第99話「蜀漢征伐 ~その8~」
「弓隊、火矢を用意! 構え! ……放て!」
趙統の号令で、今度は先端の燃えた無数の矢が放たれる。
夜空に赤い放物線を描いたそれは、城壁へと距離を詰めていた雲梯に当たり、見事これに火をつけた。
激しく燃え盛る雲梯を見て兵たちは歓声を挙げたが、しかし趙統だけは相好を崩さず、再び兵たちに号令した。
「気を抜くな! 急ぎ次の火矢を番えよ! 狙いはあの衝車!」
趙統が槍を向けたその先には門を破らんとする魏軍の衝車の姿があった。
趙統の合図に合わせて、数多の火矢が空中に弧を描く。
雲梯に続いて衝車までも紅蓮の炎に包まれると、魏の兵士たちは怖気付き、やがてその歩みを止めたのだった。
「おい貴様ら、勝手に止まるな! 後ろがつかえて危ないだろ! ……ったく、兵器が2個焼かれたくらいでここまで狼狽えるとは情けない。兵器の替えなどまだいくらでもあるというに」
鍾会は馬上から不甲斐ない兵士らを罵ると、横の胡烈に目で合図を送った。
胡烈は頷くと、馬の腹を蹴って勢いよく前へと出る。
「お前ら! よく見ておけ!」
胡烈は兵たちにそう叫ぶと、城壁に向かって弓を構えた。
そして3本の矢を纏めて番えると、これを一気に放つ。
放たれた矢は吸い込まれるように剣門関まで届き、そして次の瞬間には短い悲鳴とともに3人の兵士が城壁から落ちていた。
3人とも頭に矢が命中しており、既にこと切れている。
呆気に取られる兵士たちに対し、胡烈は言った。
「者ども、反撃の時間だ! 弩兵隊、前へ!」
己が武を見せつけ兵たちを鼓舞した胡烈は、さらに弩兵隊を前に出した。
弩は弓に比べて飛距離に優れ、また誰にでも扱いやすいという大きな利点があった。
夜という視界の優れぬ環境で、遠く離れた城壁の上にいる敵兵を正確に狙うといった芸当は誰にでも出来るものではない。
しかし、弩であればその難易度は大きく下がる。
もっとも、纏まった数の弩などそう易々と用意出来るものではなく、魏が大陸屈指の大国であり、また弩の精鋭部隊・冀州強弩を掌中に収めているため可能なことであった。
「放て!」
胡烈の号令によって、弩から一斉に矢が放たれる。
勢いよく射出された矢は目にも止まらぬ速さで城壁の上まで届き、次の瞬間には蜀の兵士たちを貫いた。
動揺する蜀軍を見て、胡烈は次の指示を送る。
「今だ! この隙に雲梯、衝車を前進させる! 弩兵隊は2射目の用意を急げ! 投石機の準備も急がせろ! 一気にケリをつけるぞ!」
もはや魏軍に弱気な表情を見せる者はいない。
こうして完全に勢いを取り戻した魏軍は、徐々に蜀軍を追い詰めていった。
趙統は思い返していた。
かつて戦場で見た、あまりに大きい父の背中を。
そして、その背中を超えるべく共に駆けた戦友の姿を。
「父上……。銀屏……。どうか見ててくれ。この趙統、最後の戦いを」
自然と得物を握る手に力が入る。
かつて父・趙雲が戦場で振るい、その死後は戦友・関銀屏へと受け継がれた名槍。
この槍を手にしたとき、2人の分まで戦場に立ち、蜀を支え続けると心に誓った。
しかしその思いも虚しく、蜀はいま滅亡の危機に瀕している。
趙統は己の不甲斐なさを呪いながら、目前の扉に目を向けた。
剣門関の巨大な扉は、何度も衝車の攻撃に晒され、限界を迎えようとしている。
何人かの兵士たちが押し返そうと必死に扉を支えているが、焼け石に水である。
城壁での指揮を配下の者に任せ、門の前へと移動したのは、門が破られた際なだれ込んで来る敵兵に対処するためであった。
そして、ついにその時は訪れた。
「皆、門から離れよ! 来るぞ!」
趙統がそう叫んだ次の瞬間、轟音とともに門が破られた。
雄叫びをあげ、突っ込んでくる魏の兵士たち。
これを趙統は槍で薙ぎ払う。
「我が名は趙統! 侵略者ども、ここから先へは1人たりとも通さぬぞ!」
死への恐れはない。
敵と相対し、感じるは高揚感のみ。
武人とはそういう生き物であった。
雲霞の如き魏軍を相手に、趙統の最後の大舞台の幕が開く。




