第60話「司馬昭凱旋」
司馬師の死の翌日。
洛陽へと戻るべく、急ぎ出立の準備を進めていた司馬昭のもとに一人の将が訪ねてきた。
「傅蘭石です。司馬昭様にお渡ししたき物あり、参上いたしました」
「ん、傅嘏殿か。一体どうした」
司馬昭が問いかけると、傅嘏は一枚の書状を懐から取り出した。
手渡され、内容に目を通す司馬昭。するとそこには驚くべきことが書かれていた。
「なるほど、陛下はこの兄上の死を機に、我ら司馬家の力を削ぐおつもりか」
書状は魏帝・曹髦からのものであった。
これよりは傅嘏が軍勢を率い、司馬昭は許昌にて待機せよ。それが書状の内容であった。
司馬昭の権力を削ぐための策略であることは明白。
帝の姑息な手段に司馬昭は思わず苦笑した。
「傅嘏殿。俺はどうすれば良いと思う。おとなしくこの命に従うべきだと思うか?」
「まさか。気にせずこのまま出立し、洛陽に入るべきでしょう。仮にそのことを責められたら知らぬ存ぜぬで押し通せば良いのです」
「そうだな。兄上から託されて早々、こんなところで躓くわけにはいかない」
かくして司馬昭は帝からの命に背き、軍勢を率いて許昌を出立した。
洛陽へと帰還した司馬昭はそのまま曹髦に拝謁し、戦勝を報告。しかしそこで特に命令違反を責められるようなことはなく、それどころか兄と同じ大将軍に任じられた。
もはや朝廷は司馬昭を面と向かって非難することすらできなかったのである。
蜀の都・成都。
許昌より遠く離れたこの地にも司馬師逝去の報は届いていた。
「司馬師が亡くなり、魏の結束は大いに乱れているはず。これはまたとない北伐の好機です。さあ陛下、御下知を」
蜀帝・劉禅にそう進言したのは、蜀随一の勇将・姜維である。
諸葛亮が死に、その後継であった蒋琬、費禕、董允も死んだ今、蜀における軍事はこの男がすべて担っていた。
しかし、そんな姜維の意見に一人の文官が猛然と反発した。
「なりませぬ。姜維殿、貴殿は昨年も一昨年も出兵された。此度これを認めれば3年続けての出兵となる。良いですか。人も金も兵糧も無尽蔵にあるわけではないのですぞ。ただでさえ貧しいこの国を、さらに疲弊させる気ですか。ここは数年防衛に徹し、国力を回復するべきです」
そう述べたのは黄皓という人物であった。彼は蜀帝・劉禅からの信頼厚い宦官である。
姜維が蜀における軍事のすべてを担っているとすれば、黄皓は内政のすべてを担っているといって良い。
しかし、蜀の柱石たる両者の仲は険悪そのものであった。
「黄皓殿は何か勘違いをされている。私が北伐を繰り返すのは、決して国を疲弊させるためではない。むしろ国を富ませるためだ」
「確かに戦に勝ち、領土を広げることが出来れば国はより豊かになりましょう。ですが、姜維殿は毎度然したる戦果も挙げられず、徒に兵馬を失い戻ってこられる。これではいつまで経っても国は豊かになどなりませぬぞ」
「この私が戦果を挙げていないだと? それは聞き捨てならぬ! 昨年の遠征で私は魏軍を散々に打ち破り、敵将・郭淮に深手を負わせてやったのだぞ!」
「ですが、その時に陥とした要地はすぐに敵に奪い返されたのでしょう? それでは意味がない」
蜀帝の前だというのに激しく口論する二人。
これ以上は不味いと、同席していた夏侯覇が急ぎ止めに入る。
「お二方とも、落ち着かれませ! 陛下の御前ですぞ!」
二人はここでようやく冷静さを取り戻し、それぞれ劉禅に深く謝罪した。
劉禅は「気にするな」と笑うと、しばし思案したのち、夏侯覇に尋ねた。
「夏侯覇、お主はどう思う」
問われた夏侯覇は一歩前に出ると、ハッキリとした口調で答えた。
「私は姜維殿の意見を支持いたします。私は魏にいた頃、司馬師の弟・司馬昭に会ったことがありますが、あれは父や兄には及ばぬ凡庸な人間です。奴が跡を継いだとて、国を纏め上げることはまず不可能。司馬一族という大きな柱を失った魏はこれから乱れに乱れることでしょう。姜維殿の申される通り、魏に攻め込むとすれば今を置いて他にない。また、黄皓殿は防衛に徹するべきだとおっしゃいましたが、そもそもこの蜀漢という国は、献帝から帝位を簒奪した曹魏を打倒するべく建国されました。故に今魏に攻め込むことを止めれば、それすなわちこの国の存在意義を失うことに繋がります。そうなれば離反する者も少なからず出るでしょう。以上この2点から、私は魏に攻勢を仕掛けるべきと考えます」
その夏侯覇の意見に、劉禅は満足げに頷くと、立ち上がり、下知した。
「これより我らは魏に侵攻を開始する。姜維、いつも通りすべてお主に任せよう。良い報告を期待しているぞ」
拝命した姜維は夏侯覇を伴い、すぐさま前線拠点である武都・陰平へと向かった。
姜維による大規模な攻勢の幕が今開かれようとしていた。