第32話「次代へ」
雪が降り積もり、一面白銀と化した戦場。
男はただがむしゃらに戦場を駆け、視界に入ったすべての敵兵を斬り裂いていった。
男は若く、そして血の気が多かった。
なまじ武芸に秀でていたばかりに己こそが最強なのだと、そう信じて疑わなかった。
だが、男はこの戦でそれがただの勘違いであることを知った。
「名のある将とお見受けいたす!ご覚悟!!!」
そう叫んで、ひと際ガタイの良い敵将へと斬り込んだその時。
身体が宙を舞い、そして気が付けば地に倒れていた。
「がはっ……!」
全身に鈍い痛みが走り、口と斬られた腹部から大量の血が流れだす。
何が起きたのかわからず、相手に目を向ける。すると、そこにいたのは。
「俺は呂布。字を奉先。その程度の槍裁きで人中最強たるこの俺に挑もうとは笑止千万……!!!」
そこにいたのは、鬼神であった。
鬼神・呂布。圧倒的な武勇と残忍な性格で知られる最強の将。彼に挑んで生きて帰ってきた者は誰一人としていないという。
(ば、化け物……!)
なぜ挑んでしまったのか。なぜ勝てると思ったのか。
男は今更ながら後悔した。
だが、悔いたところでもはや遅い。
鬼神はゆっくりと近づくと、得物・方天画戟の切っ先を倒れる男へと向けた。
「失せろ……」
刃が真っ直ぐ男の身体へ振り下ろされる。
男は死を覚悟し、目を瞑ったが……。
刹那、鈍い金属音が響き渡った。
「貴公、大丈夫か」
聞き覚えのない声が聞こえ、目をゆっくりと開けると、そこには呂布にも劣らぬ大柄な武人の姿があった。
彼は寸前のところで二人の間に割り込み、呂布の一撃を受け止めて見せたのだ。
「ほう。俺の一撃に耐えるか……。貴様、名は?」
「我が名は関羽。字を雲長」
突然の乱入者に呂布は驚いたが、相手が強敵であることを知るとニヤリと笑みを浮かべた。
「関羽……?先の汜水関で華雄を討ち取ったというあの関羽か。フン、面白い」
「来い!鬼神!この青龍偃月刀の錆にしてくれる!」
呂布と関羽。二人の英傑がぶつかる。
その戦いはもはや異次元で、男の割り込む余地などなかった。
「これでとりあえずの治療は終わった。まったく、あの呂布に一人で挑むとはなんと命知らずな」
そう言って男を治療してくれたのは劉備という若武者であった。
彼は関羽の主にして義兄である。
関羽と呂布が戦っている間に劉備が男を連れ戦場を離脱、結果として男は一命をとりとめることが出来た。
「助けてもらった上に治療まで……。誠に痛み入る」
そう言って男は頭を下げたが、劉備は「気にするな」と優しく微笑んだ。
そして思い出したように尋ねた。
「そういえば貴殿の名をまだ聞いていなかったな。名は?」
「俺は趙雲。字は子龍だ。いまは公孫瓚殿のもとに身を置いている」
それが二人の出会いであった。
「懐かしい夢を見たな……」
白くなった髪と髭。しわくちゃになった顔や手。
身体も鍛え抜かれてはいるが、若いころに比べればかなり細くなった。
老将の名は趙雲。字を子龍。今や蜀の五虎大将軍が一人である。
といっても、同じく五虎大将軍であった関羽も、張飛も、馬超も、黄忠も既にこの世にはおらず。気が付けば趙雲一人だけとなっていた。
呂布も、劉備もいない。
英傑と謳われた者たちはみな乱世の中で消えていった。
(もうあのように楽しき時代は来ぬのだろうな……)
世界に一人取り残されたような、そんな孤独感が趙雲を襲った丁度その時。
部屋の扉が開かれ、見覚えのある二人がやってきた。
「父上、起きていらしたのですね」
「ご無沙汰しています、趙雲様」
やってきたのは趙雲の子・趙統と関羽の娘・関銀屏であった。
二人ともこれからの蜀を支えてゆく若き将である。
「その恰好……。そうか諸葛亮殿は再び魏に攻め込むのか」
趙雲は二人が戦装束を身に纏っていることに気が付いた。
街亭の戦いで敗れて以降も蜀は諦めず、果敢に魏に攻め込んでいった。
しかし、強大な魏を相手に勝てるはずもなく。そして此度。またもや諸葛亮は魏への侵攻を決定したのだった。
「父上、そう心配なさらないでください。自分も銀屏もこれが初陣というわけでもないのですから。武功を上げ、必ずや勝利の報せを父上にお届けして見せます」
「はい!軍神の娘これにあり、って示して来ますから!」
そう言って笑う二人の目には諦めの色などまるでない。このような状況にあっても、希望を決して捨ててはいないのだ。
(思えば長坂の時も定軍山の時も、状況は絶望的であったが、諦めている者など一人もいなかった。やはり老いたな私。私はどこかもはや蜀に勝ち目などないと諦めていた。だがこの子たちは……)
挨拶を済ませ、立ち去ろうとする趙統と銀屏を趙雲は呼び止めた。
翌日、轡を並べる趙統と銀屏の姿があった。
二人とも当然戦装束に身を包んでいたが、それぞれ昨日とは違う点があった。
それは趙統の兜とマント、そして銀屏の槍。どれも全て趙雲が若いころに愛用していたものであった。
「征くぞ銀屏!」
「はい!」
二人は馬の腹を蹴る。
趙子龍の闘志は次代に託された。




