第28話「志半ば」
関銀屏が敵総大将・兀突骨を討ち取ったことはすぐさま蜀軍の本陣に伝わった。
「丞相、やりましたな!これできっと孟獲の奴もすぐに我らに下ることでしょう!」
そう言って魏延は喜びをあらわにする。
魏延だけではない。蜀軍の将兵の顔はみな明るかった。
それもそのはず、はじめこそ関索ら多少の犠牲は出たものの、今回の戦の結果は蜀の完勝と言っていい。
喜ばぬ理由などどこにもなかった。
だがそんな中、総大将の諸葛亮だけは唯一浮かない顔をしていた。
無惨に積み重なる敵兵の骸の山を見つめ、彼は言った。
「魏延殿、戦とはいえ私が行ったことはあまりに残虐。きっとこの先私は長くは生きられないのでしょうね……」
地に転がる無数の骸はみな焼かれ、そして焦げている。
中には変形し、もはやただの黒い塊と化しているものもある。
まさに地獄のようなこの光景。それを生み出したのはまぎれもない諸葛亮である。
諸葛亮はこのような策を思いついてしまった己の才能に恐怖を覚えたのであった。
結局、諸葛亮の南蛮平定は成功に終わった。
魏延の言葉どおり、兀突骨の死を知った南中王・孟獲はすぐさま蜀軍に降伏したのだ。
こうして、後顧の憂いをなくした蜀は魏との戦に全力を注げるようになった。
魏と蜀の最終決戦のときが近づいていた。
一方、魏では。
皇帝・曹丕が広陵より帰還してすぐに体調を崩し始め、寝込むようになっていた。
すぐさま華北一優れた薬師が宮廷に呼ばれたが、回復の兆しは見えず。
そして226年、ついに曹丕は息を引き取り、跡はその子・曹叡が継ぐこととなった。
魏国内が皇帝のあまりに早すぎる死に悲しむなか、魏の重臣・司馬懿は己の屋敷でひとり酒を飲んでいた。
「つまらぬ!まことにつまらぬわ!」
司馬懿は思わずそう吐き捨てる。
そして手に持っていた杯を壁に投げつけた。
杯の割れる音が部屋に響く。
司馬懿はぐっとこぶしを握り締めた。
彼とて曹丕の死をまったく悲しんでいないわけはない。だがそれ以上に怒りの感情のほうが強いのだ。
(まただ!天下はすぐそこまで迫っているというのにまた……!)
司馬懿の脳裏に曹操の顔が浮かぶ。
英雄が志半ばで死ぬのを間近で見たのはこれが二度目であった。
再びこのやるせなさを感じる時がこようとは思いもしなかった。
彼は酒をさらに飲もうと、割れた杯の代わりを持ってくるよう女官に命じる。
すると、女官と入れ替わる形で彼の部屋に一人の男がやってきた。
男は司馬懿の赤くなった顔と机の上にある空になった酒を見て、思わずため息をつく。
男の名は司馬師という。字は子元。
彼の顔は司馬懿によく似て綺麗に整っており、雰囲気や立ち振る舞いからはどこか品性が感じられた。
彼は司馬懿の息子であった。
「父上、いささか飲み過ぎではありませぬか?もうお辞めになったほうが……」
「師よ、堅いことを言うな。帝がお隠れになられたのだ。このようなときくらい多く飲んだって良いではないか」
司馬師の忠告に対し、司馬懿は聞く耳を持たない。
やがて戻ってきた女官から新たな杯を受け取ると、彼はそれに酒を注ぎ一気に飲み干した。
その姿を見て、司馬師は説得を諦める。
だが、司馬師は去り際に一言こう残していった。
「父上の気持ちはわからないでもないですが、やはり傍から見て気持ちの良いものではありません。ほどほどにしておかないと反逆の意思と捉えられかねませんよ」
その言葉を聞いた司馬懿はわずかに口角をあげたのだが、背を向けていた司馬師がそれに気づくことはなかった。