第77話「諸葛誕の乱 ~その7~」
諸葛誕が文欽を殺害した丁度その頃、文欽の2人の息子は同じ部屋にいた。
兄・文鴦は退屈そうに長椅子に寝転がり、弟・文虎はその横で自分の武具の手入れをしている。
「兄上、近ごろ父上の様子がおかしいとは思いませんか?」
「ん? ああ、この間の軍議でのことか。まあ元々情緒が不安定なところはあったが、この長い籠城戦で相当精神にきているなあれは。もっとも諸葛誕は諸葛誕でかなり危うい感じはするが……」
そんな話をしていた時であった。
一人の男が慌てた様子で部屋に入ってきた。
「た、大変だ! 文欽殿が諸葛誕に討たれた!」
そう報告をもたらしたのは毌丘秀であった。
他の者ならばいざ知らず、魏にいた頃から付き合いのある毌丘秀からの言葉である。
冗談や嘘の類いでないことは明らかであった。
「確かに父上は諸葛誕殿と前から折り合いが悪かったが、しかしどうして……?」
動揺を隠せないといった様子で文虎が尋ねる。
毌丘秀は息を整えると質問に答えた。
「これは諸葛誕本人の証言だが、文欽殿が諸葛誕に兵糧確保のため諸葛誕配下の魏兵を城外へと追い出すと言い出したらしい。それにカッとなって気が付いたら、とのことだ。話しているときは落ち着いた様子だったが、目が虚ろだった。初めは発狂していたという話も聞くし、ありゃ完全に壊れてる」
それを聞いた文虎は思わず頭を抱えた。
こうなってしまえばもはや戦どころではない。
「毌丘秀殿、諸葛誕はこのあとどのように動くだろうか? やはり我らを排そうとすると思うか?」
「十分考えられるな。諸葛誕にとっていま一番の恐怖はお主ら兄弟による報復だろう」
「となれば、向こうが動き出す前にこちらから動くしかないか……」
「いかにも。もし、2人がお父君の無念を晴らしたいというならば、この私も是非ともお供させていただきたい」
諸葛誕を討ち、文欽の仇をとる。そんな流れになりかけていたその時であった。
「すみません、文鴦将軍に酒と肴をお持ちしたのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
部屋の外から聞こえたその声は若い女性のものであった。
「兄上、何か酒や肴を頼みましたか?」
「いや」
それを聞き、文虎と毌丘秀は武器を構える。
これは諸葛誕による謀ではないか。そう考えたのである。
だが、ただひとり文鴦だけは警戒する様子もなく、部屋の外の人物に答えた。
「丁度吞みたかったところだ。入れ」
部屋に入ってきたのは、いたって普通の女官であった。
後ろに兵士が控えているような様子はない。
女官は警戒する文虎と毌丘秀の横を通り過ぎると、文鴦の近くにある机にお盆をゆっくりと置いた。
文鴦は女官に尋ねる。
「この酒と肴、俺は特に持ってくるよう頼んだ記憶はないんだが、もしや誰かからの差し入れか?」
すると女官は柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「なるほど、やはりそうか。ご苦労だった。下がっていいぞ」
文鴦にそう言われると、女官は恭しく礼をして部屋を出ていった。
そして、その後ろ姿が見えなくなるのを確認して、それまで一連の様子を黙って見ていた文虎が文鴦に対し声を荒げた。
「兄上! 何を考えているのです! あのように近づけて、もしあの女が刃物を持っていたらどうするんですか!」
続いて毌丘秀もまた文鴦を非難する。
「文虎殿の言う通りだ! あと、その酒と肴、毒が入っているやもしれぬ。間違っても口に入れてはならんぞ」
まるで子を叱る母親のように、2人は文鴦のことをガミガミと責め始めたが、しかし当の本人はそれをまったく気にする様子はなく、あろうことか女官の置いたお盆を手に取った。
これには文虎も毌丘秀も怒りを通り越して呆れ果てる。
「兄上、いい加減にしてください。そんなに危険を冒してまで酒を飲みたいんですか?」
そう言われて、ようやく文鴦は口を開いた。
「酒器に酒は入っていない。代わりに入っていたのはこれだ」
酒器から出てきたもの、それは小さく折りたたまれた紙であった。
広げるとそこには文字が書いてある。
それを読んだ文鴦の決断は早かった。
「支度を急げ。方針は決まった。さっさとここを抜け出すぞ」
そう言って、文鴦はすぐさま城を出る準備を始めた。
文虎と毌丘秀もその紙を読んでようやく状況を理解する。
その日、文欽の子・文鴦と文虎、そして毌丘秀は城壁を越えて城を脱出、魏軍に降伏した。
酒器に入った紙に書かれていたもの、それは司馬昭からの降伏を勧める文であった。
そしてそれを渡した女官は賈充配下の密偵である。
賈充は何人もの密偵を寿春城内に忍び込ませ情報を集めており、そのため諸葛誕が文欽を殺したことも知っていた。
そこで賈充は司馬昭と相談して一計を案じたのだった。
翌日、司馬昭の命で文鴦は兵を引き連れると、寿春城の包囲網に加わった。
そして城内の兵にこう呼びかけた。
「我が父は文欽である! しかし、司馬大将軍はこの俺を赦された! 文欽の子ですら赦されたのだ! 他の者が何を心配することがあろうか!」
この効果は絶大であった。
城内の兵士たちは次々と降伏、城に残るは諸葛誕とごくわずかな将兵のみとなった。
さらに司馬昭は文鴦らを将軍に任じ、爵位も与える。
このあまりに寛大かつ慈悲深い対応は多くの者の心を惹きつけた。
司馬昭の名声はこの時、魏帝はおろか父や兄をも既に超えていた。