第56話「毌丘倹・文欽の乱 ~その2~」
司馬氏の専横に反旗を翻した毌丘倹と文欽。
しかし兵力差は歴然。これを如何にして覆すか。
二人はすぐさま諸将を集め、軍議を開いた。
「まさか我らに従った者がたったこれだけとは……。ええい、皆曹家からの大恩を忘れたか!」
司馬氏に靡く者のあまりの多さに毌丘倹は憤る。
毌丘倹の弟・毌丘秀はそれをなんとか宥めると、こう進言した。
「兄上、涼州の郭淮殿に書状を送ってはいかがでしょう。郭淮殿の曹魏への忠誠心は本物。彼ならばきっと私たちの味方になってくれるはず」
征西将軍・郭淮は、曹操の代より曹家に仕える古参の一人である。
戦功著しく、人望も厚い。彼が味方に付けば多くの者が靡くだろう。
しかし、毌丘倹は首を横に振った。
「俺もそのように考え、郭淮殿に書状を送ったが、未だに返事がない。考えたくはないが、郭淮殿も向こう側に付いたということだろう」
「そんな……」
部屋全体に重苦しい空気が漂う。
もっともこのとき、郭淮はすでにこの世にはいなかった。
毌丘倹らが乱を起こす直前に亡くなっていたのである。前年の蜀との戦いで受けた矢傷が原因であった。
そんなことを知る由もない毌丘倹は、郭淮を不忠者となじると、机に怒りをぶつけた。
その衝撃で上に置かれていたものがいくつか落ちる。
「兄上、お気持ちは分かりますが物にあたっても事態は好転いたしません。誰か、策がある者はおらぬか!」
そう毌丘秀は呼びかけたが、皆うつむいてしまった。
このまま軍議が不毛に終わるかと思われたその時、一人の将が立ち上がった。
「敵は大軍。こちらは寡兵。で、あればとるべき策はただ一つ。この俺が夜陰に乗じ、敵本陣を急襲しましょう。必ずや司馬師の首を獲ってくると約束します」
そう大言を吐いたのは若き偉丈夫であった。
諸将の注目が一斉にその偉丈夫に集まる。
「貴殿は確か文欽殿のご子息の……」
毌丘倹が思い出したように言うと、偉丈夫は大きく頷いた。
「いかにも。我が名は文次騫。以後、お見知りおきを」
そう言って文欽の子・文鴦は自信満々にニヤッと笑った。
一方隣に座る父親の方はというと、この息子の暴挙に酷く狼狽しているようであった。
「愚息が差し出たことを。いやはや、どこで教育を間違えたのか……。弟の文虎の方はもう少し思慮深いんですが……」
「いや、若いうちはこれくらい血気盛んな方が良い。文欽殿は良いご子息を持たれましたな。それに彼の言い分にも一理ある」
毌丘倹はそう言って机上の地図を見て、しばし思考を巡らすと方針を定めた。
「よし。それでは文欽殿にはご子息たちとともに楽嘉の魏軍を急襲していただきたい。奴らもまさかこちらから打って出るとは思ってもいないはず」
「承知した。息子じゃないが、我が武で司馬師の野郎を震え上がらせてやろう。毌丘倹殿は如何いたす?」
「我らは籠城し、呉からの援軍到着を待つ。城に群がってくる敵部隊を呉軍と挟撃し、これを撃破したのち、文欽殿と合流いたそう」
「流石は毌丘倹殿。すでに孫呉にも手を回していたか。あいわかった。その策で、この戦なんとしてでも勝ちましょうぞ」
作戦は無事決まり、諸将は解散、それぞれ戦支度を始めた。
こうして毌丘倹・文欽ら反乱軍と司馬師率いる官軍との戦いが幕を開けた。
その日の夕刻。
楽嘉の司馬師の陣にとある報告がもたらされた。
「報告! 反乱軍の李続と史招と申す者が先ほど参り、降伏を願い出ております。いかがいたしましょう」
「フン、もう崩れたか。思ったよりも早かったな。うむ、通せ」
この事態を予測していたのか司馬師はとくに驚く様子もなく、降将二人を呼びつけた。
二人は深々と頭を下げると、やがて片方が口を開いた。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉ります。某は李続と申す者。主・毌丘倹に失望し、こちらの史招ともども司馬師様に降伏した次第」
「失望とな? 一体何があった」
「ハッ。毌丘倹は挙兵の際、陛下を救うためと言っておりました。国のことを想い、兵を挙げたのだと。しかし、蓋を開けてみれば孫呉に援軍を頼む始末。しかもその見返りに領土の一部譲渡を約束したとか。奴らは司馬師様のことを奸臣だの国賊だの口汚く罵っておりましたが、どちらが国を裏切っているかは明白です」
これに史招も続いた。
「司馬師様、これは先ほど行われた軍議での話ですが、どうやら今夜文欽の軍がここ楽嘉に奇襲を仕掛けてくるようです。文欽自体は大したことありませんが、その子・文鴦の武は厄介です。まさに一騎当千の猛者。どうか警戒のほどを……」
二人の言葉に黙って耳を傾けていた司馬師だったが、やがて深く頷いた。
「あいわかった。李続殿の言い分もっとも。史招殿の忠告も有り難く受け取っておこう」
「で、では……」
「二人の降伏を受け入れる」
その司馬師の言葉に二人は安堵した。
かくして、李続・史招の裏切りにより、毌丘倹と文欽の策は早くも音を立て崩れ始めたのだった。