第21話「夷陵の戦い ~後編~」
茂みから蜀軍本陣の様子を伺っていた朱然は、本陣が手薄になったのを確認すると、背後に控えている兵たちに合図を送った。
それを確認した兵たちは一気に茂みを飛び出し、弓に矢を番える。
だが、それはただの矢ではない。矢の先端が赤々と燃えていた。
「放て!」
朱然の声が響く、と同時にその矢は一斉に放たれた。
放たれた無数の矢は放物線を描き、すべて陣の防壁に命中する。
蜀軍本陣はほどなくして紅蓮の炎に包まれた。
前線を徹底的に叩いて劉備をおびき寄せ、手薄となった本陣を火矢による一斉射撃で燃やし尽くす。
すべては陸遜の思い通りであった。
本陣が炎上していることに劉備が気づいたのは、かなり後のことだった。
「馮習!馮習!返事をしろ馮習!」
勢いよく燃え盛る本陣を前に、必死に劉備は本陣防衛にあたっていた将の名を叫ぶ。
すると、一人の男が劉備たちの前に現れた。
馮習が生きていたのか、と一瞬劉備は安堵しかけたが、残念ながらその男は劉備の待ち望む者ではなかった。
「その鎧……孫呉の!ということはこれは貴様の仕業か!」
劉備はそう咆えると、男を睨みつけた。
だが、その男は怯むどころか、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべ、こう言った。
「ご名答。さすがは天下に轟く名将・劉備殿。察しがいい。我が名は朱然。字は義封と申します」
もちろんこれは本心からの言葉ではない。
冷静さを失い、まんまと策に引っかかった劉備のことを遠まわしに馬鹿にしているのである。
朱然はさらに続けた。
「あ、そうそう。お探しの馮習殿、といったか。それならきちんと我が手にございますぞ」
そう言うと、朱然は手に持っていた塊を大きく掲げた。
それは紛れもない馮習の首であった。
本陣から命からがら逃げ出してきたところを朱然自身が弓矢で仕留めたのである。
当然これに劉備は激怒。兵たちにすぐさま朱然を殺すよう指示する。
だが、兵たちは動かなかった。いや、動けなかったのだ。
なぜならば。
「殿、大変です!前線部隊はほぼ壊滅、敵がすぐそこまで迫ってきています!はやくお逃げください!」
「な、いつの間に……!」
劉備はこのとき初めて気がついた。
朱然のいままでの挑発が、時間稼ぎのためのものであったことに。
「弓隊、前へ!」
慌てる劉備に対し、朱然は冷静に指示する。
弓隊がズラリと朱然を守るように現れたかと思うと、次の瞬間には矢の雨が劉備を襲っていた。
蜀軍は壊滅した。