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【1】 終章

終章 


「うわ、またヤバいじゃんコレ!」


 月曜日。


 寝坊して遅刻ギリギリで、それでも遠回りだけど和歌子ちゃん家まで行かなくちゃとダッシュしたのに「和歌子なら先に言ったけど」というおばさんのまたも不思議そうな顔で初めてケータイを開いた私が悪い――今回も。だが。


『今週は風紀当番だから先に行くね』


「だから早く言えってばお前!」


 ケータイに八つ当たりしながら、私は慌てて電車に飛び乗った。乗ろうとした。


 しかし案の定、眼の前でドアが閉まりやがった。


 ふ・ざ・け・ん・な。


『えー、駆け込み乗車はお止めくださいー。危険ですー』


 駅員、私を見てアナウンスしてるし。


 不貞腐れて私はホームで足踏みする。しても電車はすぐには来ないのだけど。


 やだなあもう遅刻決定じゃん、と焦りが頂点に達した時、ふと肩を叩かれた。


 今頃誰よ、と凄い顔で振り返った先。


「おはよう黒田さん」


「うわああっ!」


 朝から爽やかな好青年ぶりで、松葉杖をついた佐久間先輩がそこにいた。


「せ、先輩」


 思わず数歩後退したのはもちろん、あの満月の夜の一件があるからだ。


「ヤダなあ、怯えないでよ」


 そんな白い歯見せて笑われても。


「なんで、ここに」


 先輩は肩をすくめる。


「なんでって言われても、ここに入院してたんだから仕方ないよ。今日退院したんだ」


 しれっとそんな事を言う。あんたそれ松葉杖はフェイクでしょうが。


「大丈夫?」


 はあ、おかげさまで、と声が小さくなるのは仕方がないだろう。


 ――だってこの人は鴆を使って私を殺そうとしたんだよ。


「嫌われてるなあ、僕」


 先輩は苦笑する。


「僕は好んで殺生はしないんだよ。今回は王母の命で鬼卵石を回収するか抹消するように言い付かっただけなんだ」


 その瞬間に私は先輩から二メートル離れた。当然だ。


「警戒しないでよ」


 先輩がいかにも不慣れそうに松葉杖を駆使して寄ってくる。意外と演技派だ、この人。


「鬼卵石は慮外りょがいにも人に宿り、鬼雛となった。これをどうするかは、またお伺いを立ててみないとわからない。だから」


「今は命を狙わない?」


「人を眉毛の太い狙撃手(スナイパー)みたいに言わないでくれる?」


 帰国子女(しかも化け物)のくせに、やたらと世情に詳しいのはどういうことか。


「ま、いまのところは、経過観察だね。これは誰も予想し得なかったことだから」 

 先輩はまじまじと私を見つめる。私は思わず眼を逸らした。


 そんな風に物珍しげにみるの、やめてもらえないですか。


 思えば、この人はこうやってよく人の眼を覗き込んでいた。その時はドキドキするだけだったけれども、全部「鬼卵石」の観察をしていたのだと思えば納得もできる。


 ――私の目玉は朝顔か!!


「じゃあ、あの境内で枳首蛇に襲われた後、倒れた私を襲わなかったのも?」


 うん、と先輩は頷いた。


「さっきも言ったでしょ。人に宿った鬼卵石が鬼雛になった、これは前代未聞だから。おいそれと殺していいものかどうか、判断つかなかったからだね」


 判断ついてたら殺してたのかよ、という不服は横を向いてこっそりと。


 だがその瞬間、さっきの言葉が甦った。


『人に宿った鬼卵石が鬼雛になった』


 はっと我に返って尋ねた。


「いくつか聞いてもいいですか?」


「なんなりと?」


 面白そうに先輩は頷く。


「私の眼って……やっぱり、そのふ、ふ」


「孵化したんだよ」


 あっさりと言う。眼の前が真っ暗になる。


「……私、のっとられるんでしょうか。鬼雛に」


 身体は勝手に動いていた。 聖さんの落とした刀を拾ったのも、それを雀に突き刺したのも、全部私の意志じゃない。


 先輩は首を傾げる。


「枳首蛇は片方の首は偽モノだと言ったでしょう。実体はほんの数メートルの蛇でしかなかったんだ。偽モノの首があの小汚い爺イだとするなら、本当の首があの雀だった。あの場所はそもそも枳首蛇の住処。だから妖力を最大限に引き出せた。他の場所ならいざ知らず、僕たちの眼さえ晦ませるほど巧妙に実体を隠せたのはそのせいだよ」


 私は眼を閉じる。


「私はそれを知らなかったのに。勝手に手が動いてた」


「だからこそ、孵化したと断言できるんだよ。鬼雛孵化の光も確認したしね」


 何かの宣告を受けたような衝撃がある。やはり孵化したのだ。


「孵化はした。だけど、鬼雛がそのまま黒田さんを乗っ取るかどうかは、わからないよ」


 そもそも人に鬼卵石が宿ること自体、初めてのことなんだから、と彼は苦笑する。


「慰めは言えない。だって僕も知らないんだから。ただ、ひとつ言えるのは」


 鬼雛も死にたくはなかったんでしょうね、と彼は言った。


「……死にたくない?」


「誰だって枳首蛇に狙われて良しとするはずがないよ。鬼雛だって自分の命を守りたかった―ひいてはそれが、黒田さんの命を守ることにもなったわけだ」


 私は眼を逸らした。たしかにそうかもしれないけど。    


 鬼雛はかえったのだ。今、自分の中に息づいている。そう思うと、自分の身ですら気持ち悪い。目玉などえぐり取ってしまいたい衝動にかられる。


 しかしそれ以上に。


「私……乗っ取られたりしないですよね」


 不安でたまらないのはこれだ。自分が自分でなくなるかもしれない恐怖。


 その一端を体感したからこその。


 先輩は微笑んだまま黙っている。返事をしないことが、正直だと思った。


 鬼卵石が人に宿ることは、これまでになかったことだ。ならば仕方がないのだろう。


 悩んでも、泣き叫んでも、誰も答えを知らないのだから。


「気の毒だけど、こう思うといいよ。君は大きな御守(おまもり)を手にしたのだと」


「御守?……何が御守なのよ!」


 彼は澄んだ高い空を見上げた。九月の鱗雲うろこぐもの並ぶ空の色は薄い。


「下位妖怪はともかく、上位の力をもった妖怪はおそらく今後も黒田さんを狙うだろうね」


「えー!?」


 釣られて空を見ていた顔を引き戻した。先輩は淡々と続ける。


「鬼卵石は満月までに()わないと意味がない。それは満月を境に孵化をするからだ。卵の状態であるなら下位妖怪でも啖らうことが出来る。卵は抵抗しないからね」


 だが、もう鬼卵石はない。先輩は眼を伏せて息を吐いた。


「今後どうなるのかはわからない。僕だけじゃ対応しきれないかもしれない。鬼雛の力は自分の身を守るためにもなるのだと、そう思って付き合うしかないだろうね」


 私は知らず右眼を押さえていた。


 この身に宿る、不気味な鬼。


「鬼雛がどう変化していくのかは、僕にもわからないから。全くね」


 乗っ取られるかもしれない。


 ――でも乗っ取られないかもしれない。


 そう思うことは、安直だろうか。逃げだろうか。


『華緒、おまえは生きて』


 聖さんの言葉が甦る。


 どれだけ不安でも、それでも生きるしかない。


 それが、彼女の遺した言葉なのだから。


 はっと気づいて先輩に尋ねた。


「先輩、聖さんは? 聖さんはあの後どうなったんですか」


 先輩は眉を顰めた。


「……君、まさかまた聖娘子と会ってた?」


 びっくりして逆に問いただした。


「どういうことですか?」


「君に聖娘子の匂いが残っている……僕たちは鼻が利くんだよ。特に僕はね。一度覚えた匂いは忘れない」


 犬じゃん、と呟きかけて、本当はこの人が妖怪であることを思い出した。


 たぶんこれのせいですよ、と私は鞄から簪を取り出す。


 銀色の綺麗な簪。見つめるだけで涙が出てきそうだ。


「聖さん、これだけを置いていなくなっちゃいました」

 

 本当にどこにもいないのだろうか。ぼんやりと見つめる隣で、先輩が思いのほか厳しい声を出した。


「悪いことは言わない。彼女のことは忘れたほうがいい」


「なぜですか?」


 むっとした。


 聖さんは私を守ってくれた。お礼すらも言わない薄情で礼儀知らずな小娘のために――彼女は、命を落としたかもしれないのに。


「彼女は私を庇ってくれたんですよ……命を賭けてまで」


 これだから女の子は、と苦い顔で先輩はため息をつく。


「ちょっとやそっとで死ぬわけがないだろう、あの妖狐が」


 弾かれたように顔をあげた。先輩は苦々しく頷く。


「こっちこそ本当に信じて欲しいんだけど。聖娘子を始めとして、あの手の妖狐は人を騙すことがあたりまえの生き物なんだよ。本能だと言ってもいい。信用させて食い殺す、これはあれらの性質なんだからね」


「……聖さんを悪く言わないでください」


 ふい、と横を向いた私に、聞えよがしの大きなため息が聞こえた。


 心が躍った。


 ――聖さんは、生きてるかもしれない!


 それは希望でしかないけれど、私は手の中に簪を握りしめていた。


 また会えるかもしれないのなら。


 今度こそちゃんと、顔をみてお礼を言うために。


 ちょうど電車が入ってくる。私たちは無言で電車に乗り込んだ。不意に先輩が口を開いた。


「王母の裁可さいかが下るまで、僕は君のそばにいたほうがいいだろうな」


「ええっ!?」


 嫌そうな表情が露骨だったのだろう、佐久間先輩は苦笑した。


「君は何か誤解してるよ。僕は無益な殺生はしないといったろ?」


「無益じゃないなら、殺すんでしょう?」


「君も頭の固いコだねえ」


「化け物に言われたくありません」


 身も蓋もない言い方を、と佐久間先輩が呟く。


「でも本当に君のためには僕がいたほうがいい」


「……私には聖さんが居ますから」


 聖さんは生きているかもしれない。ならば先輩など無用だ。


 だからだよ、と少しだけ先輩が苛立ったように語気を強めた。


「君は聖娘子のことを何もわかっていない。あの妖狐がどれだけの人間を殺してきたかを」


 その顔の真剣さに、思わず口をつぐんだ。


「『(ろう)を引きて(しつ)に入る』という言葉がある。自分から(わざわい)を招かなくてもいいだろう」


 途中から言葉は聞こえていなかった。


 端正な顔。黒い大きなひとみは、やはり化け物だとわかっていてなお、不思議な魅力に溢れている。


 勝手に口から言葉が飛び出た。


「私の傍にいるっていうのは、それは私のためじゃなくて、私の鬼雛を見張りたいからでしょ」


「もちろんそうだよ」


 あっさりと先輩は頷いて、なんだか少し拍子抜けしたような、がっかりしたような気持ちになった。


 本当なら猛ダッシュで学校まで駆け上がるはずだったのに、なんともない足をいかにも骨折していますと上手に松葉杖演技を続ける先輩に、手伝ってもくれないのかと非難され(非難されるいわれはないんだけど!)、仕方なく手を貸しながら歩いていると、完全に遅刻したらしいチャイムが聞こえた。


 本礼のチャイム。最悪だ。たぶん、もう和歌子ちゃんも教室に帰っている頃だ。


 ようやく学校前の横断歩道にたどり着く。


「うわ、ヤベ」


 しかも校門にたったひとりでしぶとく立っている風紀の先生は―副島じゃないか!!


 ギロリ、とその大仏頭(パーマ)がこちらを睨んだ。


 た、退院おめでとうございまス……。語尾が消え入りそうになったのはその眼力の凄まじさからだ。


「大丈夫だよ」


 佐久間先輩は涼しい顔でいう。


「副島先生のお気に入りだからね、僕。手を貸してもらったせいで遅刻したんですって、言えば叱られないだろ?」


「いいんですか?」


 そのくらい、と頷く顔が悔しいけれど、やっぱりカッコいい。


 あの事故とは逆に、今度は私が先輩の手を貸して横断歩道を渡り、飛んできた副島を弁舌も爽やかに、先輩が言葉でいいくるめている最中だった。


「キャアー!」


 いきなり黄色い歓声があがる。


 その場にいた全員が振り返ると、校門に面した教室のすべてから、女子が顔を出して手を振っていた。


 さらにはするすると別の教室から垂れ幕が下がりはじめた。


『お帰りなさい、佐久間先輩』


 ――どんだけ人気者なんだ、あんた。


 佐久間先輩は驚いた様子もなく、手を振っている。呆れて見守っていると、華緒、と名を呼ばれた。


 振り向くと遠くから和歌子ちゃんが駆け寄ってきていた。


「和歌子ちゃん、どうして?」


「門扉閉めるのも風紀の仕事なんだよ。朝礼後にね」


 さあさあ、と和歌子ちゃんは扉を閉める。思い扉をうんうん言いながら手伝っていると、和歌子ちゃんがそっと囁いてきた。


「なんで佐久間先輩と登校なんかしてんの?」


 和歌子ちゃんには、既に佐久間先輩の正体は伝えてある。直後『やっぱりあの男、いけ好かないって思ってたのよね』と彼女はのたまったものだ。


 それなのに昨日の今日で一緒に登校するなど、怪しむのも当然だろう。


 それがさ、と言い返そうとしたときだった。


「ほら、黒田さん来て」


 何? と睨むと、先輩が手招きしている。和歌子ちゃんと顔を見合わせて、とりあえず呼ばれたままに移動すると、先輩は私を横に立たせ、おもむろに肩に手を回した。


「何?」


 先輩はにっこりと笑うと、大きな声で叫んだ。


「僕、この黒田さんと付き合うことになりました! よろしくね」


 キャアアと学校を揺るがす大きな声が響いた。


「静かになさい!」


 手を振り回して、校舎に向かって副島が走っていく。


 唖然と口を開けた私に、彼は極上の笑顔を向けた。


「さあこれで僕は君の傍にいるしかなくなったよね?」


「な、なんてことを……」


 よろめきながら和歌子ちゃんの元へ逃げ出す。和歌子ちゃんが苦々しい顔で私を抱きとめた。


「大変ね……あんた、殺されるかもよ」


「感じてます、身の危険は」


 すでにあの女誰よ、という殺気のこもった視線が矢の様に降り注いでいるのだ。命を狙われるのが、これで化け物だけでは済まなくなったのは確実だろう。


「あンの性悪(しょうわる)妖怪!!」


 佐久間先輩は遠くでわざとらしいウインクを投げて寄越した。


 ――絶対、私、運が悪いって。


「そうかもね」


 さしもの和歌子ちゃんもついに認めた。


 波乱の予感に、回れ右をして帰りたい私の前で、和歌子ちゃんが扉を閉めたガシャンという音が。


 

 ――逃げられないぞという運命の声に聞こえた。



                            見鬼眼【1】 了


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