第68話「張虎の最期」
夏侯覇の不意打ちにより負傷した張虎は、蜀軍の追撃を鄧艾に任せ、自身は後方へと下がり傷口の治療を受けていた。
だが、いくら治療を受けても張虎の容体は一向によくならなかった。それもそのはず、夏侯覇が射たその矢の先には毒が塗られていたのである。
猛将と謳われる張虎も、毒の前には無力であった。
顔はすっかり白くなり、身体も日に日にやつれていく。
そんな中、張虎のもとを一人の将軍が訪ねてきた。
夏侯和である。彼は幕舎に入るなり、寝具に横たわる張虎に対して、深々と頭を下げた。
「張虎殿、申し訳ございません!」
「か、夏侯和……!? 急にどうした。何故お前が謝る」
夏侯和の突然の謝罪に困惑する張虎。
これに対し、夏侯和は答えた。
「張虎殿のその傷、それは我が兄・夏侯覇がつけたものとか。一騎打ちに乱入し、しかも矢じりに毒まで塗るとは、一体あの愚兄はどこまで非道を重ねれば気が済むのか。弟として恥ずかしい限り。父もきっとあの世で泣いていることでしょう。本当に、申し訳ございません!」
そう言って夏侯和は再び深々と頭を下げた。
張虎は大きくため息をつく。
「この傷をつけたのは夏侯仲権だ。断じてお前ではない。だから謝罪は不要だ」
「し、しかし……」
「奴は蜀へと寝返り、お前は魏に残った。その時点でお前らは兄弟の縁を切ったはずだ。にもかかわらず、お前が夏侯覇のしたことに責任を感じるというのなら、それはまだお前の心の中に兄への情が残っている証拠だ」
「う……。それは……」
張虎に指摘され、夏侯和は何も返すことが出来なかった。
しばし二人の間に気まずい空気が流れる。
それを先に破ったのは張虎のほうであった。流石に先ほどは言い過ぎたと思ったのか、今度は優しい声色でこう言った。
「いや本当にそんな気にしなくても良いんだ。そりゃ夏侯覇に一騎打ちを邪魔されたときは腹も立てたが、今はあの程度を避けられなかった時点で武人として潮時だったんだと、そう思っている。だから不思議と満足感はあるんだ」
「張虎殿……」
それからは気を取り直し、2人は他愛ない話をして、穏やかなひと時を楽しんだ。
そして、日が沈み始めた頃。最後に、張虎はある物を夏侯和に託した。
「夏侯和、悪いが最後に一つ頼まれてくれるか。我が友・楽綝にこの手紙と我が剣を渡してくれ。それで俺の心残りはすべてなくなる」
張虎と楽綝。二人の親交の深さは夏侯和もよく知っていた。
「分かりました。必ずや揚州の楽綝殿にお渡しします」
夏侯和はそう誓うと、名残惜しそうに自分の幕舎へと戻っていった。
彼とて仕事があるのだ。あまり帰りが遅くなるわけにはいかなかった。
こうして再び幕舎には静寂が訪れた。
大きな欠伸を一つ。
もう来訪者はないだろう。張虎はそう判断し、再び眠りにつくことにした。
そして、以降彼の瞼が開くことはなかったのである。