【4】 2章 投塩
2章 投塩
1
――長い一日はまだ終わらない。
空だけじゃなく、校門の外には犇めくように待っている無数の妖怪たちもいる。
「ちょっと待って、えーと、落ち着こう」
私は深呼吸する。
「落ち着いてないのは華緒だよ」
うるさい、と弼を黙らせてから、私は也子に向き直った。
「聖さん……天界って、崑崙って、えげつないことするんですね。あれ全部私の敵ですか」
先輩が宣戦した直後とはいえ、いくらなんでもあんなに膨大な数を。
「……華緒、よくお聞き」
也子は私の顔を覗き込む。
「あれは崑崙の神仙や妖怪ではない。あれは雑魚だ。数で鬼雛を狙いにきた者どもだよ」
その眼に強い光が浮かぶ。
「鬼雛を狙っているのは天界だけではない。それは華緒も解っておろう? 八狐子も誰ぞに唆されていたことを」
思い出した。
「八狐子だけじゃない……猙もだ。確か」
『お前は知っているのか。崑崙が鬼雛を使って何をしようとしているのかを』
「天界には鬼雛を奪われたくないって思ってる、別の妖怪がいるってことですよね」
也子は頷く。
「これまで鬼卵石は、早い者勝ちで啖らったものの力を増幅させてきた。鬼雛に至っては五山を制すると言われ、最上級の妖力を得るとされてきた。……が、此度の鬼雛については、どうもこれまでと情勢が違うようだの」
組織的な思惑が入りだしたのか、と緒方が口元に手を遣る。
「妖怪同士が手を組むなど、本来はあり得ぬ話。絶対的な力がすべての関係だからね。そこの阿呆のように、面白がって手を貸すものがおらぬとは言わぬが、それも圧倒的な力量差あっての話」
てへぺろ、と弼がおどけて舌を出す。
「八狐子に猙。妖を自在に使役し、さらにこれだけの数を動かせるものはそうそう多くない」
「それに、ちょっと気になるよね」
弼が可愛らしく首をかしげる。
「気配がないんだよ。まったく。僕も曲がりなりにも四凶と呼ばれたモノだけど、その僕ですら気配を何も感じない。……よほど遠方にいるとは考えにくいのにね」
「どういうことよ」
んーと弼が困ったように笑う。
「気配を気取られないほど完璧な変化が使えるモノは少ないよ。つまり僕レベルの力があるってことじゃない? でなければ本当に遠方から遠隔操作してるか。ただ」
弼は眼を細める。
「やつら校門から入って来ようとしてないでしょ。金毛犼と華緒との取り決めを知っているとは思えないのだけど、盗み聞きされたのか、偶然か、理由があるのか。そこからも遠くにいるとは考えにくいんだけどね」
「あ、あんたクラスの妖怪が、この辺にそうそういてたまるもんですか!!」
和歌子ちゃんが蒼白になりながらも、気丈に言い返す。そうなんだけどね、と弼も苦笑する。
「どちらにせよ一筋縄でいくようなモノではあるまい」
「じゃあ、私は崑崙だけじゃなく、そっちも相手にしなくちゃならないってこと……?」
そうだね、と全員が頷く。
「そんなー!」
先輩だけでも手一杯だというのに、さらにこれを相手にしろと!?
今日のところは僕が行くよ、と嬉しそうに弼が前に進み出る。
「華緒。覚えておいて。僕が華緒の傍にいることが、どれほど華緒にとって利になるのかを、ね」
校門を一歩出て、その瞬間に弼の双眸が真っ赤に染まる。裂けるように釣り上った口角から、真紅の長い舌が覗いた。
「ちょうど空腹だったから」
嬉しいよ、と千単位の妖怪たちに両掌を翳す。
ゴオンと、鈍い音がして、その掌からいきなり火柱が上がった。
まっすぐ平行に迸ったその焔は、スクリューのようにうねりながら巨大な龍と化し、浮塵子のように押し寄せる妖怪たちを一瞬にして飲み込んでいく。
「……すごい」
ぞっと鳥肌立つ自分の腕を押さえた。遊園地での襲われた恐怖が甦る。
可愛い姿に惑わされてはいけない。
「黒田」
思い出した恐怖によろめく私を、緒方が背後から抱きとめる。
「怖いか」
頷く。だけど、と私はすぐに首を振った。
「……大丈夫」
今、彼がしてくれていることは、私のための行動だ。
「大丈夫」
恐怖は消えてはいないけど、闇雲に怖がっていちゃ、弼の立場がない。
「今は、現段階は、アレは仲間だから。仲間なんだから」
――先輩を信じられて、弼を信じられない道理はない。
自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
背後の緒方にそれが聞こえたかはわからない。
爆炎は、一般生徒たちには時ならぬ嵐にも思えるようだ。後ろから悲鳴があがっている。
「そこ! 校舎に入りなさい! 突風で怪我をしますよ!!」
副島が怒鳴っている。
そしてあれだけの膨大な妖怪をわずか十五分ですべて呑噬せしめた弼は。
「おなかいっぱいになっちゃった」
――あどけない顔で、小さなげっぷを漏らしたのだった。
※※※
唖然とした顔でその残骸(食べ残し?)を見ているのは、私と緒方と和歌子ちゃんだけで。
也子はさすがに平然としたものだったし、弼は可愛らしくお腹をさすっている。一般の生徒たちに妖怪は見えてないから、ただ腥い大風が吹いただけに感じられたのだと思う。
……あれほどの量の妖怪を。
一瞬で片付けた弼は、早く帰ろうよ、と微笑む。
その笑顔が怖くないといえばウソになるが、ひとまず移動することにした。
たあいもない話をしながら電車に乗って移動する。降りてから不意に全員が同じ方向に進んでいることに気が付いた。
私と和歌子ちゃんと緒方と也子はそもそもが近所だ。だが。
「……そういえば、あんた、家は? こないだのはフェイクなんでしょ」
平然とついてくる弼に、和歌子ちゃんが尋ねる。以前、弼が猩猩に襲われた時(自作自演だが)和歌子ちゃんが家まで送っていったのだ。
「実はあのまま和歌子先輩ん家の二軒先の空き家に住んでる。玃猿が見つけてきたんだ」
「きも! ストーカーか!」
「いいじゃん、玃はもういないんだし。僕は華緒にしか興味ないし?」
「……あんたね」
和歌子ちゃんが睨む。無理もないだろう。玃猿という妖怪の嫁にされそうになった被害者なのだ。
「だいたい、あんたあの猿とは仲間じゃなかったの?」
「そんなわけないじゃん。さっきも聖娘子が言ってだろ? 僕と玃とじゃ、格が違う。一緒にいたのは気まぐれだよ」
死んだからって感傷はないよ、とあっさり答える。やっぱりこいつは妖怪だ、と苦々しげに和歌子ちゃんが顔をしかめた。
「どう? 華緒、僕ん家に来る? 金毛犼が家族を人質に華緒を連れていかないとも限らないよ? 家族の身の安全もあるしさ」
邪気のない顔で言われて苦笑する。
――先輩のマンションに行く羽目になった時のようだ。
「大丈夫よ。さすがに神仙が家族を手にかけることはないだろうし。ほかの妖怪が来たとしても……うん、自分でがんばってみる」
普段は自覚はほとんどないけれど、目覚めている時、鬼雛の声がたまに聞こえることがある。
危険が迫れば、必ず出てくるだろう。そして檮杌ほどではないが、たぶん。
「私、負けないと思うし」
いい自信だね、と嬉しそうに弼が笑う。
「力のあるものに惹かれるのは、妖怪の本能なんだよ。華~緒~、とてもいいよ」
「必要以上に近寄るんじゃない」
和歌子ちゃんが弼と私の間に割って入る。
「和歌子先輩のケチ! いけず!」
「うるさい」
「華緒、私が泊まろうか?」
也子が進み出た。
「……聖さん。心配ですか?」
「多少はの。鬼雛の力を疑ってはおらぬが……狗は狡猾だからね」
「私は大丈夫です。それより、和歌子ちゃんと緒方が気になりますけど」
「心配するな。俺たちに人質の価値はない」
緒方が唇を歪める。和歌子ちゃんもうなずく。
「私らは大丈夫。それより……なんかちょっと悔しいよね」
「悔しい?」
和歌子ちゃんは眉を下げた。
「あいつ、そこそこ使える妖怪だったもんね。見鬼丸もお札もくれたし、せっかくのチーム鬼雛だったのにさ。ちょっと裏切られた感、あるよね」
――裏切り。
信用していたからこそ、出る言葉だ。
「和歌子、最初から狗は狗じゃわえ」
也子は冷たい表情のまま言う。
「裏切るもなにも、あやつは最初からそのつもりであったのだろうよ。華緒に入れあげる様子があまりに真に迫っておったで、さすがに私も少々意外な気はしたがの」
「そうでしょ、ひーさん! ひーさんだってそう思ってたでしょ!?」
「……じゃが」
也子は和歌子ちゃんに向けていた苦笑をひっこめる。
「華緒、和歌子、知世。切り替えるのだよ。狗は最初から敵だった。一時、休戦して鬼雛の観察をしたおっただけのこと。休戦と提携は破棄じゃ。我らは再び敵同士になった。よいな?」
わかってる、と和歌子ちゃんも緒方も頷く。
「これで少なくとも華緒の貞操は守られたんだもの! ……そりゃこのバカはいるけどさ」
「和歌子先輩バカってひどい!」
弼の非難に、少しだけ空気が和む。也子は微笑んだ。
「味方に寝首を掻かれる憂いはなくなったのだ。これで心置きなく戦えよう。こちらの内情が筒抜けなのは痛いがの」
檮杌もおるで、うかつに手は出せまいがの、と也子は小さく付け足す。和歌子ちゃんが一瞬嫌そうな顔をしたのを私は見逃していない。苦い笑いを漏らした。
「ねえそういえば、あの麻姑って何者なの、ひーさん」
心臓がはねた。激しく脈打つ私には気づかず、也子は渋い顔をする。
「仙人だ。長い爪で知られるの。変化を感じ取る能力に長け、かつ独特の仙術を使うともいわれるな。気まぐれに人里に下りることも多く、『滄海桑田』『麻姑掻痒』など人の言葉縁も多い。実物を目の当たりにするのは私も初めてだがの」
「爪? ふうん、普通だったけどね。そういうの隠してるんだ? こっちの内情も知られてるならあっちのも知りたいわね」
調べようかしら、と物騒なことを言う。
「ダメよ」
緒方と和歌子ちゃんが、私のかすれた声に驚いたように顔を向ける。
「無茶はしないで……お願いだから」
もう一度懇願する。
「私はいいの。鬼雛の覚醒をさせた以上、覚悟は決まった。前面に出るつもりだから」
聖さんや先輩の陰で、大人しく守られていた段階は過ぎた。
鬼雛は覚醒した。
――先輩もきっと本気で命を狙ってくる。
『この僕が、あなたなんかに本気で惚れたとでも?』
あの会議室で、ようやく理解した。……自分がどういう状況に置かれているかを。
「ここからはきっとこれまでのようにはいかない。見鬼丸やお札程度で倒せる相手じゃないと思うんだ……」
先輩は強い。そしてこちらのことを熟知している。
優しい敵にはならないだろう。
本当は和歌子ちゃんや緒方にはこれ以上かかわらせたくないという思いは強い。
遊園地であれだけ傷つけたこと、巻き込んだことへの後悔の念は今も大きい。
――だけど。
何かを反駁しようとした和歌子ちゃんを、私は制した。
「それでも和歌子ちゃんにも緒方にも傍にいてほしいの。傷つくかもしれないけど、ただの我がままだけど。何もしてもらわなくていい、私なんかどんどん盾になるから……これ以上、誰にも離れて欲しくないの」
――もう「華緒」と呼んでくれる人を、失いたくない。
いきなり和歌子ちゃんが俯いた私を抱きしめた。ふわりと風が動く。
「……ごめん」
和歌子ちゃんはわかってくれるかもしれないと思った。
――欠けたそのヒトの名前を、出したりしないけど。
「絶対無茶はしない。あんたからも離れないから。絶対」
私は頷く。しゃべりながら移動したおかげで、もう家の近所だ。
「華緒。……一人になりたいのだね?」
静かな声で聖さんが言う。私は頷く。
鬼雛が覚醒した以上、いつまでも甘やかされるわけにはいかない。
「ごめんなさい」
謝らずともよい、と聖さんが微笑む。
「何かあったら、すぐに私か檮杌を呼ぶのだよ? 檮杌は難物じゃが、盾くらいにはなろうゆえ」
「失礼だな聖娘子。そもそも僕一人で十分なんだよ、ね、華緒? 僕、すぐ行くからね! 絶対僕を呼ぶんだよ! 名前をね! わかった?」
私は笑って手を振って彼らを見送った。
そして振り返り、歩きだす。
久しぶりの家路だ。なのに頭は誰かの声を反芻してばかりいる。
『お帰り、華緒』
あの声が聞きたい。
きっともう永遠に聞けない、あの優しい声を。
「未練だな」
自嘲して、手持ち無沙汰に左耳を、髪を触る。
さっき自覚したばかりなのに、もう恋心がこんなに邪魔になるなんて。
ため息をついて鞄を持ち上げる。
今日はあいにく母は夜勤だ。父もまた出張のはず。歩きながら鍵を取り出そうとして、手をつっこんだ時だった。
「おかえりなさい、黒田さん」
弾かれたように顔をあげる。
――一番会いたくない人が、一番聞きたい声で。
道路の真ん中に立っていた。
2
「璿璣とか使役とか、麻姑さんとかを寄越すんだろうって思ってました。……佐久間先輩」
「今更でしょう、黒田さん」
にこりともせずに、先輩は私を見据える。
その無機質の顔から、どうしても眼が離せない。
綺麗な眼。――たとえそこに冷ややかな色しかなくても。
「鬼雛に雑魚は通用しない。それは僕が一番よく知っています」
先輩はさっと自分の腕を獣の肢に変えた。
――右上肢。
私のために、捥げた腕。
『まだ妖力が回復していなくて、くっつくのに時間がかかるんだよ』
今朝そう言ってた、そんな腕で。
「行きますよ」
走り出す先輩に、私は泣きそうになるのをこらえて、飛び退る。
体は軽い。嘘のように。地面がトランポリンにでもなったかのように、わずかに力を入れるだけで驚くほどの跳躍ができる。
「逃げ足が速くなったものだ」
少し悔しそうに先輩が言い、そして今度は鋭い爪を光らせて長く跳躍してきた。閃いた先鋭をちゃんとかわしたつもりだったが、頬に鋭い熱が走った。
無言で頬を拭う。赤いものが手の甲に条を残した。
「……次は外しません」
爪を構えた、壮絶に綺麗な顔。こんなときでさえ、見惚れるほどに、美しい。
黄金の毛足の長い肢だって、不思議とよく似合っていて。
軽く腰を沈めてから、次の瞬間、彼は大きく跳躍する。
繰り出された恐ろしく鋭い爪。
私は咄嗟にそれをそのまま素手で受け止めた。
「っつ……うわああああっ!」
小さな左の手のひらなど、留める役目すら果たせない。
あっさりと骨を砕いて貫通する。
一気に顔に温かいものが飛沫となって迸り、先端が眼前にまで迫った。
「うああっ!」
さすがの激痛に思わず上げた声に、先輩が表情を変える。
「……なぜ反撃しない!」
ざっと乱暴な音を立てて爪を抜いて、先輩は後方に飛び退る。
私はたまらず、血の溢れる手のひらを右手で抱え込んでうずくまる。
ヒューと肺を空気が通る音がする。手が痛みにぶるぶると痙攣する。
唇を噛みしめた。
――こんなものすぐ治る。
だがあまりの激痛に失神もできない。
噛みしめた唇からも、血が流れ出したのがわかる。
怒りに任せた、檮杌のときの比ではなかった。
「僕を馬鹿にしているのか! 鬼雛は覚醒しているんだろう!」
苛立ったような先輩の声が聞こえる。
唸る痛みの中で、私は薄く笑った。
これは思わぬ好機なのかもしれなかった。
――ここには、私しかいない。
守るべき大事な人は誰もいない。緒方も、和歌子ちゃんも。
弼や聖さんを呼ぶつもりなんか毛頭ない。
私は顔をあげ、先輩を見つめる。
「……殺して、ください」
虚を突かれたように、先輩が動きを止めた。瞠目する顔が見える。
どうせ殺されるなら――。
「あなたがいい」
守ってくれる人の前では言えない。聖さんや檮杌や、緒方や和歌子ちゃんの前ではとてもこんなこと言えない。
今だけだ。
「なにを……」
「鬼雛が覚醒したのは、先輩のせいです」
鬼雛が怯えているのがわかる。反撃どころか、先輩が敵意をむき出してしていることに戸惑っている感情だって、私の中に直に流れこんできているのだ。
――だって、この子も先輩が好きなんだもの。
「先輩を助けたくて、救いたくて、彼女は泣いてた。それに私が同意した。私も、あなたを死なせたくなかったから」
「……そんなことを聞かされて、僕が手を緩めるとでも?」
思ってませんよ、と私は顔を歪めて笑う。痛みにまだ声が震えた。
「だから、鬼雛はあなたには反撃しない。そして、私もです」
私は手を押さえたまま、その場に膝をつく。道路に血が流れていく。
「あなたに殺されて終わるなら、それでいい」
――どうせなら、好きな人に殺されたい。
私は首を垂れる。
「できれば、一瞬で」
苦しみが長く続くのは嫌だった。
先輩はひどく動揺した声をしていた。
「……僕が、僕が情をかけると、でも?」
「そんなもの必要ない」
今なら、聖さんの秘密も持ったままだ。罪悪感にも苛まれずに済む。
なんてすばらしい解決方法だろう。
「鬼雛は危険なんでしょう? あなたは私を殺すという。ならそれでいい。この終わり方がいい。私が一緒に逝きますから、この子も寂しくないだろうし」
言えば言うほど、この誘惑に抗い難くなっていく。
これが一番いいエンディングだ。しかも。
――好きな人に殺されるのならば。
この人の中で、私が永遠になるのなら。
想像にうっとりする。
それは歪んだ幸せかもしれないけど。
「そんな搦め手で、僕を動揺させようというつもりですか」
「……だからそんなこと思ってないっていってるじゃないですか」
だんだんイライラしてくる。顔をあげた。
このヒトはこんなに物分りの悪い人だっただろうか?
手のひらの傷は、もう痛みもない。指を動かした。十分に動く。
私はため息をついた。
「先輩がグズグズするから、傷があっという間に治っちゃったでしょ! とっとと殺せばいいものを!」
「なっ……言いがかりでしょう、それは!」
先輩はむっとしたように言い返す。
「殺すって言ってる人にどうぞって言っただけでしょう? 何で躊躇するんですか!」
「そんな都合のいい提案、何か裏があるかって勘ぐるでしょうよふつう!」
「性格悪いんじゃないの!? なんで素直に聞けないのよ!」
「あなたと違ってお人好しじゃないんですよ僕は!」
ぎゃあぎゃあと道路の真ん中で罵っていると、そこまで、という声が聞こえた。
「金光仙、この小娘の言うとおりよ。何を躊躇してんの」
こちらもこちらで長い爪を閃かせて、隣の家の屋根から飛び降りる。
学校とは違う、少し年上の姿になった――麻姑仙。
「手を出さないでください。これは僕の仕事です」
「全うできてないくせに」
麻姑は嘲笑する。
「わかってるのよ、あなたこの小娘を殺すのが辛いんでしょ。惚れてる?」
「まさか」
さきほどまでの感情の起伏を見事に拭い去って、冷静な顔に戻って先輩が答える。
「こんな貧相でちんくしゃな子どもに、この僕が惹かれたとでも?」
あのう、本人眼の前にしてひどい言い草じゃないですか?
……もうなんか慣れてきたけどさ。
「じゃあ私が始末つけましょうか」
「娘娘」
厳しい口調が一言で彼女を黙らせた。軽く肩をすくめて、彼女は背を向ける。先輩はひとつ首を振って、私に向き直った。
「長居をしました。あなたがそんな血まみれで突っ立って、ましてやここで口論なんかしてたら遠からず通報されてしまう」
そういえば、と私は顔を拭う。手の甲にべたりと血の跡がつく。手のひらも道路も見事に血に塗れていた。
「警察沙汰になっては動きづらくなる。今日はお互い引きましょう。早く帰りなさい」
冷たく言う先輩に、私はため息をついて鞄を取り上げる。
足早にその場を後にした。
先輩のことだから、どうせ跡形もなくきれいになっているんだろうな、と思いながら。
そして。
――一度蒔かれた甘美な死の誘惑の種は、きっとこの後も芽吹くだろうとの確信を抱きながら。
※※※
華緒が自宅に消えてから、麻姑は佐久間を睨んだ。
「この仕事、あなたには無理なんじゃない?」
「なぜです?」
軽く呪を唱えて、道路に落ちたかなりの量の血だまりを風に吹き飛ばした。そうして佐久間は冷ややかに麻姑を見る。
「あの娘が余計なことを言わなければ、始末できていました」
「……強がってもだめよ」
麻姑は苦笑する。
「じゃあどうしてあんな辛い顔してたの。自分で仕掛けたのに、あんなに動揺して」
佐久間は唇を歪める。
「……手ずから育てた鶏を絞める時の感傷ですよ。料理人としては失格ですが、その程度のものです」
「詭弁ね。そして欺瞞」
いつもなら軽くかわせる言葉にむっとする。なぜだか余裕はなかった。
「娘娘にそんな暴言を吐かれるとは思いませんでしたよ」
それだけを言ってその場を後にする。麻姑は肩を竦めてそのあとを追った。
※※※
長い長い一日はこうして終わりを告げた――てかもう、いい加減、終わって欲しかった。
「……あー……!?」
眼が覚めて、私はようやくその日の終焉を知った。
「なんでやねん!!」
思わず関西弁で突っ込んでしまうほど、朝から見たくないものに直面していた。
――ベッドの周りに夥しい、妖怪の死骸。
夢うつつに体が動いていたことは気づいていたけれど。睡魔に負けた自分が悔しい。
おそらく夜中に襲ってきたのだろう、瘟鬼たちの死骸が大半で、他には黒眚、あと見たこともない妖怪の死骸もたくさんあった。鬼雛が片付けてくれたのだろうけど。
「うええ……」
二階のトイレに駆け込んで、胃の中のものを全部戻した。
――二階でよかった。
「まさか、これが毎日じゃないよね」
げっそりした顔が鏡に映る。
――予感は見事に的中することになる。




