第66話「段谷の戦い ~前編~」
姜維が再度侵攻を開始したとの報はすぐさま魏軍にももたらされた。
これに対し、司馬昭は雍州の司馬望・鄧艾らに迎撃を命じた。
司馬望は司馬孚の子で、すなわち司馬昭から見れば従兄にあたる。前年、陳泰が狄道の戦いでの責任を問われ対蜀戦線から外されたため、その後釜として征西将軍に任じられていた。
一方、鄧艾は戦功を認められて安西将軍となっている。
さらに司馬昭は中央より羊祜・張虎の両将を援軍として派遣。かくして魏軍の精鋭たちは、蜀軍を食い止めるべく、雍州の地に集結を果たした。
「此度の戦、指揮はこの司馬子初が執らせていただく。早速だが、戦況の説明を夏侯和殿、お願いしたい」
「ハッ!」
そう司馬望に指名されると、その将は机に一枚の地図を広げた。
夏侯和。名将・夏侯淵の子にして、蜀へと亡命した夏侯覇の弟にあたる男である。
兄と違い、国に残ることを決断し、こうして今も魏のため尽力している。
夏侯和は地図を指さしながら言った。
「斥候の報告によれば敵は二手に分かれ進軍しているとか。片方は大軍、もう一方は小勢のようです」
「二手に……。なるほど。おそらく敵は小勢の方の部隊を我らの後方へと回り込ませ、挟撃する腹積もりでしょう。ならばまずは裏に回り込まれぬよう小勢の方をきっちりと潰しておく必要があるでしょうね」
そう言ったのは羊祜であった。
彼には蜀軍の意図などお見通しであった。
するとここで、それまで黙って地図を見ていた鄧艾が口を開いた。
「で、で、ではこの地で、ま、待ち伏せ、す、するといい。ふ、ふ、深い茂みが、が、あって、か、隠れるには、さ、最適……」
それを聞いた司馬望はしばし考え、決断した。
「よし分かった。それでは羊祜殿はいま鄧艾殿の言ったところへ行き、待機を。敵の姿が見えたら襲撃するのだ。小勢とはいえ、くれぐれも油断なさらぬよう」
「承知した!」
命じられた羊祜はすぐさま戦支度をするべく幕舎を後にした。
司馬望はそれを目で見送ると、さらに命を下した。
「鄧艾殿と張虎殿には本隊の迎撃を頼みたい。地理に明るい鄧艾殿と武に長けた張虎殿、二人で迎え撃てば容易に姜維を退けることが出来よう」
「承った!」
こうして魏軍は蜀軍を討つべく、動き出した。
蜀軍の別動隊を率いたのは胡済という将であった。字を偉度という。
彼は姜維に命じられ、魏軍の背後に回るべく進軍していた。羊祜の予想は的中していたのである。
「急げ急げ! 我らが遅れれば姜維殿の策が台無しになっちまう!」
そう言って胡済が愛馬の腹を蹴ったその時であった。
突如馬がつまづき、胡済の身体は地面に強く打ち付けられた。
後ろに続いていた騎馬兵たちも皆同じように落馬する。
「な、なんだ!?」
何が起きたのか理解が追い付かず、辺りを見回す。
すると、道をふさぐ形で一本の縄が張られていたことに気が付いた。馬はこれにつまづいたのだ。
それに気が付いたとき、胡済はすべてを察した。
「ま、まずい。これは……」
刹那、左右の茂みから武装した兵たちが一斉に姿を現した。
胡済隊はほどなくして壊滅したのだった。




