第8話「赤壁の戦い ~後編~」
時を少し遡り、開戦直後。
一人の男が曹操軍に降伏を求めてきた。
その男は灰色の髪と髭が特徴的な老将で、名を黄蓋と名乗った。
彼は孫権軍の将であったが、戦の直前に軍師・周瑜と揉めたという。
「巷でヤツは名軍師といわれているらしいが、実際は曹操軍の大軍を前に何一つろくな策も思いつかぬただの無能な餓鬼よ。そのくせ反抗的だという理由で孫堅様の代より仕えしこのわしを兵卒の面前で鞭打ちの刑にしやがった。耐えがたき屈辱じゃった……!」
黄蓋の目から思わず涙がこぼれる。
彼の身体には確かに鞭で打たれたような跡が無数にあり、その姿はとても痛々しかった。
「なるほど……理由はようわかった。ではその雪辱、戦場で晴らすが良い」
身体の傷もそうだが、なにより戦の直前に周瑜と黄蓋が揉めているところを斥候が確認している。
曹操は黄蓋の言葉を信じることにした。
だが、この判断は間違いであった。
なぜならば、船に火を放ったのはほかでもない、この黄蓋だったからだ。
黄蓋の放った火は龐統の策によって一気に燃え広がり、曹操軍の全てを包んだ。
黄蓋の降伏は真っ赤な嘘であり、周瑜との争いも全て演技であったのだ。
これらの策を主に練ったのは二人。劉備軍の諸葛亮と孫権軍の周瑜であった。
こうして、二人の天才軍師によって曹操軍はまんまと騙されたのである。
「やむをえん!撤退だ!」
曹操は全軍に撤退を指示した。
そして、多大な被害を受けつつも、なんとか曹操軍は戦場を離脱した。
曹操軍の完全敗北であった。
赤壁で敗れ、許都へと戻る最中、司馬懿は馬上で考え事をしていた。
すると隣から一人の将が話しかけてきた。
「司馬懿殿、どうしたのです?」
「いや、敵の策について考えていた。確かに見事な策だったが、一つ気になる点がある」
「ほう。一体どこが?」
「風だ。策を成功させるには自軍への被害を防ぐため、東南の風が吹いていなければならなかった。だが、今の時期の赤壁は滅多に東南の風は吹かない」
「では、相手の運が良かっただけということか?」
「いや、もしかすれば敵の天才軍師は天候さえも自由にできるのかもしれぬな」
そんなことはありえないということは十分に分かっている。
だが、諸葛亮と周瑜ならばあるいは。
司馬懿はばかばかしいこととは思いつつも、そう考えずにはいられなかった。