恋に落ち、堕ちた少女
「あ、あの……!」
少女は、ちっぽけな勇気を振り絞った。
「あなたは……恋というものを知っていますか?」
そして、この勇気が……この一言が――――。
「へ? 俺? うーん……よくわかんないけど……ずっと一緒にいたいとか、触れ合っていたいとか……そんな感情を『恋』っていうんじゃねぇの?」
少女と……少年の運命を大きく動かした。
恋に落ち、恋に堕ちた……そんな物語――。
~~~~~~
少女は、笑っていた。
閉まっている窓からは日差しが零れ、辺り一面、雪で真っ白な風景と化している街を眺める事が出来る。
そんな幻想的な雪景色と同化する程の白い肌を、少女は持っていた。
その肌は決して健康とは言えないが、それが普通にも感じる……まるで、何年も前からそうだったように――――。
ここは、とある街の総合病院。
その中の病室から二人の少女の声が聞こえてきた。
「――――でさ、そいつったら私が胸を押し付けているのに、なーんにも反応してくれないのよ!」
「ふふっ、水樹ちゃんったら。さっきからその子の話ばっかりだよ?」
「え……? 本当に?」
「うんうん。ずーっとね」
水樹と呼ばれた少女は少しだけ頬を赤くし、苦笑いでそれを隠そうとした。
「あはは、あいつが反応しないのが憎くてつい話しすぎちゃったかな? ごめんね叶」
叶と呼ばれた少女はゆっくりと首を振る。
「ううん。私にとって、水樹ちゃんのお話が唯一病院の外を知ることができるから」
「うーん……それは言いすぎなんじゃないかな? ネットとかで今どんな社会か知ることぐらい出来るでしょ?」
叶はそんな水樹の言葉をはぐらかした。
「ネットで見た世界より、水樹ちゃんの見た世界の方が何百倍も面白いの。だから、もっと聞かせて? その男の子のこと」
「あはは、叶ちゃんには敵わないなぁ……。よし、私があいつの悪行を、あることないこと教えてあげようではないか!」
「うふふ。お手やらわかにお願いします♪」
いつもと変わらない。
何も変わらないはずだった。
あの時までは……。
~~~~~~~~~~~
「あ……もうこんな時間だ」
水樹は窓の外の風景をみて、唐突にそう切り出した。
まだ6時過ぎたばかりのはずだが、既に日は沈んでいる。
「今日はとっても楽しかったよ。またその男の子のお話聞かせてね?」
「ふふっ、任せなさい!」
「私もその男の子に会ってみたいなぁ……。水樹ちゃんのお友達なら、私も仲良くなれそうだし」
叶がそう口にした途端、水樹は小さく頬をかく。
ほんの少し顔を染め、照れているようにも見える。
「えっと……叶は……さ」
「ん?」
「叶って、『恋』ってしたことある?」
水樹からの質問に、叶は首を傾げることしかできなかった。
「あー……そうだよね、小さい時からここにいるんだもんね……」
「『恋』という単語は知っているけど……。余りにも不確定要素が多すぎて、それがどんなものかはわかんないの……」
「そうだね……うん。恋っていうのはわかんないものだよね」
「?」
水樹はそう自分に問いかけるように言うと、真っ直ぐ叶を見た。
「叶はさ、恋をしたいって思ったことはある?」
「……私には、わからない。水樹以外の人とあんまり関わってないからかもしれないけど……。笑うっていう感情も、悲しいっていう感情も痛いほど理解できる。でも、恋情だけは……どうしても理解できない」
「そっか……うん。そうだよね。叶にはまだ純白でいてもらわないと困るしね!」
「純白……? あ、性欲求のこと?」
「既に手遅れ!?」
叶が水樹のツッコミに微笑を浮かべると、それが合図かのように水樹は叶から離れた。
「んじゃ、また来るね」
「うん、待ってる」
これがいつものやり取り。
水樹は病室を出る最後の最後まで、叶に笑顔を向けてくれている。
そんな水樹を、今だけは疑ってしまう。
「水樹ちゃん……結局男の子の名前教えてくれなかったし、友達じゃなくて幼馴染って強調してた……」
次来た時は問い詰めてやろうと心に決めた叶であった。
~~~~~~~
叶は不安だった。
「水樹ちゃん……大丈夫かな……?」
叶に『恋』を教えた日、水樹は足の骨を折ったらしい。
結構盛大に折ったらしく、叶がいるこの病院に入院しているとのこと。
「私も水樹ちゃんも動けないから、同じ病院にいても会えないか……」
考えれば考えるだけ溜息を吐いてしまう。
看護師に頼めば会えるかもしれないが、それはなんか嫌だった。
そもそも、何故水樹が骨を折ってしまったのか?
「やっぱり、『恋』に関係があるのかな……?」
叶は『恋』を知らない。
故に興味を持つ。
(うーん……ネットに頼ろうかな……)
そう思い立った途端、病室のドアが勢いよく開かれた。
「おーっす! 元気にしてるかー?」
「……」
「……」
「……誰?」
叶の病室に入ってきたのは同い年ぐらいの少年だった。
そして――――。
「え、あ……その……すみません間違えました!!」
少年はそれだけ叫ぶと、急いで踵を返す。
そして、病室のドアに手をかけたとき――――。
「あ、あの……!」
叶が、その少年を呼び止めた。
何故呼び止めたのか、自分でもよくわかっていない。
話し相手がいなくて寂しかったのか、反射的に叫んでしまったのか、それとも――――。
「あなたは……恋というものを知っていますか?」
――――『恋』を知りたかっただけなのか。
「へ? 俺? うーん……よくわかんないけど……ずっと一緒にいたいとか、触れ合っていたいとか……そんな感情を『恋』っていうんじゃねぇの?」
少年は案外冷静だった。
いや、開き直ったという表現の方が適切かもしれない。
叶は少しだけ驚いていた。
なぜなら――――。
「あの、よかったらこっちに来てお話しません? 私、今日会話をしてないんですよ」
「会話を……してない?」
「はい、俗に言う『コミュ障』ですので」
そう、叶は家族や水樹以外の人とは全く喋らないのだ。
なのに、目の前の少年には普通に話しかけている。
そんな自分に驚いていた。
「こうやって見知らぬ男に話しかけている時点で、コミュ障なんかじゃないと思うが……ま、別にいいか」
「ありがとうございます。早速ですが、名前を聞いてもいいですか? 私は叶といいます」
「本当にコミュ障なのか……? まぁいい。俺は海斗だ。よろしくな」
それから、叶と海斗は沢山話をした。
本当に初めてあったと思えないほど、笑い合い、馬鹿を言い合った。
「海斗さんって、面白い方なんですね」
「ああー……叶さん。その堅苦しい言い方やめてくれないか? ムズ痒い」
「でしたら、海斗さんこそ。私のことなんて呼び捨てにしちゃってください」
「む……。わかったよ。……叶、そろそろ暗くなってきたし、俺は帰るわ」
「あ、そう言えば友人のお見舞いにんでしたっけ? ごめんなさい、海斗さんを引き止めてしまって……」
「そっちは言い方変えないのかよ……まぁ、あいつにお見舞いしにいくなんて連絡入れてないし、別にいいんだけどな」
海斗は窓の外を見て、苦笑いを浮かべる。
「雪……か。帰りは辛いなぁ」
「あの……海斗さん」
「ん?」
「海斗さんさえよければ……その、これからも私のところに来てくれませんか? 私、お話するのが大好きなんですが、どうにも特定の人じゃないとまともにお話できなくて……」
海斗は短い間だが、叶と話していて悪い時間ではないと思っていた。
逆に、時間の流れを忘れるほど楽しいと思っていたほどだ。
「叶がコミュ障だってことは信用できないが、俺の都合がつく限りお邪魔させてもらうよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
叶は気が付いていなかった。
少しずつだが、海斗に惹かれているということに。
これが、『恋』の始まりだということに。
~~~~~~~
「おっす、叶」
「あ、海斗さん。いらっしゃ――――けほっ!」
「叶!?」
海斗が叶の病室に通うようになって一週間。
ふたりの仲に警戒というものはなくなっていた。
「うふふ……ありがとうございます。昨日、少し夜更ししちゃって……」
「はぁ……心配させるなよ……」
「心配……してくれるんですか……?」
叶は今までにない驚愕の表情を見せた。
その表情に、海斗までもが驚愕する。
「心配って、当たり前だろう? 看護師さんとも話せてないようだし、叶の言う友達もいつ来れるかわからないんだろ?」
「それは……そうですが……」
「そんな状況でもしもの時があったらどうする? 取り返しのつかないことになるぞ?」
「……」
「俺はな、喋らなくなる叶なんて……見たくないんだよ」
「海斗さん……」
海斗は叶の病を知っている。
そこまで重い病気ではないが、命の危険がないわけでもない。
叶の身体は生まれつきに弱かったため、中々治らないそうだ。
「大丈夫ですよ。この程度の咳なんて、海斗さんもよくするでしょう?」
「だけど……!」
「心配してくれるのはありがたいですが、過保護っぽいのはダメですよ? 男の子のヤンデレって誰得なんですか?」
「なっ! ……叶って、意外と変な知識あるよな……」
「ふふっ、年中暇なんですよ。私」
そんな小悪魔のような笑みを浮かべていた叶だが、ふと思い立ったように表情を変えた。
「海斗さん海斗さん」
「……なんだよ」
「そんな身構えないでくださいよ……。ちょっと頼み事を聞いてもらえませんか?」
「頼み事?」
「はい。私、外に出たいです」
海斗は暫し考える。
今日の天気は確かに悪くない。
だが、叶の体調と気温を考えるとあまり良くない気がした。
「叶、外は寒いし――――」
「止めても無駄ですよ? 人質は海斗さんの時計なんですから」
「時計……? あっ!」
海斗は自分の左腕に嵌めてあった腕時計がないことに気が付いた。
「は? え? なんで?」
「乙女の秘密ですっ」
どうやら、従うしかないようだ。
~~~~~~
「結構寒いですねー」
「なあ、無断で出てもよかったのか?」
「いいわけないでしょう? 見つかった時は海斗さんも共犯ですね」
「おいおい……」
叶はこういうのに慣れているのだろう。
病室から外までの通り道、全く人とすれ違わなかった。
「ま、私は車椅子ですし、他人の助力がないとこのルート使えないんですよねー」
「誰に言ってるんだ誰に……」
叶は海斗の愚痴には耳を貸さず、辺りをキョロキョロと見渡している。
本当に病人なのか疑問に思うほどに元気だ。
そんな叶と、ふと目が合ってしまった。
「……っ」
しかし、直ぐに目を逸らされてしまう。
そんな仕草が女の子らしくて、海斗までもが叶から目を逸らしてしまった。
「……」
「……」
「……海斗、さん」
少しの沈黙の後、叶が口を開いた。
しかし、目は合わせてくれない。
「私、もうすぐ誕生日なんですよ」
「そうなのか?」
「はい。ですから下さい。誕生日プレゼント」
「……誕生日プレゼントって、強請るものなのか?」
「強請るものですよ。私の中では」
海斗は軽く頭でも叩いてやろうかと思ったが、叶の背中を見てそんな気は一気に失せた。
「叶」
「……」
「お前、最後に誕生日プレゼント貰ったの……いつなんだ?」
「お、乙女のひみ――――」
「貰ったことないんだな?」
「……」
叶はゆっくりと頷いた。
そして、語りだす。
「私はね、誕生日のこと……誰にも言ったことないのですよ」
「来れなくなった友達にもか?」
「はい。まぁ、何度か訊かれましたが、全部断りました」
「理由があるんだろ?」
叶は悲しい笑顔を浮かべて、しっかりと頷いた。
「初めての誕生日プレゼントは……親から貰いたかったのです」
「……」
「わがまま……ですよね。でも、それだけは、どうしても……」
「わがままとは思わない……だけど、なんで俺なんかに――――」
「私の余命。もう一年もないんですよ」
「!?」
自分の余命を口にして尚、叶は笑顔を崩さない。
海斗は少しだけ怒りを外に出すが、直ぐに収まっていった。
「実は私、去年までは自力で歩くことができたんですが、それも無理になってしまいました。いよいよ死が近づいてきたって感じはしますけど、自然と恐怖は感じません……」
「未練はありますけどね」と付け加えて叶は空を仰ぐ。
「親とは連絡とっていませんし、お友達には迷惑かけさせたくないですから」
「俺には迷惑かけさせていいっていうのかよ……」
「だって海斗さん、心配してくれるんでしょう? 迷惑も心配も変わらないじゃないですか」
海斗は叶の頭を軽く叩く。
「むぅ……私、病人なんですよ?」
「何が欲しいんだ?」
「え?」
「誕生日プレゼント。何が欲しいんだと聞いている」
叶は数瞬戸惑っていたが、すぐに笑顔……さっきとは違う暖かな笑顔を向けた。
「じゃあ……ガラスの指輪が欲しいです!」
「ガラスの指輪……?」
「はいっ!」
その瞬間、冷たい風が二人の肌を撫でた。
「やっぱり冷えてきたな……そろそろいいだろ? 病室に戻ろうぜ?」
「……しょうがないですね」
海斗は無言で叶の頭を叩いた。
先ほどより若干強めだったが、叶は頬を緩めるだけで、特に気にしてはいないらしい。
行きと同じように隠れながら足を進めると、海斗が不意に質問をした。
「なんでまたガラスの指輪なんだ?」
「ガラスって、なんで透明に見えると思います?」
質問に質問で返されたが、海斗は特に気にすることなく返答する。
「確か、光を反射する色がないから……だったか?」
「まぁ、そんなところですね。ガラスって、結晶構造をもたない非晶体なんですよ。主成分の二酸化ケイ素が網目状に結びついた構造をしていて、固体というより液体に近い状態なんです。だから、粒界が存在しないため光は散ら――――」
「ガラスの構造なんて言われてもわかるか! ていうか、お前ずっと病院にいるのになんでそんな知識あるんだよ!?」
「年中暇なんですよ」
「万能だなその言葉!」
海斗が呆れたような表情を見せると、叶も微笑む。
「まぁ、結論だけ言いますと……ガラスって不純物が少ないじゃないですか?」
「そうだな」
「それが海斗さんみたいで……私、好きなんですよ」
「っ!?」
「?」
叶は何故海斗が息詰まったのか、直ぐに気づいてしまう。
「あ、いえ! そういう意味では!」
「知ってる! 知ってるから!」
お互いの頬が赤く染まり、病室に戻るまで一言も喋ることはできなかった。
~~~~~~
「海斗さん……遅いなぁ」
今日は叶の誕生日。
いつしか、叶は海斗のことばかり考えるようになっていた。
(そう言えば、水樹ちゃんと海斗さんってどこか似てるんだよね)
「心の色とか」と口を開いたところで、自分の変化に気が付いた。
「けほっ! けほっ!」
心なしか、いつもより息苦しい。
こういう状態になる時は大体決まっている……この先、良くないことが起こる時だ。
(未来予知と人の心を読む能力……この二つのせいで私は……)
叶は生まれながらにして病弱だったが、それを補うかのような特技を持っていた。
自分の体調善し悪しで未来の善し悪しが何となくわかってしまう特技。
人の心を色としてイメージして、その人の性格や嘘を見破る特技。
この特技が判明したとき、叶の親は大いに叶を称えた……最初のうちは。
(でも、じきにお父さんもお母さんも……私を避けるようになって……)
そこから先の思考は自分の咳によって停止させられた。
「はぁ……はぁ……なに……こ……れ……?」
咳で口元に抑えていた手のひらを見ると、少量ながら血が付着していた。
(吐血……? それとも、喀血……?)
息を整えようとするが、上手くできそうにない。
「吐血と喀血の違いってなんだっけ……けほっ!」
そんな悠長なことを考える程、叶は冷静だった。
そして、病室のドアを眺めながら力いっぱい微笑む。
「ごめんなさい、海斗さん……。私、そろそろ……無理っぽい……」
そう呟いて目を閉じようとしたとき……ドアが勢いよく開かれた。
「叶!」
「ちょっと! 叶ちゃんは病に――――叶ちゃん!?」
そこに現れたのは待ち焦がれていた人物海斗と……水樹だった。
「海斗……さん……?」
「馬鹿野郎! なんで直ぐに人を呼ばないんだ!」
「ふふふ……私……女の子ですよ……? せめて尼と言ってくださいよ」
「そういうことを聞いてるんじゃねぇ! 水樹! 叶の意識を保たせろ!」
「わ、わかった!」
叶は嬉しかった。そして、理解した。
自分は、海斗のことが好きだったのだ。
口では表せない、不確定要素の多過ぎる感情。
でも、どれも悪い感じはしなくて、どこかぽかぽかするような……そんな感覚。
「叶ちゃん……」
水樹が自分の片手を握ってくれている。
もう片方の手が空いていたので、海斗の手へ向かって伸ばした。
しかし、叶の手は海斗の手に触れることはできなかった。
(な……んで……?)
そう、海斗の手は……水樹の手と繋がっていたのだ。
朦朧とする意識の中で考える。
何故海斗と水樹が同時に病室に入ってきたのか。
何故海斗と水樹の間に遠慮が見られないのか。
何故海斗があの時叶の病室に訪れたのか。
全てが……繋がった。
(そっか……水樹ちゃんも……そうだったんだ……)
海斗の目を見る。
水樹と手を繋いでいるのに、緊張のかけらも見られない。
まるで、この状態がいつもの事だと言わんばかりに。
(痛い……痛いよ……! 胸が……!)
「海斗……さ…………ん…………」
「叶……? おい! 叶!!」
「叶ちゃん! 叶ちゃん!!」
二人の呼びかけに応えることはなく、叶は――――――。
――――――静かに、目を閉じた。
~~~~~~~
「う……ん……ここは……?」
ここはとある総合病院。
そこで、一人の女性が目を覚ました。
窓の方に目を移すが、真っ白の雪以外は淡い黒に染まっている。
目を細めれば、僅かに光が見えてくるので、この暗いのはただの深夜帯だからという事で理解をした。
窓とは逆の方。暗くてよくわからないが、恐らくドアがあるであろう方に目を向ける。
「うーん……よく見えない……」
女性はそうぼやいて、ベッドから下りようとするが……。
「……誰?」
下りようとして動かした手が、人らしき手に触れてしまった。
女性が呼びかけるも、反応を返さない。
「あれ……足が……」
更に、自分の足が動かないことに気が付いた。
これは、痺れたとかそんなレベルではなく……。
「筋肉の衰え……かぁ」
この筋肉の衰えから、自分がどれだけ眠っていたのかだいたい把握できる。
となると、助けが必要だ。
「あの……すみません……」
目が慣れてきて、人らしきものは人だということが確証できた。
後は、この人を起こすしかない。
「すみませーん。お疲れのところ悪いですが起きてくださーい」
今更だが、腕も動かない。
さっきのは奇跡的に動かせただけみたいで、今では全くだ。
滑舌も上手く回っていないかもしれない。
「困ったな……あ、起きそう」
その人はもぞもぞと動いてから、頭を上げた。
そして――――。
「――――叶?」
「ほえ?」
「やっと……! やっと目を覚ましたのか!!」
目を覚ました人は、女性……叶を強く抱きしめた。
「え? え? ちょ……誰ですか!?」
「叶……叶……!」
叶は自分の記憶から目の前の人を思い出そうとするが、そもそも抱きついてきた人の顔を見ていないので誰かわからない。
ガタイからして、成人した男性と思える。
「俺だ……! 海斗だよ……覚えているか……?」
「……え? 海斗さん……?」
叶に抱きついた男性……海斗は大きく頷いた。
それから、色々なことを聞いた。
叶は意識を失ったあと、一命は取り留めたが、長い眠りについてしまったと。その時に病気も治ったらしい。
今はあの日からちょうど五年後で、海斗も水樹も……そして、叶もとうに成人しているということ。
そして……。
「叶、俺は叶に伝えなくちゃならないことがある」
「ん?」
海斗は小箱を取り出し、叶の前でその小箱を開ける。
「これは……ガラスの指輪?」
「ああ、五年越しになっちゃったが……誕生日おめでとう、叶。そして――――好きだ。俺と付き合ってくれ」
叶は目を見開いた。
驚愕のあまり、言葉が全くでない。
「ちょっと照れるが、あの日遅れたのはこの一言を言う勇気がなかったからなんだ……。そしたら、水樹が活を入れてくれて……」
「ちょ、ちょっとまって……水樹ちゃんと海斗さんはそういう関係なんじゃ……」
「……確かに、俺は三年前に水樹に告白された。だけど、断った」
「なんで……?」
「叶が好きだから」
海斗は細くなった叶の左手を取り、薬指に指輪をはめた。
「叶。俺はお前が好きだ。結婚したいって思うほどに」
「海斗さん……」
「あの日、嫌な予感がして病室まで走った……そしたら、叶がうずくまってて……その時、決心がついた」
「海斗……さ……ん」
「俺は……海斗は……叶のことが好きだ! 結婚を前提として付き合ってくれ!」
「は……い! はい!! 喜んで!!」
海斗は力いっぱい叶を抱きしめた。
叶が「痛い」というまで抱きしめた。
恋に落ちて、堕ちた少女……叶は……。
永久に、幸せな夢を見続けられるだろう。
時々こういうの書きたくなりますよね…うん。
ラストをどう受け止めるかは、読者様次第です。