3通目:羨みと哀れみと
from.パトリシア/■■■■
『しばらく頭の上を貸してもらうぞ。詳しい説明は後でするとして、取り急ぎキミの身体が無茶をしないよう調整させてもらう。また天井に頭をぶつけたくは無いだろう?』
「そ、そんなことができるんだ…… お願いします」
話し声を聞きながら、遭遇した猿の化物に空圧弾を続けざまに叩き込み排除する。追加が来ないことを確認してから、空いた手でイツキに向けて手招きをした。
後ろからついてくるイツキの頭の上には、ストラスのアバターが乗っている。頭に梟を乗せたままご機嫌な顔で歩いてくるイツキはなかなか微笑ましい。
(来訪者って、もっとヒョロいって聞いてたんだけど)
見たところ同じ年か、少し上。不細工ではないが格別美形と言うわけでもない。特徴の少ない男だった。
こちらの純人族と比較しても中肉中背と言っていいだろう。何かやっていたのだろうか。
習った通りであるならば、日常的に危険の伴う生活をしていたわけではないはずだけど。
冷たいねずみ色の通路を出口に向かい移動する間、私がたまに現れる猿の対処を、ストラスがイツキへの事情説明を担当することになった。
他に選択肢は無い。アバターとなったストラス自身には戦闘能力はほとんど無いが、こういうやり取りには向いている。私はその逆。チームとしてはよく出来ていると思う。
会話に参加しないのは、別に彼と話したくないからではない。たとえ彼に特殊な事情があったとしても、彼が私の持たないものを持っていたとしても、別にそれを羨んだり拗ねているわけではない。そのつもりだ。
単に、そんな気分になれないだけ。
「つまり、ストラス達はこの研究所に残っている目ぼしい物を漁りに来たと」
『うむ。もう所有者の居ない施設などから、価値の有る物を回収するのがパティの仕事だ。私はその補佐を行なっている』
ストラスは、興味を引きそうな当たり障りの無い話へと誘導している。それでいい。さっきのように尋常でない力を発揮されれば手に余るだろう。
(このユルい雰囲気だとその手の心配は要らなさそうだけど)
とっくの昔に禁止されていた異世界人召喚を、近年まで秘密裏に行なっていた〈戦神の国〉。その領域に入るに当たって読まされた資料を思い出す。
いわく、異世界人 ――来訪者。とりわけ〈火の国の民〉と呼ばれる彼らは、この国に召喚対象として狙われてきた。
異世界の存在を疑問視しているにもかかわらず、いざ召喚されるとその多くが召喚先に対する強い好奇心を示す傾向にある。
勤勉で、聞き分けが良く、異郷の地を楽しもうとする者も多い。
最もそれは〈戦神の国〉の召喚陣の性質にも理由がある。
エーテルに親和性が高く、元の世界でさほど幸福ではなかった者が優先して召喚対象に選ばれるのだ。強大な力を持ち、己の故郷に帰りたがることもなく、異郷の地で力を振るうことに楽しみを見出そうとする。
(私がどうしても欲しいと思ったものを、きっと彼は持っているのに)
このモヤモヤした感情は何なのだろう。
イツキの足を見る。さっきの走っているときの満足げな顔。自分の足が満足に動くことを知った時の狂態。そして今の幸せがにじみ出てきそうな弛緩した雰囲気。
その源泉がどれくらいの深さだったのか、想像せずにはいられない。きっと彼はこの世界を、自分に幸せをもたらす夢のような場所だと思っているのではないか。それだけに、気が重くなる。この地は。この世界は。
「光が漏れてる扉がありますけど、あれ出口じゃないですか?」
『うむ。ここまで来れば安心だ。さっさと宿に帰って一休みしよう』
間違っても幸福の地などではないと伝えなければならないのに。
『コラ、私を落っことすな! 急に走るとまた痛い目を見るぞ!』
「スイマセン、でも早く外を見てみたくって!」
結局、出口へと駆けて行くイツキを静止することは出来なかった。
この研究所は山腹にある。扉を開けて、崖のそばまで行けば〈戦神の国〉の全貌を見下ろすことが出来る。
国を引き裂いた生々しい傷跡や、化物が巣食う廃墟を目にしたとき。彼はどんな表情をするのだろうか。
それを見ることが、なんだかひどく辛いことのように思えて。
「そのまま崖から落ちたりしないでよ?」
結局、走り去る彼の背中にそんな悪態をつくのが精一杯だった。
* * * * *
「ちゃんと報告を上げてるのには感心するが……〈火の国の民〉か」
活気ある世界の外側を覆う暗闇で、オブザーバーを通して世界記を読む。そこに刻まれた報告は、新たな波乱を予感させるものだった。流し読みで済ませるつもりで向けた意識が留まる気配を感じたのか、マスターが不満げな念を送ってくる。
ダイバーの命綱となるオブザーバーとのリンクは、自制しないと己の思考を発生と同時に接続先へと伝えてしまう。便利なばかりでもないが、己の存在が惜しいのならば間違っても断ち切るわけにはいかない。混沌に沈んでなお浮かび上がってくるための蜘蛛の糸。
「情けないことに、今は全力の半分も出れば御の字だ。相手の情報を得ないことには勝負にもならんだろう。あの子の戦果は後でじっくり拝ませてもらうとして、師匠としてはせめて手土産くらい用意したいもんだ」
あるいは、火種と言う意味ではこちらのほうが大きいかもしれない。
無事に連れて帰ることができればの話だが。
『……侵食率が98%を超えた。失敗したら後は無い』
あいまいな思考でも大意の伝わるこの状態で、マスターは俺に自分の意思を言葉という形に整えて伝えてきた。不安の表れだろう。
従僕としては情けない話だ。しっかりしなければ。
「世界樹とのリンクが安定し次第検索をかけてくれ。相手の手札が少しでも見えたらそれだけ生還率が上がる。頼りにしてるぜ」
間違っても、見捨てておけばよかったなどと思わせてはいけない。マスターの心に傷を負わせないために戦う。あるいは不詳の弟子のために。十分な理由じゃないか。
「罠の目星が付き次第仕掛ける。ご安心を、マスター。これくらいピンチに数えるまでも無い」
こんな軽口でも少しは安心を与えることが出来たのか。相方が役割に集中するのを感じる。こちらもそれに倣おう。
この世界の主に気づかれぬよう、深く静かに潜行する。