第33話「五丈原の戦い ~前編~」
229年、蜀の名将・趙雲は静かに息を引き取った。
夷陵の戦い以後、国力は大いに衰退。直後、皇帝・劉備が死に、その息子である劉禅が跡を継ぐも彼に父ほどの器量はなかった。
その上さらにもたらされた趙雲の死。蜀の誰もが悲しみに暮れ、そして避けられぬ滅びを予感した。
だが、蜀軍はその後息を吹き返す。
同年の魏への侵攻で蜀は武都、隠平の攻略に成功。また、231年の侵攻では魏の猛将・張郃を討ち取った。
その躍進の裏にあったのは、趙統と関銀屏、二人の若き将らの活躍。
彼らは蜀にとって、最後の希望であった。
そして、234年春。蜀軍はいよいよ魏と雌雄を決すべく、今まで以上の大規模な軍勢をもって魏へと攻め上ったのだった。
「報告します!蜀軍、北上を開始!長安を目指しているものと思われます!」
蜀軍侵攻の報せはすぐさま、魏帝・曹叡の耳に入った。
だが、曹叡は予めこの侵攻を予想していたのか、特に慌てる様子はなく、静かに司馬懿を呼び出した。
「司馬懿よ、お主は準備が整い次第、すぐにここを出発せよ。そして、渭水の南に砦を築き、防備を固めるのだ。くれぐれもこちらから撃って出てはならぬぞ」
「なるほど。守勢に徹し、敵の兵糧が尽き撤退したところを追撃、というわけですか……。素晴らしき策かと。この司馬仲達、此度こそ必ずや諸葛亮めを叩きのめしてご覧にいれましょう」
かくして、司馬懿は蜀軍以上の大軍を率い出陣。渭水に砦を築き、蜀軍を待ち構えることとなった。
一方の蜀軍は魏軍よりやや遅れて五丈原の地に布陣。そしてついに両軍の決戦の火蓋が切って落とされた。
「魏軍は数こそ多いが、その中に武人は一人もおらぬと見える!所詮は砦に籠って怯えるばかりの軟弱者どもの集まりよ!」
開戦直後、曹叡の命に従いひたすら守りに徹する魏軍に対し、一人の蜀の将が挑発を仕掛けた。
男の名は陳到。古くより蜀に仕える老将で、かつて趙雲と共に忠節勇武な武将として称えられたこともある人物である。
これに対し、司馬懿はすぐさま各将に陳到の挑発に乗らぬよう使者を送った。
だが。
「申し上げます!文欽殿が敵将・陳到の挑発に乗り出撃!」
「はぁ……。まったく阿呆が……」
司馬懿は思わずため息をこぼした。
文欽のあまりの短慮っぷりに怒りを通り越し、呆れてしまう。
しかしこのまま放っておくわけにはいかない。
「郭淮殿、すまぬが文欽の救援を頼めるか。おそらくこの挑発は諸葛亮の罠であろう」
「ハッ!かしこまりました!」
郭淮はすぐさま兵を率い、文欽を追った。
「死にかけのジジイの癖に生意気な!我が剣の錆にしてくれる!」
文欽はそう叫ぶと得物である大剣を振り回した。
その重い斬撃を前に蜀の雑兵たちは次々と倒れていく。
「おお、まさか魏にこれほどの強者がおったとは……!計算違いであった!皆、撤退せよ!」
陳到は震えた声でそう叫ぶと、撤退を開始。文欽はこれを追撃した。
このまま陳到隊は文欽隊の猛攻に為すすべなく、瓦解するかに思えた。
だが、そうはならなかった。
戦経験豊富な陳到の撤退はとても鮮やかなものであった。また、兵たちにあまり混乱は見られない。
ここで文欽は違和感を覚え始める。
追い詰めているはずなのに、まるで実際に追い詰められているのは自分たちのような、そんな感覚に陥った。
果たして、それは正しかった。
「今だ!趙統、関銀屏!この哀れで愚かな将に蜀の武をとことん味合わせてやるのだ!」
陳到が合図すると、文欽隊の左右の茂みより軍勢が現れた。伏兵であった。
文欽は気づかぬうちに戦場の中央から見通しのきかない細い道へと誘導されていたのだった。
こうして文欽隊は瞬く間に壊滅。文欽自身はなんとか逃げ延び、救援に駆け付けた郭淮隊に保護された。




