第96話「蜀漢征伐 ~その5~」
綿竹関へと退いた諸葛瞻はすぐさま諸将を集めると軍議を開いた。
ここまで退いては、もはや剣閣の姜維と満足に連絡を取り合うことも叶わない。
強大な魏軍を前にいかにすべきか、諸将の意見は割れた。
「父上。ここは関に籠り、ひたすら守りに徹するが上策かと。敵は無理な行軍をしたせいで兵の損耗激しく、また兵糧にも余裕がないと思われます。持久戦に持ち込めば十分我らに勝機がございます」
そう述べたのは諸葛瞻の息子・諸葛尚である。
鄧艾はいま、鍾会率いる本隊から孤立している。
そのため剣閣の姜維が健在な限り、鄧艾軍に援軍も補給も来ることはない。
そんな諸葛尚の見立てに多くの者が賛同したが、その一方で異を唱える者も少なくはなかった。
特に強く反発したのは李球という将であった。
彼は名将・李恢の甥、すなわち建寧で隠遁する李遺の従兄弟にあたる。
「諸葛尚殿はまだお若い。戦のなんたるかを知らぬと見える。良いか? 戦が長引けば、敵は兵糧確保のため近隣の村々を襲う。そうなれば仮に魏軍を退却させたとしても、我らは民からの信用を失い、蜀漢はおのずと滅亡の道を辿ることになるだろう。例え不利と分かっていても、ここは打って出るほかないのだ」
そんな李球の言葉に、諸葛尚は思わず声を荒らげる。
「李球殿! 我が軍と敵軍との兵力差は貴殿もお分かりのはず! 野戦では、万に一つも我らに勝ち目などありません! この場にいる全員が討たれれば、民草を守る者は誰もいなくなる! 綿竹の地は蹂躙され、そしてその刃は成都にまで及ぶ! 勝つためには、この国を守るためには、籠城しか道はないのです!」
これに対し、李球もまた反論しようとしたがそれは遮られた。
遮ったのは諸葛瞻である。
諸葛瞻は息子を睨みつけた。
「フン、色々と御託を並べているが、結局貴様は怖気付いただけであろう! この期に及んで死を恐れるとは、一族の恥さらしめ!」
諸葛瞻はそう口汚く罵ると、立ち上がって羽扇を掲げた。
かつて父・諸葛亮が使っていた羽扇である。
諸葛瞻は諸将を見渡し、号令する。
「皆の者、決めたぞ! 我らはこれより打って出る! そして敵将・鄧艾の首を上げるのだ! 我は臥竜・諸葛亮が子・諸葛瞻! 必ずや皆を勝利へと導こうぞ!」
大将の勇ましい号令に、諸将もまた力強く鬨の声で応えた。
かくして、諸葛瞻軍は野戦にて鄧艾と雌雄を決するべく、綿竹関の門を開いた。
こうなっては諸葛尚も従うほかなく、ここに蜀漢の存亡をかけた最後の決戦の幕が開いた。
戦いの序盤は、諸葛瞻軍が優勢であった。
魏軍の鄧忠・師纂の両将は、蜀軍の猛攻を前に多くの兵を失い、鄧艾より叱責を受けていた。
「しょ、しょ、諸葛瞻のごとき小物に、お、お、お、遅れを取るとは、な、な、何たるザマか!」
鄧忠も師纂も返す言葉もなく、ただ黙るのみであった。
鄧艾はさらに顔を怒りで赤く染め、息子・鄧忠の前に出ると、その首に勢いよく小刀を当てた。
刀身は鞘に入っているため血こそ出なかったが、しかし今にもその首を落とさんとするほどの勢いだったため、鄧忠は思わず身を震わせた。
「お、お、お、お前は、ば、馬邈に言っていたな。お、お、臆病者に、い、い、居場所はないと。そ、その言葉、お、お、お前にそのまま、い、い、言い渡そう」
「申し訳ございませぬ父上! これより急ぎ部隊を立て直し、再び蜀軍に攻撃を仕掛けます! 次こそは必ず諸葛瞻の首を挙げるゆえ、どうかお許しを!」
鄧艾に脅された鄧忠は頭を地に擦り付け、許しを乞う。
それを見ていた師纂もまた、同じように頭を地に擦り付け、鄧艾に言った。
「俺もまだやれます! 数多の敵将の首を鄧将軍の前に並べてご覧に入れまする!」
鄧艾は2人の言葉に満足し、大きく頷いた。
鄧忠・師纂の両将は急ぎ自分の陣へと戻ると、宣言の通り、再び蜀軍へと食らいついた。
その勢いは蜀軍を凌駕するには十分であり、やがて戦いの形勢は魏軍のほうへと大きく傾いていくのだった。