第29話「街亭の戦い ~前編~」
曹叡は、病死した父の跡を継いで魏の二代皇帝となった。
まだ歳も若く、体型がやや小柄なことから一見頼りなさそうに見える彼だが、司馬懿ら重臣たちの意見をよく聞き、問題なく政務をこなしていくその姿は十分名君と呼んでも差し支えない。
また、その優しい人柄から将兵だけでなく民からも慕われており、彼のことを悪く言うものは魏国内においてほぼいないといってよかった。
そんな中、衝撃的な報せが執務中の曹叡のもとに飛び込んできた。
なんと蜀軍が魏に向かい侵攻を開始したというのだ。
敵の指揮官の名は馬謖。諸葛亮に重用され頭角を現してきた若き知将である。
また、諸葛亮自身も後詰として出撃準備をしているという。
それを聞いた曹叡ははじめこそ驚きを隠せない様子であったが、すぐに冷静さを取り戻すと司馬懿を呼んだ。
そして彼にそれを迎え撃つよう命じたのである。
馬謖率いる蜀軍と司馬懿率いる魏軍は街亭の地にて対峙した。
蜀軍は山頂に布陣、平地に布陣した魏軍を見下ろす形となる。
「馬謖殿、なにゆえこのようなところに布陣したのですか」
蜀軍の副将・王平が指揮官である馬謖に尋ねる。
彼は武勇に優れた猛将であったが、軍略にはいささか疎く、わざわざ馬謖が山頂に陣を構えた意図をつかめずにいた。
そんな彼に対し、馬謖は憐れむような目で答える。
「古来より山の上に布陣するは戦の常道だ。貴様はそんなことも知らずいままで戦場で戦ってきたのか?」
年下の将の見下したような発言に王平は思わずムッっとする。
だが彼は大人であった。戦を前にしてもめ事を起こすわけにもいかない。いますぐにでもぶん殴りたいという衝動をグッとこらえると「ためになります」とだけ短く答えたのだった。
一方、平地に布陣した魏軍本陣では、いかにして山頂の蜀軍本陣を攻め落とすか軍議が行われていた。
「山頂から駆け降りる奴らと登る我らとでは圧倒的にこちらが不利。ふうむ、どうしたものでしょう……」
そう言って困ったように口元の髭を撫でる一人の男。
彼の名は張郃。元は名族・袁紹のもとにいたが、官渡の戦いの折に曹操に降伏。それ以降はずっと魏に仕え、数多の戦場で武功を重ねてきた壮年の猛将である。
そんな彼に対し、一人の男が笑って答える。
司馬懿である。
「心配いりませんよ張郃殿。すでにあの陣を落とす策は考えてあります」
司馬懿はそう言うと山頂の蜀軍の本陣のほうを見つめる。
その彼の表情は余裕に満ちていた。彼は山頂にいる馬謖のことを内心嘲笑っていた。