紙片:ウェルカム トゥ
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僕は扉を押し開いた。埃っぽい空気を突き破るように、建物の外へ駆ける。
芝生のような短い草の間に道らしきものが見えるのを無視して、そのまま正面へ。暖かい日差しのなか、街を見下ろせるという崖のほうへと走る。
かなりのブランクがあるはずなのに、息の苦しさは全く無い。それどころか、気を抜くと身体が何処かへ跳んで行ってしまいそうだ。
自分で思っているよりも街の景色を楽しみにしているのか。それとも、走ることがただひたすらに楽しいからか。
入院患者が着るような飾り気の無い薄い青色の服にはずっと陰気な印象を受けていたけれど、走るのに邪魔にならないというだけで好きになれそうだ。
「そのまま崖から落ちたりしないでよ?」
僕とはまるで違って、テンションの低い旅装姿の少女が後から声をかける。そりゃそうだ。彼女にとっては珍しくも無いのだろうから。
でも僕にとっては違う。何と言っても異世界なのだ。
マンガや小説で何度も読んだような展開でも、実際に体験するとやはり感動が違うのだろう。さっきから鼓動が収まらない。
いや、きっと。今の僕には大抵のものが眩しく見えるのだろうけれど。
彼女の声を振り切るように崖まで駆け寄りたいところだったが、まだ何か言っているので早歩きくらいまで足を緩める。
「あんまり期待しないでね。……たいてい、外を見たらガッカリするものだって聞くし」
僕たちのことを言っているらしい。どういうことだろう。
さっきは聞いても答えてくれなかったし、今もまた言葉を続けようとはしない。まあ、見たほうが早いからだろうが。
視界が開けた。遠目に見える街は。
長大なビルのような建物は真ん中から折れて
所々に地割れが走って道や建物をぶった切り
隕石でも振ってきたのかというような大穴が開き
人の住む気配を全く感じさせない。
そんな無残な姿を、青空の下に晒していた。
呆然としている僕に、旅装姿の少女は哀れみを滲ませた声で言う。
* * * * *
何もかも終わったと思った。
僕は右腕を失った。憧れていた彼女を失った。
もういいだろう、と思ったけれどまだ足りないらしい。
転がった僕の右腕が。倒れている彼女が。校舎の屋上が。夕焼け色に満ちた空が。何もかもが、白い裂け目に満たされ、砕けて、消えていく。
世界が真っ白に染まっていく。
「目覚めの時間さ。元守衛」
まるですべてが書き割りであったかのように崩れてゆく。
そんな中で、さっきまで争っていた黒外套の男だけが倒れた僕を見下ろしていた。
その姿にも徐々に白いひび割れが入っていくが、彼女のように眼に宿る意思の光が消えることは無い。硝子玉のような虚ろを見せる彼女の眼とは違い、男の目には感情があった。最もその時は、それがどのようなものかなど分からなかったが。
「元?」
「守る門が無くなったんだ。仕事も無くなったに決まってる」
何を言っているのか分からない。いや。
……言っていることは分かっているのに分かりたくない?
僕は何を考えている? 自分の心が分からない。
混乱している僕に、黒ずくめの男は哀れみを滲ませた声で言う。
――ようこそ、パンドラの箱の中へ ……と。