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スターゲイザー 閉じた世界の来訪者  作者: Reverse.txt
1冊目:ハロー・ワールド
2/224

1通目:おやすみなさい。おはようございます。

from.樹 心一朗

走る。走る。走る。

僕は一面の草むらの中を駆けていた。透き通るような青空。遮る雲は無いけれど日差しは柔らかくて、身体を優しく包むような風が暑さを忘れさせる。絶好のランニング日和。

何も考えず走っているだけで幸せになれるというのも我ながら易いもんだなあ、なんて思うけど。そんな考えさえも風に乗って頭からこぼれていくみたいで。

どれくらい走ったろう。走りすぎて頭が働いてないだけかもしれない。


「うっわ。すっごい幸せそう」


声が聞こえるまで、走る先にたたずんでいる少女に今まで気づかなかったのはその証拠だろうか。

何だろう、変わった格好をしている。半袖半ズボンはいいとして、妙に硬そうな上着というか胸当てはなめし革じゃないだろうか。胸当てである。上着とかジャケットじゃなくて。

あと、右手だけ妙にゴツい手袋をしている。というかあれは小手とか、ガントレットとか、そんなものじゃないだろうか。胸元とか腰とかに色々小物が付いてるっぽい。


コスプレ? いや、待て。重要なのはそこじゃない。


肩辺りで切り揃えた栗色の髪やぱっちりと開いた目。何よりズボンの裾から覗く引き締まったカモシカのような足に視線が釘付けになった。なんというか、タイプだった。これはもしかして一目惚れというやつだろうか。

常に後悔の無い生き方をしようと固く誓った僕としては、声をかけずに走り去るという選択肢はこの時点で無くなっていた。

……はて、なんでそんな事誓ったんだっけか。まあいいや。

近づくまでの数秒の間に、茹った頭で考えた言葉を玉砕覚悟で口にする。


「僕と一緒に走りまぜぬブッ!」


全部言い終わらないうちに、身体をかわし踏み込んできた少女にクロスカウンター気味にぶち込まれたあの硬そうな右拳で、僕の言葉と意識は見事に砕けた。




……砕けて。

頭の上で聞こえる声に気づくまで、どれくらいかかっただろう。


『何故殴ったりしたのですかね』


「いやだってなんか怖かったし」


少しこもったような性別の判然としない声と、子供っぽい声。


『あの中での出来事は基本的には現実に影響はありませんが、精神的な面においては必ずしもそうとは言えません。彼の記憶に残っていれば後の関係に悪影響を与えますし』


「あーもーうるさいなー保護者かお前はー」


『一応そのつもりで同行しているのですが』


僕は仰向けで寝ていて、その頭の上で口論だかをやっているらしい。

煩いのはこっちなんだけど、という思いを込めてうなり声をあげながら、右手で目蓋を擦りつつ上半身を起こす。


「あ、起きた。大丈夫ですか? 痛かったり気分が悪かったりしませんか?」


目を開けると、さっき僕の顔面を殴りつけた少女がいた。

寝起きでぼんやりした頭をどうにかはっきりさせようとしている間に、心配げな言葉を次々と投げかけてくる。なんとも白々しい。

声を荒げかけたところで、ここがどういう場所かに思い至り声を押し殺した。決して目の前の少女の見た目が好みだからとかいう理由ではない。ないはずだ。たぶん。


「殴りつけといて痛くないわけが ……あれ?」


痛くなかった。比喩ではなく鼻っ柱をヘシ折られた気がしたのだが、痛みは全く感じられなかった。それよりも、視界に入ってきたもののほうが気になって、目を凝らした。

白い壁に、薄い灰色の線で不思議な模様が描かれている。どっちを向いても同じだった。壁面にびっしりと描かれたそれは手書きのような印象を受け、もし一人の人間が手で描いたのだとしたらその人の心を心配してしまうような偏執的な密度と禍々しさを感じさせる。

間違っても、僕が居る病室の壁はこんなことにはなっていなかったはずだ。


「…………え?」


そこで気づいた。そもそも僕は病院で寝ていたはずだ。

硬い感触に下を見て、床に直接寝かされていたことが分かった。布団どころか敷物も何も無い。患者を床に寝かせるなんてどんな病院だ。

さっき草むらを思うまま走り回っていたのは夢に違いない。僕にそんな事ができるはずがない。

だとすると、夢の中の出来事を心配している目の前の少女は何なのだろうか。そして。


「あの。ここはどこなんでしょうか」


沈黙の後に頂いた返事は奇声だった。


「うわぁああやっちゃったああぁ!」


僕の言葉を聞いた途端にくずおれる少女。


「ぶん殴っていきなり記憶喪失にさせたとかもぉどうしよおぉお!」


「いえ、あの」


床に向かって悲嘆にくれている。何なんだろう。


『落ち着けパティ。彼はこの場所が何処か分からないと言っただけだ。記憶を失ったと決まったわけでは』


「師匠がいけないんだから! 変なのはとりあえず顔面か股間殴って黙らせろっていうからあぁあ!」


なんだか色々な意味で酷いことを言いながら頭を抱えてうずくまる少女だが、その会話の相手が見当たらない。

姿は無く、声だけが少女の右手あたりから聞こえるようだ。携帯電話でも握りこんでいるのかと思ったが、ちょっとそうは見えない。


少女は頭を抱えた相変わらず床に向かって言い訳じみた呻き声を出している。このままでは話が進まない。電話の相手は冷静なように思えるし、そちらにも聞こえるようにハッキリした発音を心がけて、落ち着いて丁寧に話しかけてみよう。

さっきの物騒な発言を思うと、できれば距離を取りたかったが ……それでこちらの言葉を正確に聞き取れなくなっても困るし、そもそもこの状況では僕は満足に移動できない。


「ええと。は、始めまして。僕は(いつき)心一朗(しんいちろう)といいます。その、パティさんですか? あと携帯の向こうの方も」


「ふぇ?」


「状況が分からないので、色々とご説明願いたいのですがよろしいでしょう…… か……?」


「…………」


何だろう。パティと言ったか、彼女が顔を上げてくれたのは良いのだが。沈黙が重い。何かマズい事を言ってしまっただろうか。


『ケータイ。イツキシンイチロウ少年。君は今ケータイと言ったかね』


「え? あ、ハイ。違いましたか?」


パティが右手を持ち上げ、それに話しかける。手の平を見るが、やはり携帯電話のようなものは持っていない。金属質の硬そうな小手に直接話しかけているように見える。


「ねぇ、ストラ。ひょっとしてこっちに来る前に習ったヤツ?」


『キーワードのひとつだな。このままでは話しにくいだろう。パティ、アバターを出す。いいね』


「あー。うん」


彼女と僕の目の前に持ってこられた右手が、突如淡い光を放ち始めた。光る糸が小手から湧き出て、手の甲の上に寄り合わさって何かを形作ろうとする。


「ぅえ!?」


僕が変な声をあげる間にもそれは大きくなり、人の頭くらいある梟の形を取り始めた。その身体が放つ光は徐々に収まっていき、黒く丸い目や薄茶色の羽根が明らかになったが、生物的な印象を受けない。CGでも見ているようだった。


『初めまして、イツキシンイチロウ少年。私はストラス。君の目の前にいる子、パトリシアの持つ世界鍵(せかいけん)に宿る純精霊だ。今はパトリシアを主人としている』


「はあ。どうも。イツキでいいですよ」


口元をもごもごさせながら言い難そうに僕の苗字と名前を続けて言う梟にそう返して、丁寧な挨拶に頭を下げた。

しかし、彼の言っていることがどうも分からない。精霊? そもそも梟の口で日本語が喋れるのか? 混乱している僕をそのままに、梟は話を続ける。


『ではイツキ。早速ですまないが、まず質問させてくれ。世界鍵。精霊。エーテル。これらの単語に聞き覚えはあるかな?』


「…………」


なんだかいきなりゲーム用語のようなことを言われ、思考が固まってしまった。

さっき聞いた単語のほかに現実の辞典で見た単語も混ざっているようだったが、どの道詳しくは知らなかった。まさかゲームの話をしたいわけでもないだろう。首を横に振る。


『では。テレビ。冷蔵庫。洗濯機。このあたりの単語はどうか』


三種の神器じゃないか。いやこの呼び方はともかく、知らないのはむしろ変わっている。ありえないだろう。

馬鹿にされているのだろうかと思ったが、見た目に反して口調に真剣さを滲ませる梟にそうとも言えず、首を縦に振る。


『……確定だな。イツキ少年、落ち着いて聞いてくれ』


ここまでくると、どうしても漫画や小説で何度も見た流れを思い浮かべずにはいられなかった。まさか。馬鹿らしい。目の前の喋る梟の時点ですでに相当馬鹿らしいと思うが、いよいよどうかしている。

ひょっとしてまだ夢が続いてるんじゃないか。それならさっきの少女の申し訳無さそうな顔や態度も、まあ説明がつくというものだ。同じ夢の中の登場人物ならば。

そんな考えをよそに、梟はおおむね僕の予想通りの妄言を吐いた。


『ここは、君たちの言葉で言うところの異世界だ』


…………。


「うっそだぁ」


乾いた笑いとともにこぼれた僕の言葉は、金属同士をぶち当てるような大きな音に掻き消された。

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