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西晋建国記 ~司馬一族の野望~  作者: よこじー
第2章 司馬子元、愚者たちを粛清す
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第58話「毌丘倹・文欽の乱 ~その4~」

 文欽らの奇襲を退けた翌日。

 残る毌丘倹をいかにして討つか。司馬師は諸将を集め、軍議を開いた。


「鍾会。何か良き策はあるか」


 意見を求められた鍾会は少し思案し、答える。


「気がかりなのは孫呉の動きですね。斥候に探らせたところ、孫峻率いる大軍がこちらに向かっているとのこと。奴らが来る前に寿春を速やかに制圧しなければなりません」


「ふむ。李続も言っていたな。毌丘倹は孫呉と結んだと。しかし、毌丘倹は籠城の構えだ。短期決戦に持ち込むには骨が折れそうだが……」


「ええ。おそらく毌丘倹は呉軍が到着するまで城からは出てこないでしょうな。なので向こうの方から城門を開けてもらいます。まず、李続と史招が寝返ったこと、そして文欽らが敗走したことを喧伝します。そうして敵が動揺したところで投降を勧める。さすれば、李続・史招に続けと言わんばかりに敵方の将は続々と寝返ってくるでしょう。いかがですかこの策は?」


 そう言う鍾会の表情は自信が満ちていた。失敗など絶対にあり得ぬといわんばかりの顔である。

 司馬師は納得したように大きく頷くと、命令を下した。


「よし、ではその策でいこう。鄧艾、お前は城を包囲している昭のもとへ行き、この策を伝えるのだ。そして以降は昭の指揮下に入れ」


 鄧艾。字を士載(しさい)という。元は一介の文官に過ぎなかったが、将としての才を司馬懿に見いだされ、重用されるようになった。文武に長けた優秀な将である。

 しかし。


「しょ、しょ、承知しました! お、お任せくだされ!」


 彼は吃音症であった。言葉を発するときに文頭の言葉を繰り返してしまうのである。

 そして、そのことで彼のことを軽んじる者も少なくなかった。

 鍾会もまたその一人であった。


「ぷっ。相変わらず鄧艾殿の喋り方は滑稽だな。異民族じゃあるまいし、もう少し流暢に話せないものかね」


 その鍾会の言葉に、ドッと笑いが起きる。


「鍾会殿、失礼ですよ」


「え、ええ。言い過ぎです」


 そう言って窘める将たちの頬もわずかに緩んでいた。

 鄧艾の顔が見る見るうちに羞恥で赤く染まっていく。

 見かねた司馬師は助け船をだした。


「鍾会、そう意地悪なことを言ってやるな。鄧艾のそれは生まれついてのもの。本人にはどうすることも出来ん」


 流石に司馬師にそう言われては、からかい続けるわけにもいかず、鍾会は黙った。

 諸将もようやく笑うのをやめたが、しかし、鄧艾の心には深い傷が刻まれたままであった。






 結果として鍾会の策は成功を収めた。

 彼の目論見通り、李続と史招の寝返りと文欽らの敗走を知った毌丘倹軍は酷く動揺、投降する者が相次いだのである。

 こうして毌丘倹軍は内から崩れ、司馬昭の軍勢は難なく城を制圧することができた。


「毌丘倹は逃げたか……。諸葛誕殿、毌丘倹の捜索と残党の掃討を頼めるか」


「承知いたした」


 城を制圧した司馬昭は、諸葛誕に一軍を預けると辺り一帯の平定を命じた。

 諸葛誕はその期待に応え、残党勢力を撃破。乱の首謀者・毌丘倹もまた逃亡先の県令・宋白(そうはく)によって討たれた。

 毌丘倹の弟・毌丘秀と文欽・文鴦・文虎父子は呉軍によって拾われるが、その呉軍も諸葛誕に敗れて撤退する。

 かくして寿春は平穏を取り戻し、毌丘倹・文欽の乱は幕を閉じたのだった。

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