第8話 もしかして達人? ~その掌は、達人の証!?~
母に教えられた道は、想像以上に険しかった。
町を抜け、鬱蒼とした杉林を抜け、獣道のような細い坂を登り続けること約二時間。
体力的には問題ないが、草鞋越しの足裏の痛みに閉口しかけた頃、ようやく視界が開けた。
山の中腹にある平らな開墾地。
そこに、古ぼけた平屋の建物がポツンと建っていた。
入り口には、雨風にさらされて文字が消えかかった看板が掲げられている。
『魄心流』
かろうじてそう読める。
「魄」と「心」。
その厳かな響きとは裏腹に、目の前の道場は今にも倒壊しそうなあばら屋だ。
庭――と呼んでいいのか分からない雑草だらけの広場には、人の気配がない。
(……魄心流、か。名前負けしてないといいが)
俺は眉をひそめながら、敷地へと足を踏み入れた。
すると、縁側で一人の男が日向ぼっこをしているのが見えた。
丸い背中に、小柄な体躯。身長は五尺三寸(約160センチ)ほどだろうか。
髪は眉上くらいに切り揃えた、子供のような「おかっぱ頭」。
そして鼻の上には分厚い眼鏡を乗せ、手垢にまみれた和綴じの本を読みながら、時折クイッと位置を直している。
叔父の平太だ。
最後に会ったのは二、三年前だが、その時と変わらず、やはり「強者」のオーラは微塵も感じられない。
俺は話しかける前に少し観察をした。
筋肉の付き方は、極めて貧弱。
姿勢は猫背で、体幹が定まっていない。
反射神経や動体視力も、眼鏡の厚さを見る限り期待できないだろう。
俺は内心で諦めつつ、縁側に近づいて声をかけた。
「こんにちは、平太さん」
平太は、その声にビクッと肩を震わせ、慌てて本を閉じた。
眼鏡の奥の糸目が、俺を捉えて丸くなる。
「えっ……あ、あれ? 広くん?」
目をぱちくりさせながら、へらりと頼りない笑みを浮かべた。
「驚いたなぁ。会うのは三年ぶりくらいかい?」
「うん、ご無沙汰してます」
「だいぶ大きくなったねぇ。……で、どうしたのこんなところまで。姉さんのお使い?」
不思議そうに首を傾げる。
俺は口を開きかけたが、言葉が喉に詰まった。
(……弟子入りさせてくれ、と頼みに来たわけだが)
改めて近くで見ても、やはり頼りない。
この人に弟子入りして本当に強くなれるのか?
朝、家を出る時に固めたはずの決意が、急速に萎んでいくのが分かった。
「……あの、えっと」
俺が言い淀んでいると、平太は「ん?」と言いながら、持っていた本を膝の上に置いた。
その時だ。
視線が、その掌に釘付けになった。
(……ッ!?)
左手の小指球と、右手の指の付け根。
そこに、皮膚が岩のように硬質化した、分厚い変色が見て取れた。
あれは、筆ダコや鍬ダコではない。
柄を握り、何万、何十万回と素振りを繰り返した者にしか刻まれない、見事な『剣ダコ』だ。
それも、ただ漫然と振ったものではない。
極限まで正しい握りで、魂を削るような修練を積まなければ、あんな形にはならないはずだ。
(……なんだ、この矛盾は)
体は素人。
だが、手だけは達人級。
俺の頭の中が混乱する。
だが、その手が雄弁に語っていた。
この男は、ただ者ではない、と。
俺はゴクリと唾を飲み込むと、平太の顔をしっかりと見据えた。
迷いは、消えた。
「平太さん。……お願いがあるんだ」
俺は平太にすべてを話した。
昨日、ならず者に襲われたこと。
兄が身を挺して守ってくれたこと。
そして、何もできなかった自分の無力さと、強くなりたいという渇望を、包み隠さず吐き出した。
「なるほどねぇ。そういうことか」
全てを聞き終えても、平太は拍子抜けするほど穏やかな反応だった。
怒るでもなく、同情するでもなく、ただ眼鏡の奥で困ったように眉を下げている。
あまりピンとは来ていない様子だ。
だが、俺はもう引けなかった。
あの「剣ダコ」を見た以上、この人しかいない。
「お願いします。平太さん……俺に、戦い方を教えてください!」
俺は深々と頭を下げた。
少しの沈黙の後、平太がポリポリと頬を掻きながら答えた。
「いやぁ、広くんの気持ちは嬉しいんだけど……それは無理だなぁ」
「えっ……?」
「だって、実は僕もまだ『修業中』の身なんだよ」
平太は恥ずかしそうに笑った。
「未熟な僕が、誰かを弟子にするなんておこがましいよ。だから、弟子入りは断らせてもらうね」
「そんな……!」
俺が顔を上げた瞬間、平太は人差し指を立てて言葉を続けた。
「でも、広くんを弟子にはできないけど、強くなるための『助言』をすることならできるかもしれないよ」
「……ほんとに!?」
「うん。可愛い甥っ子の頼みだしね」
「ぜひ、お願いします!」
俺は再び深々と頭を下げた。
弟子だろうが助言だろうが、名目なんてどうでもいい。
その技術の片鱗でも学べるならそれで十分だ。
「わかった。できる限りのことはするよ」
平太は穏やかに頷いてくれた。
「じゃあ、まず何をすればいいの? 素振り? 走り込み?」
俺が身を乗り出すと、平太は眼鏡の位置をクイッと直し、逆に問いかけてきた。
「質問を返すようで悪いんだけど、広くんの思う『強さ』って何かな? 具体的に、どうなりたいの?」
「えっ……?」
不意を突かれ、俺は言葉に詰まった。
俺が求める「強さ」とは。
改めて問われると、答えに窮する。
俺は少し考え、拳を握りしめて答えた。
「……手段なんて、なんでもいいんだ」
剣でも、拳でも、あるいは泥臭い不意打ちでも構わない。
「とにかく、自分と大切なものを守れるようになりたい。……具体的には言えないけど、目の前の悪い奴を、確実に倒せるようになりたいんだ!」
広としての「守る意志」メグルとしての「任務遂行への意思」。
その二つが混ざり合った、正直な叫びだった。
それを聞いた平太は、きょとんとした後、おかしそうにフフッと笑った。
「それはまた、ずいぶんと抽象的だねぇ」
「うっ……」
「まあいいや。とりあえず中に入りなさい」
平太は本を懐にしまうと、ゆっくりと立ち上がり、障子を開けた。
「……失礼します」
俺は緊張した面持ちで、古びた道場の中へと足を踏み入れた。
平太に促され、俺は縁側から廊下へと上がった。
ギシッ、と古びた板張りの床が鳴る。
外から見た時は、すぐに裏庭へ突き抜けてしまうような小さなあばら屋だと思っていた。
だが、中に入ってみると意外なほど奥行きがある。
薄暗い廊下を進んでいくと、左右には生活感のある部屋がいくつかあり、煤で黒ずんだ土間も見えた。
どうやら、平太はたった一人でここで寝起きし、修行をしているらしい。
長い廊下を突き当たりまで進むと、そこには異質なものが鎮座していた。
重厚な、鉄製の扉だ。
(……鉄?)
俺は目を疑った。
木と紙と土でできたこの日本家屋において、そこだけが明らかに浮いている。
それに、鉄は貴重品だ。
こんな貧乏道場に似つかわしい代物ではない。
「正確に言うと、ここから先が『道場』だよ」
平太はそう言うと、扉の窪みに手をかけ、横へと引いた。
ゴゴゴゴ……。
腹に響くような重低音と共に、鉄の塊がゆっくりとスライドしていく。
その重厚な音だけで、この扉の厚みが尋常ではないことが分かる。
平太は開いた入り口の前で居住まいを正し、神前に入るかのように深く一礼をしてから中へ入った。
その背中を見て、俺も慌てて姿勢を正す。
一礼をし、敷居を跨いで足を踏み入れる。
顔を上げた俺は、息を呑んだ。
さらに驚くことに、その部屋は――
お読みいただきありがとうございます!
広が平太のもとへ到着し、弟子入りを懇願。
弟子入りは断られたものの、中に招き入れられた広。
果たして、広がみた道場の様子とは!?
次回第9話は2/9(月)21:00更新予定です!
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