第47話「王凌の乱」
「司馬懿様、急ぎ御耳に入れたきことが」
政変からいくらか年月が過ぎ、国内も安定し始めたある日のこと。政務中の司馬懿のもとを一人の男が訪ねてきた。
男は年若く、手には一枚の書状を携えていた。
「名と用件を申せ。簡潔にな」
「ハッ! 私は王凌が子・王広と申すもの。此度司馬懿様を訪ねたのは、我が父の謀反をお知らせするため! この書状がその証でございます!」
司馬懿は筆を一旦止めると、男より書状を受け取る。
それは王凌が子である王広に当てたもののようであった。
「なるほど。若年の曹芳様では頼りないとして、年長の曹彪様を新たな帝に擁立せんと……。これは確かに陛下への謀反というほかないな。やれやれ、王凌殿はもう少し聡明な方だと思っていたのだがな」
司馬懿は書状を一読すると、ため息をついた。
王凌は古くより魏に仕え、多くの功を挙げてきた人物である。芍陂の役の折には揚州より攻め寄せてきた呉軍を見事返り討ちにしてみせた。
司馬懿は、そんな有能な人物がこのような軽挙に及んだことが残念でならなかった。
「大儀であった王広。陛下よりお許しを頂き次第、王凌討伐の軍を起こす。その時はお主の力も借りることになるだろう」
「ハッ! 元よりその覚悟でございます! 父の過ちは子であるこの私が正さねばなりませぬ!」
司馬懿は王広の言葉に満足すると、すぐさま言葉の通り動き出した。
かくして251年。司馬懿は大軍を率いて王凌討伐へと向かったのだった。
「広め、裏切りおったか! ええい、なぜわからぬ! 曹芳様が帝のままでは、魏は司馬懿の思うがままよ! 奸臣をのさばらせて良い道理などあるはずなかろう!」
息子の裏切りを知った王凌は大いに憤慨した。
王広の密告により、かねてより企んでいた王凌の計画は一瞬にして崩れ去ったのだ。当然の反応である。
そんな中、一人の兵が王凌のもとに駆け込んできた。
「王凌様、司馬懿より降伏を求める使者が参っております。いかがいたしましょう」
「なに!? 司馬懿からの使者だと!? そんなもの、さっさと斬ってしまえ! といいたいところだが……」
言葉を止め、熟考する王凌。
兵数では司馬懿に完全に劣り、また王広が敵についたことで兵たちの士気もかなり低い。戦ってももはや勝ち目はない。戦経験の豊富な王凌にそれがわからぬはずがなかった。
「止むをえん……。降伏しよう」
こうして王凌の反乱はあっけなく幕を閉じたのだった。
戦後、この乱の首謀者である王凌は都へと送還される最中に服毒自殺。担ぎ上げられた曹彪もまた司馬懿の命により自害した。
そして。
「おのれ、司馬懿! どういうつもりだ! この私までも罪に問うだと!? ふざけるな! 私が密告しなければ、貴様は父の反乱を察知できなかった! 違うか!?」
「違わぬ。が、貴様には死んでもらわねばならぬ王広。どうも私は昔から敵を作りやすい質のようでな。後の火種となりそうなものは極力消すと、そう決めているのだ。悪く思わんでくれ」
「なるほどわかったぞ! 司馬仲達、貴様こそまさに魏に仇為す奸臣! 父など比べ物にならぬほどの大悪人よ!」
王凌の子・王広もまた怨み言を吐き捨てながら処刑されたのであった。