第51話「合肥新城攻防 ~前編~」
「そうか。負けたか」
敗戦の報が司馬師のもとに届けられる。
司馬懿は名将。だが果たしてその息子もまたそうと言えるのか。
司馬子元という男に魏を治める器があるや否や。国中の誰もがそれを計るべく、この戦に注目していたはずである。
そんな大事な戦での敗北。いくら司馬師自身が兵を率いていなかったとはいえ、命を下した以上彼にも責はある。
しかし、そんな状況でありながら司馬師は余裕の表情を崩さない。彼はすぐさま諸将を集めると、軍議を行った。
「司馬師殿。敗将への処遇、いかがされるおつもりですかな? 此度の敗戦で曹魏の悲願たる天下の統一は一歩、いや二歩、いやいや三歩後退したといっていいでしょう! 当然彼らには相応の罰が必要と考えますが」
軍議が始まると、真っ先に一人の男が口を開いた。
男の名は張緝。字を敬仲という。
彼は軍を率いた司馬昭、諸葛誕、胡遵らを強く非難した。そしてその言い方は遠回しに彼らを指揮官に任命した司馬師を責めている。
これに対し司馬師がどう答えるか。返答次第では司馬師の信頼は地に落ちることになるが、張緝の狙いはずばりそれであった。
皆が固唾を呑んで見守る中、ついに司馬師は口を開いた。
「張緝殿の申す通り、此度の敗戦はまこと痛いものであった。が、彼の者たちを罪には問わぬ。この敗北、すべては私のふがいなさゆえ。どうして彼らを責められようか。此度の不始末、ここに深く謝罪しよう」
そう言って司馬師は深く頭を下げた。
これにはその場にいる誰もが目を丸くした。
「し、司馬師殿。顔を上げて下され……。なにもそこまでされなくても」
予想外の反応に困惑する張緝。一方、他の将たちは自ら罪をかぶろうとするその姿を大いに称賛した。
「流石は司馬師殿だ! なんと器が大きい」
「司馬師殿、俺一生貴方についていきます!」
こうして司馬師はかえって諸将より信を得ることに成功した。
最もこうなることは全て彼の計算通りだったのだが、そのことに気が付く者は誰もいなかった。
「皆の厚情、痛み入る。では、これより呉のこれ以上の侵攻を食い止めるべく増援を編成したいと思う。叔父上、援軍の指揮を頼めますか?」
「おう、任せておけ! これ以上孫呉の好き勝手にはさせん!」
指名された司馬孚は気力十分。高齢ではあるものの、その武力、智謀はいまだ健在である。
諸将もその決定に特に異論はないようであった。
しかし、それまで黙っていた王粛がここで一つの懸念を口にした。
「戦経験の豊富な司馬孚殿が指揮を執るのであれば安心。されど、敵の指揮官・諸葛恪は孫呉随一の智将と名高い男。また敵は東興での勝利で勢いづいていることでしょう。何か策の一つや二つ、欲しいところですな」
「王粛殿の指摘はご最も。ですが心配は無用です。敵の狙う合肥新城は堅城。勢いだけで落とせるようなものではありません。ここに援軍が加われば守りはさらに強固となる。それに敵の指揮官・諸葛恪は確かに智謀に長けるようですが、若年ゆえ経験が浅く、城攻めは不得手だとか。ならば打つ手はいくらでもあります」
そう言う司馬師の顔は自信に満ちていた。
かくして、司馬孚を総大将とした20万の大軍は合肥の地へ向け出発した。
一方、その頃。
呉軍の攻勢に耐える合肥新城では。
「先の戦での失敗を何としてでも取り戻したかったところだが……うーん、これはいささか不味いな」
司馬昭はそう言うと困ったように頭を掻いた。
現在、戦況はとても芳しいとは言えない。それもそのはず、魏軍は先の敗戦で兵の数を大きく減らした。士気も当然ながら低い。
すでに城壁の一部は呉軍の攻城兵器により壊され、いくらかの敵兵の侵入も許している。もはや落城は時間の問題と言っても良かった。
そんな中、一人の若い将が司馬昭に進言した。
「司馬昭様、私めに策があります」
この将の名を張特といった。