第55話「毌丘倹・文欽の乱 ~その1~」
司馬師は張緝・李豊・夏侯玄らを殺害し、さらには魏帝・曹芳を廃した。
だが、この強引なやり方は新たなる反乱を招くことになる。
255年、夏侯玄らと親交の深かった毌丘倹が司馬師に対して反旗を翻した。彼は、同じく司馬一族に不満を持つ文欽を味方に引き込むと、寿春で挙兵したのである。
寿春は対呉戦線における要所。放っておけば呉に隙を与えることになる。
司馬師はすぐさま主だった将らを集めると軍議を開いた。
「もし反乱の鎮圧に手こずれば、その隙を突いて孫呉が攻め入ってくることは必至。ゆえに今回は司馬師殿自ら出陣し、迅速にこれを鎮めるべきかと考えますがいかがでしょう」
そう進言したのは古参・王粛であった。この進言に、司馬師は深く頷いた。
父・司馬懿が心から信頼していたこの男を、司馬師もまた強く信頼していた。
「ふむ。では総大将は私自身が務めるとしよう。王粛は都で留守を頼む。国内にこの反乱に乗じるものが現れないとも限らん。鍾会、貴殿には軍師として私を補佐してもらう。いいな?」
「お任せください。毌丘倹も文欽もこの鍾士季の敵ではありません」
そう言って司馬師からの指名に自信満々に答えたこの男、姓名を鍾会、字を士季という。
曹操・曹丕・曹叡の三代に仕えた知将・鍾繇の子で、その才は父親をも凌ぐと言われる新進気鋭の将である。
司馬師もまた鍾会には大きな期待を寄せていた。
かくして、司馬師はその他細かい陣容も決めると、毌丘倹・文欽の乱を鎮圧するべく十万を超える大軍を率いて都を発した。
寿春への行軍の最中、司馬昭は馬上で思索にふけっていた。
(兄上は一体何を考えているんだ……? 兄上の命を狙った張緝・李豊はまだしも、夏侯玄殿は担ぎ出されただけ。それを容赦なく討ち、さらには三族皆殺しとは。そして極めつけは帝の廃位だ。確かに兄上は昔から父上に似て苛烈ではあったが……)
決して口に出さないが、司馬昭は兄のこの一連の行動をやりすぎだと感じていた。
特に夏侯玄に関しては、興勢の役以降親しい間柄だったので複雑な思いもある。
そしてなにより司馬昭は最近の司馬師の行動にどこか違和感のようなものを感じていた。
(なんだろうなこの違和感。近ごろの兄上は、どこか事を急ぎ過ぎているような……。まさか……)
司馬昭の頭に一つの考えが過ぎる。
が、司馬昭はすぐそれを否定した。
(兄上に限って、まさかな)
司馬昭は己が頬を一回ぺちんと叩くと、以降このことについては考えるのをやめた。
賊徒の籠る寿春はもう目の前に迫っていた。