父と僕の感情
こんにちは。お邪魔します。
お淑やかで上品な声で美沙が訪ねてきた。
父さん、美沙が来たよ。
いらっしゃい。よく来たね。
父さんは、家族には見せないよそ行きの笑顔で美沙をリビングに招き入れた。
今日は、妻が出かけいるんだがゆっくりしていって下さい。
はい。ありがとうございます。
僕は、そんな会話を聞きながら美沙が持ってきたケーキとコーヒーを用意してリビングのソファに腰掛けた。美沙は、いつも同じケーキを持ってくる。僕は、あまり甘いものは食べないが母が好きなケーキだ。気に入られたくて必死だな。そんな風に思うのは、僕だけだろうか。母の誕生日には、プレゼントを。母の日には、花を。結婚記念日には、レストランでの食事をプレゼント。よくもこんなにも思いつくもんだ。
美沙ちゃんと和也が付き合うようになってから、歳をとるのが楽しみになったわ。娘ができて本当に嬉しいわ。
いつもの台詞。僕は、母には美沙の別の目的が見えてないのかと不思議で仕方ない。そんな美沙も、最近は結婚情報誌などを、不自然に部屋に置いたり車の助手席に忘れてみたりと必死。美沙と結婚したくないわけじゃない。ただ、こんなもんなのかと、僕の人生はこんなもんなのかと思うだけで。そろそろ妥協するべきなんだろうが。パズルのピースが上手くはまらない。少しのズレなんて気にしても仕方ないんだろうけど。美沙の事は嫌いじゃない、好きだ。愛してる。パズルがズレているだけで。
それから、1時間程たわいもない会話を楽しんでいると父は、ここからが本題と言わんばかりの顔で話を変え出した。
それはそうと、和也は美沙さんの親御さんには挨拶に行ったのかね。
ほら、きた。話を切り出すのが遅かったぐらいだ。母がいないからかな。母がいたら、たわいもない話なんて10分ともたなかっただろう。
いえ、まだ、それは・・・
歯切れの悪い返事と寂しそうな笑顔で僕に助けを求めてくる。
父さん、今は大きなプロジェクトも控えてるし、仕事も忙しくてタイミングが合わないんだ。落ち着いたら行くつもりだよ。僕らには僕らのタイミングがあるんだ。
そう言って美沙の顔を見る。ため息と共に寂しさが増した顔を伏せた美沙の姿がある。
和也。タイミングなんて作ろうと思わなければいつまでたってもできないぞ。プライベートも仕事もPDCAが大切なんだ。きちんと計画して行動する。それから、チェックをして答えを出すんだ。
始まった。まただ。本当に意味が分かって使っているのか分からない。いつも、仕事とプライベートを結びつけて話してくる。父は、製造メーカーの製造本部長を任されている。いちよ、出世コースなんだろう。父の事を尊敬していた。父のようになりたいと思っていた。いつからだろう、そう思えなくなったのは。
学生の頃は、仕事が出来て人望があるから父はここまでこれたのだと思っていた。社会に出て、会社のルール、慣例、大人の事情・・・社会という名の賭けに振り回されてきた。もちろん、僕にも出世欲がないわけじゃない。勉強して、会社の為、仲間の為と思ってした事も慣例に踏み潰されていく。そこに噛み付く者は、容赦なく荒波から顔も出せなくなっていく。逆に、慣例を守り周りの状況に流されて荒波に身を任せた者は、顔だけでなくボートに乗れる。父は、そうして今の地位があるんだろう。それは、尊敬に値するのか。
そう思っている僕は、父が理解できなくなっていた。
その感情を感じとったのかは分からないが、父はいつの間にか、僕の目を見なくなった。