第71話「諸葛誕の乱 ~その1~」
段谷での大勝利から一年。
東からの脅威を退け、つかの間の平穏が訪れたかに思えた257年、その事件は起きた。
「なに!? 寿春の諸葛誕に謀反の兆しがある?」
腹心の部下からそう報告を受けたとき、司馬昭は耳を疑った。
諸葛誕は忠義に厚い真面目な人物として知られている。
何かの間違いではないのか。思わずそう問おうとしたがすぐに考え直した。
目の前にいるその部下が間違ってもいい加減な報告をするような者ではないとよく知っているからだ。
「了解した。まあお前のことだ、すでに策は思いついているのだろう?」
「ええ」
男はそう言うと、淡々とした口調で策の内容を説明し始めた。
司馬昭は最後までそれを聞き終えると、感心したように大きく頷いた。
「うむ、見事な策だ。この一件、全てお前に任せよう」
「ありがとうございます。この賈公閭、必ずや司馬昭殿のご期待に応えてみせましょう」
その男、賈充は恭しく礼をすると、早速策を実行に移すべく部屋を出ていった。
一人残された司馬昭はその後ろ姿を見送りながら考えていた。
この者が味方でよかった、と。
その数日後、寿春の諸葛誕のもとに朝廷より使者が派遣された。
そして使者はこう告げた。
「諸葛公休、貴殿のこれまでの功績を高く評価し、司空に任じる。ついてはすぐさま洛陽に参内せよ。以上が皇帝陛下からの勅である。謹んで受けられよ」
本来であれば喜んで受けるべき内容である。しかしこれを諸葛誕は無視した。
自分を都に呼び出し殺害するための罠ではないかと考えたのである。
こうして益々司馬氏に不信を募らせた諸葛誕はついに事を起こした。
「朝廷に跋扈し、皇帝陛下を苦しめる卑しき賊を討つ! 義心を持つ者たちよ、この諸葛公休に続け!」
勇ましい諸葛誕の号令に合わせ、将兵たちが鬨の声をあげる。
新たな乱の幕開けであった。
兵を挙げた諸葛誕は手始めに揚州刺史・楽綝の屋敷を攻めた。
司馬氏と懇意な間柄である楽綝は諸葛誕にとって当然放っておける存在ではなかった。
兵数差は歴然。兵士だけでなく、下働きの男たちや女中たちも問答無用で殺され、屋敷には火が放たれる。
紅蓮の炎の中、屋敷の主・楽綝は一本の剣を手に取ると、その刀身に語り掛けた。
「まさかこんなにも早くお前に会いに行けるとはな」
友より託された剣。
これで数多の戦場を駆けるつもりであったが、しかしそれは今や叶いそうにない。
「なれば、お前に笑われぬよう、この命尽きるその時まで戦い、一人でも多くの敵を道連れにするとしよう」
楽綝はそう言って背後から迫っていた2人の雑兵を瞬く間に斬った。
休む間もなく次なる敵の足音が近づいてくる。
音の大きさからして今度は10人以上はいるだろう。だが、彼の目に絶望はなく、依然として闘志が宿っていた。
翌朝。
かつて楽綝の屋敷のあったその場所は瓦礫の山と化していた。
屋敷に居た者、あったものはすべて炭となり、もはや原型など留めていなかったが、ただ一つ、楽綝の剣だけはボロボロになりながらも剣の形を保って地面に突き刺さっていた。
陽に照らされたそれは、まるで乱世に散った二人の猛将を弔う墓標のようであった。