第22話「勝利の美酒」
林道、いや獣道といったほうがいいかもしれない。
それほどまでに細く、険しい道を数人の男たちが歩いている。
みな薄汚れていて、顔からは疲弊の色が見えた。
彼らは蜀軍の将兵たちである。
夷陵で大敗を喫し、追撃部隊から逃げている最中だ。
そして、その列の先頭にいる男こそ蜀帝・劉備であった。
だが、彼のボロボロの姿からは帝の威光など微塵も感じられない。
そこにいるのはただの惨めな負け犬であった。
「諸葛亮の言う通りだった……。俺は復讐心にとらわれ、取り返しのつかないことをしてしまった……」
馬上で劉備は涙を流す。
この戦で蜀軍は馮習をはじめとする多くの将兵を失った。
それは劉備に少しでも冷静さが残っていれば防げたはずの犠牲だ。
彼にはもはや悔いることしかできない。己の愚かさに気づくのがあまりに遅すぎたのだ。
と、その時であった。
先行していた一人の兵士が血相を変えて劉備のところへと帰ってきた。
「殿、前方より何者かの一軍が迫ってきております!」
その報告を聞くや否や、瞬く間に動揺が軍全体に広がった。
そして劉備もまたその例外ではなかった。
「ま、まさか敵が先回りを……こ、このままでは挟まれてしまう……!どうにかせねば、でもどうすれば……」
劉備は慌てふためき、その反動で落馬した。
当然受け身をとる余裕などあるはずもなく、もろに落下した劉備はあまりの激痛に悶え苦しんだ。
地面をのたうち回るその姿はあまりに滑稽で、そして無様であった。
「と、殿お逃げくだされ!敵はすぐそこまで……!」
側近が慌てて劉備の体を起こそうとしたその時。
ついに迫りくるその軍勢の姿が明らかとなった。
「諸葛孔明、推参いたしました。ご無事で何よりです殿」
「諸葛亮……?おお、諸葛亮か!来てくれたのか……!」
姿を現したのは敵軍ではなく諸葛亮の軍だった。
夷陵への援軍の準備をしている最中、蜀軍の敗北を聞き、急ぎ駆けつけてきたのだった。
こうして諸葛亮らと合流を果たした蜀軍はそのまま無事に白帝城へと入った。
だが、夷陵で失ったものはあまりに大きく、蜀はこれより衰退の一途を辿ることとなる。
呉の帝都・建業。
皇帝・孫権は夷陵での勝利にほくそ笑んでいた。
「くく、これで劉備は消えた……。残すは華北の曹丕のみよ……」
そう言って、孫権は手元にあった盃に酒を注ごうとした。
だが、すでに酒は空で、数滴落ちるのみであった。
「む、もうなくなってしまったか……。まあよい。今宵は宴じゃ。それまでとっておくとしよう」
孫権は近くにいた女官を呼び寄せると、すぐさま宴の準備をするよう指示した。
そのとき女官はやや顔をひきつらせていたのだが、孫権は一切気づかない。
孫権は無類の酒好きであった。
そしてそれと同時にひどい酒乱でもあった。
酔ったときの孫権を知るその女官が思わず嫌な顔をしてしまうのも無理はなかった。




