第6話「大抜擢」
208年、山賊討伐から帰還した司馬懿は息をつく暇もなく、曹操に呼び出された。
「夏侯惇から話は聞いている。大活躍だったそうだな」
曹操の口から飛び出したのは賞賛の言葉だった。
曹操軍の精鋭たちでさえ手を焼いていた山賊たちをわずか数日で討ち滅ぼした司馬懿の手腕を曹操は高く評価したのだ。
司馬懿を評価しているのは曹操だけではない。
すでに司馬懿の活躍は重臣から雑兵、さらには民にまで伝わっており、都で司馬懿のことを悪く言う者はほとんどいなかった。
そして、この状況は曹操の狙い通りだった。
曹操はひとしきり司馬懿のことを褒めると、さらにこう続けた。
「そこでだ、司馬懿。お主にはこれより劉備討伐の軍に加わってもらう。よいな?」
この言葉に司馬懿はひどく驚いた。
まだ仕えて日の浅い自分をそんな重要な戦に連れて行くとは思いもしなかったのだ。
これでは重臣たちから不満が出てもおかしくはない。
だが、意外にも重臣たちからの不満の声は少なかった。
それは、この山賊討伐のおかげであった。
すでに司馬懿は大きな結果を残しており、それを曹操が賞賛している以上、下手に不満など言えないのだ。
そして司馬懿自身もこの大抜擢を断るわけにもいかず、かくして司馬懿は劉備討伐に行くこととなった。
曹操が大船団を率い南下。
この報はすぐさま劉備のもとに知れ渡った。
「来るか……曹操」
劉備の声は恐怖で震えていた。
優しそうでどこか頼りなさそうな風貌をしている彼だが、これでも前漢の景帝の第9子、中山靖王・劉勝の庶子の劉貞の末裔である。
当然そんな彼のもとにはせ参じる将兵は少なくなかった。
だが、彼らは劉備の血筋に惹かれたというよりは、劉備の人徳に惹かれたといったほうが正しいかもしれない。
この青年には人を引き寄せる謎の魅力があった。
「むぅ……諸葛亮!なにか良き策はないか」
「やはりここは江南の孫権と手を結ぶべきでしょう。敵はあまりにも大きすぎます」
そう劉備の問いに答えたのは劉備軍の軍師・諸葛孔明であった。
彼もまた、劉備の人徳に惹かれた者の一人であった。
「だが、孫権と手を結んでも我らは曹操には数で劣るぞ。果たして勝算などあるのだろうか……」
「ええ。勝算ならあります。私がとっておきの策をご用意しましょう。それに孫権のもとには周瑜という切れ者がいるそうです。彼らにとっても曹操は脅威。きっと彼もなにか策を考えているでしょう」
諸葛亮は長い顎鬚をなでながら、冷静な声で言った。
その様子に劉備もようやく心を落ち着けることができた。
「そうだな。すまん、少し弱気になっていた」
劉備はそう言うと一呼吸置き、剣を天高く突き上げ、こう叫んだ。
「この劉元徳、世を泰平に導くため、なんとしても曹操を打ち破って見せる!」
ようやくいつもの調子を取り戻した主を見て、諸葛亮は胸をなでおろした。
おそらくこの戦は歴史に残るであろう。
諸葛亮はそう予感した。