第31話「婚姻」
作品のタイトルを若干ですが変更いたしました。
副題が新たにつき、これでどんな内容かわかりやすくなったと思います。
これからもどうぞ本作品をよろしくお願いします。
一人の少女が立っている。
彼女の手には弓と矢があり、そして彼女の目線の先には的がある。
ここは将兵が弓の鍛錬に使う場所だ。普段、多くの男たちが汗を流しているこの場所も、今は早朝ということもあり、彼女以外誰もいない。
静寂があたりを包み込む。
少女は静かに呼吸を整え、集中力を高める。
意識はすべてその弓に注がれ、そのために一人の男が後ろを通りかかったことには一切気が付かなかった。
わずかな間があって、少女は矢を離した。
放たれた矢は、まるで吸い込まれるように的の中心へと刺さる。
その無駄のない動きに、そしてその狙いの正確さに後ろから見ていたその男は思わず感嘆の声をあげた。
「さすがだな。いやはや、これはもう俺ではなく元姫のほうが戦場に出たほうが良いのではないか」
突如後ろから声が聞こえ、少女はビクリと身体を震わした。
恐る恐る後ろを向くと、そこには彼女にとって良く見知った顔があった。
「し、子上殿!見ていらしたのですか」
それまで凛としていた彼女の顔がみるみるうちに羞恥で赤くなっていく。
彼女の名は王元姫。そして男の名を司馬昭という。
王元姫の父・王粛と司馬昭の父・司馬懿はかねてより親交が深く、そのため必然的に二人も仲が良かった。
幼いころは共に屋敷や町を駆けずり回ったものだが、王元姫からすれば流石にこの年になると「おしとやかで女性らしい」という風に見られたいというのが乙女心である。
勇ましく弓を射るところを見られて赤面するのも無理はなかった。
しかしながら、当の司馬昭はそんなことを一切気にする様子はなく、「俺もやるか」と言うと弓を握り締め、的へ向かい射た。
だが、その矢は大きく外れて明後日の方向へと飛んでいった。
この結果に司馬昭は苦笑いしてこう言った。
「やはり今度からは元姫に戦へ出てもらうとしよう。そのほうがきっと魏のためになる」
王元姫は呆れて何も言えなかった。
同日夜、司馬懿は王粛の屋敷に呼ばれていた。
何度か互いの家で盃を交わすことはあったが、今回はそういうわけではないようで、王粛の表情はいつもより数段真面目なものであった。
「王粛殿、話とは一体……」
司馬懿も真面目な表情で王粛に問う。
間がややあって、王粛が答えた。
「実は、貴殿のご子息・司馬昭殿と我が娘が似合いだと思ってな。どうだろうか。悪い話ではないと思うが」
その言葉が予想外だったのか司馬懿は目を丸くした。
だがそれも一瞬であり、すぐさまその表情は喜びに変わった。
「願ってもない!いやしかし、良いのか。昭には過ぎたる嫁のように思えるが」
「いやいや、司馬昭殿こそきっと将来良き将となる。その妻となれるのだから元姫は幸せ者よ」
こうして二人の結婚は難なく決まり、両家の結びつきはより一層強固なものとなった。
司馬懿の次男・司馬昭。彼がその才覚を現すのはまだ少し先のことである。