第40話「興勢の役」
樊城における曹魏の勝利、そして司馬懿の活躍は瞬く間に広がっていった。
司馬仲達こそ天下随一の名軍師である。
そんな司馬懿を讃える声が日に日に大きくなっていく中、面白くないのは曹爽とその一派である。
曹爽は帝より寵愛を受け、その権力こそ大きかったが、いかんせん実績が乏しかった。
周囲を心より従えさせるには実績は重要である。
そこで、焦った曹爽はある暴挙に出た。
「これより曹魏は蜀を攻め滅ぼす。大将は大将軍である私が直々に務めよう」
曹爽はそう言うと、帝より許可を貰い、大軍を発した。
司馬懿をはじめ多くの者は無謀だとこれを諫めたが、曹爽が聞く耳を持つはずがなく。
かくして、曹爽率いる魏軍6万は漢中に攻め込んだ。
「蜀には諸葛亮亡き後も、その遺志を継いだ名将たちが多くいるという。さらにはこれより攻め入る漢中は天然の要害として名高い。はぁ……。まったく、負け戦と分かっていて可愛い息子を戦場に出すとは、父上も人が悪いよなぁ」
そう馬上で悪態をついているのは、司馬懿の子・司馬昭である。
彼は征西将軍・夏侯玄の副将として、此度の漢中侵攻の軍に参加していた。
「まあそう言うな。確かに曹爽様の指揮には不安は残るが、我らは大軍。斥候の報告によれば漢中の守備兵はごくわずかということらしい。ひょっとすれば存外楽に突破できるかもしれぬぞ」
一方、夏侯玄は司馬昭とは対照的にひどく楽観的であった。
彼に限らず、魏の将たちは皆どこか敵を軽んじている節があった。それは司馬昭にとって不安でしかなかったが、若く発言力のない彼にはどうすることも出来ない。
(味方は兵数を過信し、油断しているが、このような狭い道では大軍の利を活かしきれない。俺が敵ならば、迷わずそれを利用するが……)
司馬昭はその考えが杞憂で終わることを祈ったが、しかし、その希望は次の瞬間儚く消えた。
「伝令! お味方、敵の奇襲を受け混乱とのこと!」
司馬昭は案の定の展開に思わず大きなため息をついた。
しかし、それを放っておくわけにもいかず、夏侯玄とともに味方部隊の救援へと向かったのだった。
蜀軍の指揮官・王平の指揮はこの上なく精妙であった。
いくら魏軍が大軍であっても狭い山道では一度に戦える人数は限られる。
王平は地形をうまく利用し、魏軍の足止めに成功すると、すかさず抜け道より奇襲を仕掛けた。
たちまち混乱し、ついには敗走する魏軍。だが、その逃げた先にも王平は兵を伏せていた。
魏軍は地形を熟知した蜀軍にことごとく翻弄される形となった。
その後も諦めずに幾度も攻勢を仕掛けた魏軍であったが、いずれも不発に終わった。
戦う度に減り続ける兵士たち。敗北を重ねれば重ねるほど、士気も当然下がっていった。
だが、それでもなお魏軍が漢中の地より退くことはなかった。
「夏侯玄殿、結果はどうでしたか……?」
司馬昭からの問いに夏侯玄は無言で首を横に振る。
夏侯玄は司馬昭に言われ、曹爽に撤退を進言しに行っていた。それは司馬懿の息子である自分よりは角が立たないだろうという司馬昭なりの配慮であったが、しかしそれでも戦功に執着する曹爽に声が届くことはなかった。
これ以上戦いを長引かせたところで犠牲が増えるだけ。曹爽とてそんなことはわかっていたが、彼はどうしても敗北の二文字を受け入れることが出来なかったのである。
だが、そんな曹爽のやせ我慢にもついに限界がやってきた。
蜀軍に成都からの援軍が到着、敵の士気がより一層盛んになる一方で魏軍の兵糧が尽き始めた。
険しい地形と蜀軍の妨害により、補給が断たれたのである。
そして、ついに曹爽は決断を下した。
「全軍撤退せよ」
それは魏軍の誰もが待ち望んだ一言であった。
こうして、興勢の役と呼ばれるこの曹爽の遠征は歴史的敗北で幕を閉じたのであった。




