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西晋建国記 ~司馬一族の野望~  作者: よこじー
第3章 司馬子上、蜀漢を滅ぼす
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第95話「蜀漢征伐 ~その4~」

 鄧艾の策は成功した。

 道無き道を進み、見事蜀軍の虚を衝いたのである。

 その途上、多くの死傷者を出し、兵糧もそのほとんどを失ったが、将兵らの戦意に衰えは見られない。

 むしろ此度の遠征で是が非でも蜀を滅ぼすのだと、皆滾っていた。


 鄧艾が奇襲をしかけたのは江油(こうゆ)という地であった。

 この地は馬邈(ばばく)という男が守備していたが、彼は突如現れた魏軍に恐れおののくと、一戦も交えることなく降伏を申し出た。

 平伏する馬邈に対し、鄧艾は言った。


「ば、ば、馬邈殿。と、鄧士載と申す。き、き、き、貴殿の、け、け、賢明な判断に感謝する」


 魏軍は無理な行軍で既に多くの兵を失っている。

 この先、成都へ向けさらに進軍することを考えれば、馬邈が抵抗せず迅速に降伏してくれたのは有難かった。

 しかし、魏将の中には馬邈に軽蔑の目を向ける者も少なくなかった。

 鄧艾の息子・鄧忠(とうちゅう)もまたその1人である。


「馬邈殿。今しがた兵より報告が入った。拘束を拒み、頑強に抵抗したのち、自害して果てた女人が1人いたと。その者は、漢の臣・馬邈の妻だ、と名乗っていたらしい」


 鄧忠の言葉に、初め馬邈は驚いた表情を見せたが、やがてバツが悪そうに俯いてしまった。

 鄧忠はそれを見ると、さらに語気を強めた。


「女の身でありながら忠に殉じる者もいれば、かたや臆病風に吹かれ、一戦も交えず敵将に頭を垂れる者もいる。戦とは人の本性が明らかになるものだな。貴殿もそう思うだろう? 馬邈殿?」


「な、何が言いたいのです?」


 馬邈としては気丈に返したつもりだろう。しかしその声は明らかに震えていた。

 動揺を隠せない馬邈に対し、鄧忠は追い討ちをかけるように言った。


「恥を知れ、恥を! 本来であればこの場ですぐにでも叩き斬ってやりたいところだが、貴様にはまだ役目があるゆえ、その命助けてやる。 だが、曹魏で立身栄達が叶うなどと、ゆめゆめ思うなよ。曹魏にお前のような臆病者の居場所はない!」


 その一喝を最後に馬邈は黙ってしまった。


 江油を攻略した鄧艾らは、忠義に殉じて1人散った馬邈の妻・李氏を丁重に埋葬すると、早々に成都へ向けて出発した。

 成都までの道案内を務めるのは馬邈である。

 魏軍は蜀将・諸葛瞻の守る涪城まで一気に迫ると、敵先鋒を瞬く間に撃破。

 これに対し、諸葛瞻は城を捨てて綿竹関(めんちくかん)まで退き、体勢を立て直さんとする。

 綿竹関を抜ければ成都は目前。蜀漢征伐もいよいよ大詰めの局面を迎えようとしていた。






 そのころ成都の宮城は、混乱に包まれていた。

 建国以来、魏や呉と度々大きな戦をしてきた蜀漢であるが、ここまで追い詰められるのは初めてのことであった。

 この最大の危機をいかにして脱するべきか、劉禅の御前にて群臣らが顔を突き合わせ、激しく言い争う。


「成都を捨て、永安の羅憲(らけん)殿の元へ逃げるべきです。そこで呉からの増援の到着を待ち、共に魏軍を押し返すのです!」


「いや、逃げるのであれば永安ではなく、南中の方が良いのでは? 永安へと向かう途中、魏軍と鉢合わせしないとも限らぬ。それよりは南へと逃れ、険しい山々を盾に魏軍を迎え撃つのが得策であろう!」


「何を馬鹿な! 南中は数多の蛮族どもが跋扈する地。かつて諸葛丞相の遠征により服属した者らも、いまや我らを軽んじ言うことを聞かぬ。陛下の身に何かあったらどうするのだ!」


「そもそも成都を捨てること前提なのがおかしい! ここは我らが都! この地だけは何としても守り抜かねば亡き先帝や曹魏との戦いで散っていった者らに顔向け出来ん!」


 様々な意見が飛び交うも皆が納得する案が出ることはなく、ただいたずらに時間のみが過ぎていった。

 やがては意見も出なくなり、みな疲労の色が顔に表れ始めた頃、それまで黙って聞くのみであった劉禅がようやくその口を開いた。


「これだけ話し尽くしても良き案が出ないとなれば仕方ない。また日を改めよう。朕はもう疲れた」


 これにはその場にいる誰もが呆れ果てた。

 そんな悠長なことを言っている場合では最早ない。事は一刻を争うのだ。

 しかし、みな異を唱えるほどの気力はすでになく、結局この日はそのまま解散となった。

 だが、皆帰っていく中、ただ1人その場に留まった者がいた。


「いかがした、譙周(しょうしゅう)


 劉禅は1人残ったその者の名を口にする。

 譙周。字は允南(いんなん)。老齢の文官である。

 呼ばれた譙周はゆっくりとその場に跪くと、心痛な面持ちで劉禅に言った。


「陛下。先ほど皆の前ではあのように言っておられましたが、恐らく陛下の中で、すでに答えは出ているのではありませんか? ただ、それを口に出せば、今なお奮戦している姜維殿や諸葛瞻殿、いや、この国中の全ての者たちの思いを裏切ることになる。ゆえに言い出せずにいる。違いますか?」


 劉禅は、己が心を見透かされ、困ったように頭を搔いた。

 降伏。それが劉禅が悩んだ末に辿り着いた答えであった。


「あとは朕が覚悟を決めるだけなのだ。皆の怒りや悲しみをこの一身にて背負う、その覚悟を。そう頭では理解していながら……未だに覚悟が決まらぬ。優柔不断で小心。いつか変わらねばと思いながら結局変われないままここまで来てしまった……」


 父・劉備が長きに渡る戦乱のなかで建てた国。

 漢王朝を復興させ、荒廃した世を立て直す。

 その大志に多くの者たちが惹かれ、そして殉じていった。

 建国より42年。その間の全てを否定しなければならない。

 決断の時はすぐそこまで迫っていた。

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