part1‐6
雪は、夢を見ていた。
「兄さん、楽しみですねっ」
「あぁ、そうだね」
これは、妹の乃亜と一緒に学校から帰っている時だったか。文化祭を楽しみにしていたのを覚えている。
夢の、場面が飛ぶ。
「兄さん、逃げてください!」
「乃亜!?」
これは、乃亜が死んでしまう少し前。この後、乃亜は犯罪者によって深手を追わされてしまう。
また、夢の場面が飛ぶ。こんどは、その犯罪者が取り押さえられて瀕死の乃亜が話しかけてきているところだった。
「にい、さん…」
「乃亜…!」
にいさん、と呼んだ乃亜はにこりと笑みを浮かべた。痛いのを、苦しいのを、死ぬ怖さを全て押し込めて、笑顔を浮かべる。
そして、最後に乃亜が告げた言葉は--
「ぜ、たいに、---くださいね…」
「……乃亜!」
飛び起きた雪は辺りを見渡す。見渡しても、いつもの誰もいなくなってしまった家の風景が広がっているだけだ。
「夢か…」
雪は呟いて起き上る。壁に掛けられた時計の針を見て--顔色を変えた。
時間割は昨日に済ませていたので大丈夫。制服を着て、魔刀をベルトに吊って、鞄を掴んで家から飛び出す。勿論施錠も忘れない。が、雪は朝食を忘れて行ってしまったのだった。
遅刻ギリギリで教室に滑り込み、自分の机に突っ伏す雪。朝から過去の夢、寝坊、全力疾走と疲れてしまう事を連続でしてしまった。
数十秒後に九十九が入室し、朝のSHRを始めた。
だが、雪は今日の連絡事項やその他を聞き流して、今日の朝見た夢を思い出していた。その時、最後に乃亜が言った言葉はなんだったか。それをひたすら考え続けていた。
瑠夏の言った通り、『死なないで』と伝えたのだっただろうか。それとも、もっと別の事を伝えていたのだろうか。
何故か、雪の記憶からは「ぜ、たいに、---くださいね…」の「---」の部分が思いだす事が出来ない。まるで、霧でもかかったかのようにこの部分だけが雪の記憶から抜け落ちていた。
「…思い、出せないな」
そう呟くのとSHRが終わるのは同時だった。九十九が教室から出て行き、雪は小さくため息を吐いたその時、少しふらついたのと頭痛を感じた。
(まぁ、大丈夫かな…)
そう思い、余り無理をしない様に机に突っ伏していると、肩を叩かれる…というよりも、触れられると言った方が正しい表現で誰かが雪を呼ぶ。
「…雪」
「紫音…? どうかしたの?」
「えと、ね…」
紫音が話した事は、昨日瑠夏に話していた事とほとんど同じ事だった。ただし、雪の寝ていたところに突っ伏して雪の温もりと匂いでぼーっとしてた事は勿論言っていない。
「うぅん…。 本城先輩がそう言うなら大丈夫だと思うけど…。 苦しくなったりしたら、入ってくれればどうにかするようにするよ」
「ん、そうする」
紫音が席に戻ったのを確認して、雪は頭を押さえる。先ほどよりも頭痛が酷くなっている気がする。
その後雪は、1時間目、2時間目となんとか授業をこなしたものの、3時間目で限界近くなってきた。得意分野の魔装についての授業なのにも拘らず、さっぱり内容が頭に入ってこない。回答者として指名された時は、自分の持つ知識だけでなんとかしのぎ、椅子に座る。
その様子を、紫音はじっと見ていた。得意分野では雪は手を抜くような人物でない事は昨日の授業を見ただけでも解る。だが、今の雪は正解80%という回答しかしていない。
さらに、校内案内の時は簡易地図を書いていて、授業ではノートをとって真面目に受けているのが昨日までの雪だったが、今日はその手が動いていない。
もう1つ上げるなら、先程立ちあがった時にふらついていて、座った後も授業を上の空で聞いているような感覚があった。
(…雪、体調悪いのかな)
紫音は先日行った生命力吸収によって何らかの症状が出てしまったのではないか、と一瞬不安になったが、図書室にある魔法学の本にはそんな事一言も載っていなかった。
よって導き出される答えは自然と1つになる。どう考えても風邪をひいているのだ。
そこまで考えた紫音は挙手した。
「ん、穂坂。 どうした?」
「せ--白石君が、具合悪そうにしてます」
その紫音の発言も耳に入っていないのか、雪はただ俯いて頭を押さえている。
「む、白石。 大丈夫か?」
「…ぅぅ」
先生がその事に気付いて雪に声を掛ける。だが、何の反応も見せずにただ苦しげに呻くだけだった。
それを見かねた紫音が立ち上がり、雪の元へと近寄って背後からその肩に触れる。
「っ!?」
「…熱い。 熱がある」
「むぅ。 気付けなかったとは、不覚だった…。 保健委員は…まだ決まってなさそうだな。 では、白石と中が良いのは--」
『穂坂さんです』
見事にクラス中の生徒の声がシンクロした。先生の視線が雪の隣にいる紫音に向いたので黙って頷き、雪に肩を貸して教室から出た。雪は歩くのもままならない様で、紫音が支えていなければ恐らくその辺で倒れていた事だろう。
なんとか保健室までたどり着いた紫音達。扉をノックし、保険教師に出て来て貰い現状を説明して雪をベッドに寝かして貰う。
「今日の授業は午前だけだ。 昼休みには私は帰ってしまうから、此処の施錠は任せるよ?」
「解りました。 では、一旦これで」
紫音は保健室を後にして教室に戻った。
最後の時間の授業は、紫音も雪同様に一切集中できずに終わった。保健室で寝ている雪の事が気になって仕方が無かったのだ。
(…雪の所為。 今度、勉強教えてもらお)
そんな事を考えながら保健室の扉を開く。保険の教師はもう帰った様で、しんどそうな顔をして眠っている雪の姿しかなかった。
紫音は近くの椅子を引っ張って雪のベッドの前に座る。起こしては不味いと思ったので静かに雪の額に掌をのせる。
(…まだ、熱い。 一体、何時から風邪ひいてたんだろ)
そんな事を考えながらぼーっと雪の頭を撫でていると、放送が入った。
『魔導審判補佐の2人。 休みにしても一言欲しいので校内に残っていたら取り敢えず魔導会室に来てください』
「伝えるの、忘れてた…」
紫音は雪の頭を撫でるのを止めて立ちあがり、報告に行くために保健室の扉に手を掛ける。
その時、
「…ぅう、乃、亜っ」
「…雪?」
切なそうな、悲しそうなその声を聞いて紫音が振り返る。紫音の位置からは雪の顔が見る事が出来た。その顔を見て、紫音は眼を見開いた。
--雪の閉じられた瞼から、涙が零れていた。
紫音は吸い寄せられるように雪に近付く。もう、報告の事など頭から抜け落ちていた。
再び先程座ってた位置に座り、今度は雪の手を握りしめる。
「乃亜って言うのが、誰かは解らない。 でも、大丈夫、だよ…」
「………」
紫音は、雪の手を胸に抱いて、ただひらすら大丈夫、大丈夫と呟き続けた。
暫くすると、扉をノックする音が聞こえた。反射的に紫音は気配探知を使い、扉の外にいる人を確認する。
「…本城、さん?」
『あれ、その声は紫音ちゃん?』
扉が開かれ、瑠夏が顔を出す。雪がベッドで寝ている姿を見て、若干その目を鋭くしたが、直ぐに元に戻して首を傾げる。
「白石君、どうしたの?」
「今日の3時間目くらいに解ったんですが、非常に高い熱を出してます」
「え…」
瑠夏が雪に触れる。その時、紫音の胸がチクリと疼いた。
「本当だ…。 熱い…」
「その3時間目の途中から今まで、目を覚ましていません」
「大丈夫かな…」
紫音は雪が口にした『乃亜』という名前の事を瑠夏には伝えなかった。何故か、伝えたくない気持ちが紫音の中に存在した。
「…それで、紫音ちゃんはもう生命力吸収したの?」
それを言われて、ようやく紫音は気付いた。いつもの時間など、とっくに過ぎている事に。
「え、あれ…。 吸ってないですけど…。 あれ…?」
「無意識に白石君から吸ってるって事は…なさそうだね」
「おかしいです。 いつもはあんなに…!」
「白石君の傍にいるからかもね。 それとも、昨日言ってた衝動が完全に勝ったのかな?」
「それは--解りません…」
紫音は気まずそうに眼を逸らし、雪の頭を撫でる。もう片方の手は、しっかりと雪の手を握っている。
その様子を見ていた瑠夏は、微笑ましそうにその紫音の姿を見ていた。
「…それじゃ、私は皆に伝えてくるね。 白石君の事、お願いするね」
「言われずとも」
「そっか。 じゃあ」
そう言って瑠夏は保健室から出て行った。紫音はその後ろ姿を見て何故か安堵の息を吐いた。
2人きりになると、紫音は自分の変化に気付いた。あまり触れていても起きてしまうから、と手を離したりすると、急激に雪に触れたくなる。振れた所から生命力を吸収しているわけでもないというのは確認済みだ。なら、どうして雪に触れていたいのか。離れれば離れるほど、もっと触れたくなるのか。
今の紫音には、それが何かを知る事は出来なかった。が、その思いは強くなって行く一方で--。
* * *
雪は目を覚ました時にぎょっとした。
まず、19時を回っていたからだ。
次に、隣で手を握りながら紫音が寝ていたからだ。
「え、と…。 一体これはどういう…」
「すぅ…」
雪が手を離そうとすると、痛いくらい強く握りしめてくる。雪はあまりしたくないのだが、紫音を起こす事にした。
「紫音…?」
「…ぁぅ? せつ…?」
寝ぼけているのか、子供の様な喋り方で此方を見ている。そして、そこでぼーっとしたのが雪の間違いだった。
「っ!?」
「せつ…、せつ…!」
急に押し倒され、全身を使ってベッドに抑え込まれた雪。咄嗟に魔法を使って抵抗しようかと思ったが、急に力が抜けて上手く魔法を具現化する事が出来なくなった。まだ熱の影響が残っていたのだろう。
「今、何をしようとしたの…? 私に、魔法を使おうとした? なんで、どうして?」
「紫音…?」
雪は紫音の様子がおかしい事に今更ながら気づいた。普通は抑え込まれた時点で気付くのだが…。
紫音の目に光が宿っていない。虚ろの目をして、雪を抑え込んで質問してくる。何故、どうして、と。
「触れてたいだけなのに、どうして私に魔法を向けるの? なんで抵抗しようとするの? なんで--」
雪は直感的に理解した。紫音は何か雪に対する衝動の様なものを感じると聞いた。恐らく、それと元の吸収欲求が混ざりあったのではないだろうか。
未だに、何故、何故と繰り返し問う紫音。雪は突破口を1つしか見つけられない。
それは--
「なん--あっ…」
「ごめん、正気に戻ったら土下座でもなんでもするから…」
抑え込んでくる紫音を抱きしめた。あちらが触れてこようとして来たのだから、此方から触れてやれば取り敢えず質問攻めは終わると踏んでの行動だった。
「せつ…」
紫音も嬉しそうな声を出して雪に抱きつく。今ここで下手に行動を起こしたら恐らくまた何かしらの質問を半永久的に繰り返されてしまうだろう。だから雪は大人しく衝動が収まるまで紫音を抱きしめ続けた。
暫くすると、紫音が正気を取り戻したのか恥ずかしそうに「雪。 もう、いい」と呟いたので離した。
「大丈夫…?」
「それは、私のセリフ」
顔を赤くしながら言う。
そう言えば熱出してたんだっけ、と今更雪は思いだす。確か、紫音に保健室まで連れて来て貰ったのは覚えているのだが--。
「…うぅ。 なんか頭痛い…」
「朝から、様子が変だった。 雪が遅刻寸前なんて考えられない」
「まだ登校し始めて数日だけど…?」
「それでも、解る」
紫音は断言する様に言った。その顔には笑みが浮かんでいる。
「雪の事なら、解るから」
「…っ」
「…? どう、したの?」
「なんでもないよ」
紫音が「雪の事なら、解るから」と言った時、寒気を感じた気がした。本当に何もかも知っていると言っているような感覚を感じた。本人はそんな風に言ったつもりは無いのだろうが、雪には先程の行為と重ね合わせ、そんな風に聞こえた。
「そろそろ、帰らないと」
「…そうだね」
名残惜しそうに答える紫音。その目は正常で、意識もハッキリとしているようだが、何処かさっきの紫音と似ているところがある様な感じがする。
だが、雪には何処が先程の紫音の様に見えるのかは解らなかった。