第15話「樊城の戦い ~後編~」
孫権の裏切り。
それは戦況を大きく変えた。
孫権軍を率いるは猛将・呂蒙と智将・陸遜。
名将二人が指揮しているため士気はかなり高く、あっという間に混乱する関索軍を飲み込んだ。
さらに、これに乗じてそれまで防戦一方だった司馬懿軍が攻勢に転じた。
こうして、関索軍は完全に崩れたのである。
腰を抜かして動けないでいる者。敵に背を向け無様に逃走する者。すでに物言わぬ骸となり、地面に転がっているもの。
もはや軍の建て直しは不可能といってよかった。
「仕方あるまい。一旦退く!父上の軍と急ぎ合流するぞ!」
関索はそう叫ぶと馬首をめぐらした。
そして雑兵たちがその後に続く。
だがそんな中、退かずにその場にとどまる者達がいた。
それは死を覚悟で殿を名乗り出た者達だった。
彼らからは絶対にここから先へはいかせないという強い意思が感じられる。
それは関索が、そして関羽が兵達に愛されているという何よりの証拠であった。
そしてその中には二人の美しい少女の姿もあった。
王桃と王悦である。
「姉様。やっと、やっとこのときがやってきましたね……。憎き司馬懿を討つ好機が」
王悦はそう言うと涙を流した。
父を殺され、いつか復讐をするべく必死に逃げ回った日々。
目の前に曹操軍がいても背を向け逃げなければならなかったあの時。
もどかしくて、悔しくて、腹が立った。
そして、なにより辛かった。
だが、今ようやく報われる。
こうして正々堂々と立ち向かい、仇を取れる。
それがただただ嬉しかった。
「泣くのはまだ早い。涙を流すのは司馬懿の首をとってからだ」
王桃が王悦の頭を優しく撫でる。
すると王悦は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
そして涙を拭うと、元気よくこう答えた。
「はい!姉様!」
こうしてついに王桃と王悦の復讐戦が幕を開けた。
迫りくる司馬懿軍の兵士達。
いずれも精鋭ばかりでさらに士気も高い。
だが、復讐に燃える彼女達の敵ではなかった。
王桃の槍が敵兵を貫けば、王悦も負けじと矢を放ち見事命中させる。
彼女らの周りには敵兵の骸だけが山のように積みあがっていった。
そんな彼女らの戦いぶりに、他の者達も奮い立つ。
「あの姉ちゃん達に負けちゃいられねぇ!オラたちもいくべさ!」
「ああ、ここに残った以上一人でも多くの敵を討ち取るんだ!」
死を覚悟した者達の力は凄まじかった。
兵数で劣っているはずの殿部隊がいつの間にか押し始め、気がつけば司馬懿までの道ができていた。
当然これを王桃と王悦の二人が見逃すはずがなかった。
「司馬懿!覚悟!」
王桃はそう叫ぶと司馬懿に飛び掛かった。
そして次の瞬間、金属音がキーンと響く。
それは司馬懿の剣と王桃の槍のぶつかる音であった。
司馬懿の首を切り裂くかに思われた王桃の槍。だがそれをギリギリのところで司馬懿が止めていた。
もし反応が少しでも遅ければ、その首は胴体と離れていたことだろう。
「チッ……!」
王桃は舌打ちすると一旦司馬懿から離れる。
そして体勢を立て直すと再び襲い掛かった。
高速で繰り出される槍。それを司馬懿は剣で必死に受けきる。
「へぇ……頭が切れるとは聞いていたけどまさか剣もここまでできるとはな。でも、お前はもうお終いだ」
そう言って不適な笑みを浮かべる王桃。その視線の先には矢を番える王悦の姿があった。
(しまった……!)
司馬懿が王桃の言葉の意味に気付いたときにはもう遅かった。
次の瞬間には、弓から矢は放たれ、司馬懿の頭を狙って飛んできていた。
だが、もし矢を防ごうとすれば、王桃の槍に貫かれることになる。
司馬懿にはどうすることもできない。
王桃と王悦は勝利を確信した。
だが、司馬懿にその矢が届くことはなかった。
「小娘二人に苦戦するとは情けがない」
「夏侯惇殿!」
司馬懿の命を救ったのは夏侯惇であった。
彼の手には司馬懿の命を絶つ筈だった矢が握られている。
なんとこの隻眼の猛将は飛んでくる矢を手で掴むという荒業を披露したのだった。
これには王桃も王悦も目を丸くしていた。
結局、王桃と王悦の二人は抵抗むなしく周りの兵達に捕らえられた。
また、善戦を続けていた殿部隊も時が経つにつれ押され始め、やがて壊滅したのだった。