第73話「諸葛誕の乱 ~その3~」
司馬昭は賈充の献策を受け、魏帝・曹髦に諸葛誕征伐への出陣を要請した。
曹髦を総大将に据えることで、この戦いが司馬昭と諸葛誕の家臣同士の争いではなく、官軍と賊軍の戦いであるということを内外に示すためである。
また、司馬昭が遠征で洛陽を留守にしている間、諸葛誕に呼応した者が魏帝の身柄を手中に収めれば今度は打って変わって司馬昭が逆賊となってしまう可能性があった。
それを防ぐためにも、曹髦の出陣には重要な意味があった。
一方、要請を受けた曹髦はこれを受けるか否か大いに悩んでいた。
彼もまた、自身が諸葛誕征伐に参加するその意味を理解していた。
そして、彼は密かに胸の内を心より信頼を置く臣下・王沈に打ち明けることにした。
「王沈よ。朕はどうすればよいと思う。諸葛誕は朕のために、この魏国のために立ち上がった忠勇の士ぞ。朕は……彼の忠義を裏切りたくない。彼を逆賊になどしたくはない。むしろ逆賊なのは……!」
「陛下。それ以上は、それ以上はなりませぬ。どこに奴らの目があるか分かりませぬ」
王沈は慌てて曹髦を諫めると、辺りをキョロキョロと見渡した。
この部屋には曹髦と王沈の二人しかいない。だが、誰かが聞き耳を立てている可能性もある。
細心の注意を払うのに越したことはなかった。
「す、すまぬ。だが……」
「陛下! 良いですか。この私も思いは陛下と同じにございます。されど、今はまだその時ではございませぬ。どうか耐えてくだされ、どうか!」
「むう……。分かった。其方がそこまで言うのならば、朕は涙を飲んで司馬昭と轡を並べようぞ」
その言葉に王沈はほっと胸を撫でおろした。
かくして、曹髦は司馬昭からの出陣要請を受諾。すぐさま諸葛誕討伐の詔勅を下すと、司馬昭とともに20万をも超える大軍を率いて、諸葛誕の籠る寿春城を包囲した。
寿春城から少し離れた場所にある丘の上、ここに一つの軍勢の姿があった。
風になびく「呉」と書かれた軍旗。
その軍勢は諸葛誕を救援すべく送られた孫呉からの援軍のうちの一部隊であった。
「おぉ、これは凄い大軍だ。今からここに突っ込んでいくのかと思うと滾ってくるな!」
部隊の先頭に立つ一人の若武者。
彼はそう言って、新しい玩具を見つけた少年のように無邪気な笑みを浮かべると、手に持つ槍を天高く掲げた。
「者ども行くぞ! この文次騫に続けぇぇぇぇ!」
その男、文鴦は号令をするや否や、乗っている愛馬の腹を強く蹴った。
馬は大きく嘶き、一直線に丘を駆け降りる。
遅れないよう、後ろにいた騎兵たちも慌てて後に続いた。
無数の馬蹄の音が大地を揺るがす。
「まずは一人目!」
最初に接敵したのはもちろん文鴦であった。
一閃。魏兵の頭と胴が分かたれる。
「文次騫推参! 遠慮はいらぬ! 腕に自信がある者はかかってこい!」
文鴦はそう言って魏兵たちを挑発しながら一人また一人と瞬く間に敵を斬っていく。
「おのれ! 舐めるな小僧!」
やがて雑兵にはもはや任せておけぬと屈強な身体を持つ壮年の将が前に出てきた。
彼は一気に間合いをつめると大剣を文鴦の頭めがけて振り下ろす。
が、次の瞬間絶命したのはその将のほうであった。
男の大剣が振り下ろされるよりも早く、文鴦の槍が彼の身体を貫いていた。
「ふん、期待外れだな」
文鴦はそう冷たく吐き捨てると、槍に刺さったその死体を乱暴に地面に叩きつけた。
その光景を目にしていた雑兵たちは一斉に震え上がる。
「あ、あんなの勝てるわけがねえよ……。に、逃げろ!」
背を向けて逃げる魏兵たち。だが、彼らが馬に乗っている文鴦から逃げきれるはずもなく、次の瞬間には皆もの言わぬ屍となり地面に転がっていた。
檻から放たれた空腹の獣の如く暴れる文鴦。
そのやや後方に文欽と文虎はいた。
「よし、あいつのおかげで敵の隊列は完全に崩れたな。この隙に城内の諸葛誕と合流するぞ!」
文欽はそう言って文虎とともに寿春城へと入っていった。
また、文鴦も頃合いを見計らい後から入城した。
結局、呉からの援軍で城内に合流できたのはこの文欽父子の隊のみであった。