会わせたときと同じく、花のように微笑んでいた。


「シャロが小川さんたちの上履きがどこにあるのかとか、誰が盗んだとかそんなことを考えている間、私はずっとあなたのことを考えていた。


 シャロは今日ずっと私を避けているように見えた。


 私はシャロを思って色々してみたけど、なんだか全部逆効果だったみたい。飼育小屋で私だけがうさぎの毛を制服に付けた時も、そのあとシャロだけがばれないように音楽室に2人で遅刻して入った時も、なくなった上履きを探す手伝いをしようとしたときも、私のしたことは全部、ただの迷惑だったのかな」


 彩の目から涙が一粒溢れて落ちた。やわらかい涙は空中で一瞬だけ光り、地面にぶつかると粉々に砕け散った。


「シャロにとって、私はもういらない人?」


 雨が降ればいいと思った。何もかもを放り出して土砂降りの中で声を上げて泣きたかった。


 見当違いな方向に努力した挙句、何一つ事態を好転させることができない自分の無力が悔しい。


 大切な人の優しさを無碍にしてしまっていた自分に腹が立つ。


 しかしそれよりも深く私を心を傷つけたのは、自分の心の醜さだった。


 私は嬉しかったのだ。


 それを嬉しいと感じてしまったのだ。彩がこれほどまでに自分のことを考えてくれているということが、私はどうしようもなく嬉しかった。


「私は、彩のことが好き」


 私は人に何かを説明したり、自分の気持ちを伝えることが得意ではない。


 それでも今は伝えなくちゃいけないタイミングだった。バカな私にもそれだけはわかった。今を逃したら、これと同じ機会は二度と巡って来ないだろう。


 考えをまとめることもせず、胸のうちにずっとしまい込まれていた気持ちをそのまま声に出す。


「私はいつも彩に助けてもらってばっかりだった。嬉しかったよ、助けてもらえるのは。彩がいてくれてよかったって心から思ってる。


 小6のとき初めて会った時からずっと、私は彩に助けてもらいっぱなし。それがね、最近嫌になってきたの。嫌になったって言うか、一方的に助けてもらってたから。助けてもらうことは嬉しいんだけど、対等じゃない気がして。対等じゃないと友達じゃないって言うか、まるでお姉さんとか先生とか、そういった関係になってしまうような気がしてきたんだ。


 そういうのって彩も迷惑でしょ? ずっと面倒見なくちゃいけないって。そんな迷惑な存在の私はいつまで彩の隣にいていいんだろうって考えたらとっても怖くなって。


 だから私は彩に助けてもらわなくても、ひとりでもなんとかできるよって彩に示したかったの。ひとりで何でもできるようになれば、彩とも対等になれて、これまで以上に友達になれるような気がして。


 でもそれが、全然うまくいかなくて、やっぱり彩がいないと私はダメなんだって、思ってきてさ、最後はだんだんムキになってきて、それで彩に対してもしかしたら冷たくしちゃってたかも。ううん、もしかしてじゃなくてきっとそうだった。


 ごめんね、彩。ごめんね」


 堰を切ったように、今まで言えずにいた思いが溢れ出して言葉を紡いだ。伝わりやすい言葉に置き換えることはできなかったかもしれないが、少なくとも嘘や誤魔化しは欠片も混じっていなかった。どこかの本からの借りものでもない、私自身の言葉だった。


「私、まだまだシャロのことを知らないのね」


 私の言葉を聞き終えると、彩は再び歩き出した。


「今日一日で何度もシャロには驚かされた。シャロがこんなに頼りになるだなんて知らなかった。いっぱい私のことを考えてくれてたってことも」


 少し遅れて、私は彩に置いて行かれないように一歩目を踏み出した。対して彩はそこで立ち止まると、背中を向けたまま私に言った。


「でもシャロも、私のことをまるで理解していない。


 大津くんのくしゃみの原因がわかって、上履きが何でなくなったのかがわかって、どうしてそんなことがわからないの? 私がシャロのために何かをすることを迷惑だなんて」


 彩は振り返って私を見た。その時の彼女の表情は――。


「私が迷惑なんて思うわけないじゃない! だって――」


 私は彩を抱きしめた。


 私の感情の全部を伝えるために、彩の気持ちの全部を受け取るために、私は強く彼女を抱いた。


 彼女の体は最初、私の抱擁を拒むかのようにその身を固く縮こませていた。それでも私は腕に込めた力を微塵も緩めなかった。変わらずに意識を腕の中の彼女へ傾け続けた。結局私にできる唯一のことはそれだけだけしかなかった。


 しばらくして、電柱に絡みつくツタのように、彩の細い腕が私の背中にゆっくりと回された。


 それと同時に、彼女は私に体を預けるように、小さな顔を私の首元にうずめてきた。


 彼女の頬と私の首筋の間で涙が潰された。その涙はこの世に生を受けたばかりの生き物のような熱を確かに持っていた。


 首筋にその温度を感じとった瞬間、私はそれまで内側に留め続けていた感情を抑えることができなくなった。雪解けによる雪崩のように、私の溜め込んでいた感情は涙となってとめどなく溢れ出てきた。私たちの肩は同じように細かく震え、私たちの心臓は同じように強く鼓動していた。




 どれくらいの時をそのままの状態で過ごしただろう。彼女に触れた瞬間から私の中の時間の感覚は溶けてなくなってしまった。しかしそれがどれくらいの長さだったとしても、その時間は間違いなく私の人生の中で最も価値のある時間であった。


 やがて潮が引くように私たちの体の震えは穏やかになり、そして消えて行った。震えが消えてなくなった後も、私は体の内にその名残りのようなものを感じ取ることができた。それはまるで親しい人から貰ったプレゼントのように、とても心地のよいものだった。


 小さな風が吹いた。それを合図に私たちはゆっくりと体を離す。私は一歩下がって目を開きかけたが、太陽の赤い光が目に染みたせいでうまく出来なかった。抱き合っていた間、ずっと目を瞑っていたせいだ。


 私の目が明るさに順応するまで、視線を彩の足元にまで下げる。視線の先の彼女のローファーは私の視線から逃げるように動きだし、いつもと変わらぬ軽い足取りで私の横を通過して行った。彼女はそのまま数歩進み、砂利道に寝ころんでいた私の自転車を起こしてくれた。私はその時まで、私の自転車がそこに倒れていることについて失念していた。


 砂利道は今朝からの雨のせいでぬかるんでいたので、自転車のハンドルを掴んだ彼女の手が汚れてしまったのではないかと心配になった。


 そこで不意に、今朝見たおかしな夢のことを私は思い出した。


 私の目が光に慣れた頃、彩が私の自転車を押して歩き始めた。私はもう彼女の顔を早く見たくて我慢できなかった。魔法にかけられたように、私の足が自然と動き出す。私が私でいられるこの世で唯一の場所へ。


 私は彩の横に並ぶと、自転車のハンドルを握る彼女の両手の上に、自分の両手をそっと重ねた。


「そういえば今日ね、彩が夢に出てきたんだよ」


 横から眺める彼女の頬は、私たちの進む道に並び立つ夕日に照らされた桜の花びらと同じ色をしていた。




                   了

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