7通目:楽園炎上
from.ケイン
煙のカーテンを突っ切るようにして現われた黒外套に、少し驚いた。
どうやって防いだのか、傷を負った様子も無く向かってくる。僕よりも素早い身のこなしは、肉体強化を重視しているからだろうか。それとも地力が違うのか。
鍛えられた肉体を持つ術者がオーバーライドを行なった場合、より強靭な身体にし易かったり、消費するエーテル量の低減が見られる傾向が有る。世界鍵を使えたところで、普段からの鍛錬を怠っていれば得られるものは少なくなるのだ。
ますますただのゴロツキではない。明らかに熟練した世界鍵の使い手。だとするといよいよ襲われる心当たりが無くて混乱するが、のんきに理由を聞いていられる雰囲気でもない。
近づいてくる黒外套に向かって右手を振るうと、自分の周囲に炎の壁を立ち上がらせた。一足飛びに間合いを詰めようとした黒衣は炎を目前に制動をかける。
その壁から突き出した僕の燃える腕が、すんでのところで強引な跳躍によってかわされる。タイミングはピッタリだったのに。やっぱり肉体の強度や速度がケタ違いだ。でも。
「近づいてこられないんじゃな!」
再度、右手を中空に振るう。掌の軌跡をなぞるようにして、僕の意思に反応して形作られる炎の矢。煙の隙間に見える黒衣めがけて片っ端から矢弾を打ち込んでいく。
黒外套は距離を詰められず、飛び道具を使う様子も無く僕を上から見て円を描くように遠巻きに避け続けている。最初の火球を防いだのなら同じようにこの火矢の群れも防げそうなものだが、それもしない。消耗を嫌っているのか。だとすれば好都合だった。一見すればこちらが消耗するばかりの状況。このまま撃ち続ければ、アイツは屋上をぐるりと一周して同じ場所に戻るだろう。屋上の入口、最初に火球を撃ち込んだ場所へ。そこで仕掛ける。
罠は最初に仕込んである。偽装に気づいていなければ、あいつはあれをただの炎の弾だと思っているはずだ。
『エーテルの連続使用による負荷が蓄積しています。注意してください』
聞き慣れた声での、世界鍵からのアラート。このまま嵐のように撃ち続ければ遠からず弾切れを起こすが、問題無い。その前に決着がつく。
黒外套が屋上の入口に戻ってきたところで、いざ仕掛けようと思った瞬間だった。
「擬似精霊を使っているのは知ってたが。またえらく可愛い声にしてるな」
声をかけられた。思ったほど低くない声。正対して改めて見ると外見もさほど歳を重ねているようには見えない。僕より少し上あたりか。それよりも。
僕の精霊の声を聞かれた!?
「……っ!? うるさい!」
リンクしていない相手の念話を聞き取ることは通常ならばできない。それこそ盗み聞きに長けた術者でもない限りは。
相手の感知能力の異常さよりも、その声を笑われたと思い激昂して右手に力を込める。マヤ・ホナミ。憧れ続けた先輩のものを模した声を。
赤い光が眩しいほどに大きくなり、一瞬で拳を炎が包み込んだ。僕の感情を熱量に変えるように、伸ばした手に身長ほどの炎の塊が生まれる。
最も、それで作戦を忘れるほどでもなかったが。
「凍れ!」
僕の声に反応して、最初に打ち込んだ因子が活性化する。最初の火球の着弾地点に留まっていた、周囲へ燃え盛るほどの熱量を与えた分だけ冷え切っていた空間を開放する。結果、黒外套の足元が凍りついた。床に霜が走り、靴が貼りついて動きを止める。
そこに特大の火球が放たれた。予想以上に盛大な爆風が煙をともない、こちらにも襲いかかる。
「くっ……」
腕で顔を庇い風圧に耐える。思ったより時間をかけて、煙が少しずつ晴れていった。煙の量が多すぎる。思ったより彼女の声を聞かれたことに焦ったのか、やりすぎてしまったようだ。屋上の壁は崩れ、階段があらわになっていた。倒れている人影。いくらなんでも死んではいないはずだが……
「……え?」
煙が晴れていき、その姿が目に入った。
服が違うことに動揺する。女生徒の制服。他に人が居るはずがないのに。
柔らかな感じのするセピアの髪色。
うつ伏せに倒れていても見間違いはしない。いつもその背中を追いかけていたから。
「………… 先輩?」
床に、広がる赤が見えた。