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生々流転 ~未来のエージェント、魂だけで江戸に潜入し、滅びの運命を書き換える~  作者: 弓藤 千人


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第6話 触れる優しさ

 腕守りを託されてから、半年ほどが過ぎた。  

 左腕に巻かれた組紐の感触にも、ようやく慣れてきた頃だ。


 その日も俺は、寺子屋が終わるとすぐに情報収集へと繰り出していた。  

 表向きは子供の道草だが、中身はエージェントとしての巡回だ。

 この時間だけは自分の使命を忘れずにいられる。  

 往来の雑踏に紛れ、聞き耳を立て、有用な情報がないかを探る。

 だが、相変わらず『御魂改役(みたまあらためやく)』に繋がる手がかりは皆無だった。


(……今日も空振りか)


 溜息をつきながら、人通りの少ない裏通りを歩いていた時だ。  

 視界の端に、妙な二人組が映り込んだ。

 身なりは町人風だが、目つきが鋭い。そして腰のあたりが不自然に膨らんでいる。


 (何か持ってるな)


 俺は物陰に身を隠し、呼吸を殺して彼らを観察した。


「しっかり準備しておけよ」


 リーダー格と思われる男が低い声で言い捨てると、二人はそこで二手に分かれた。

 俺は直感で、走り去った下っ端の方を追跡することにした。

 男は酒屋と仕出し屋を回り、大量の酒と食料を買い込んでいく。  


 (ふくらみの原因は金か)


 やがて男が吸い込まれていったのは、塀の高い立派な屋敷だった。


(……豪商の別邸か何かか?)


 俺は近くの松の木に登り、塀の上から中の様子を窺った。  

 手入れされた庭の奥、開け放たれた座敷に、数人の男たちに囲まれた偉そうな男が座っているのが見えた。


「今日はどんな子たちがいるのかな。楽しみだ」


 男は下卑た笑みを浮かべながら、酒をあおっている。


(……なんだ。ただの金持ちの悪趣味な御遊戯か)


 俺は舌打ちした。  

 人身売買や闇の宴会かもしれないが、今の俺の目的はもっと闇深い組織を探ることだ。

 犯罪に関わっている暇はない。

 ふと空を見上げると、既に日は暮れかかっていた。  

 茜色が群青色に塗りつぶされようとしている。


「時間を無駄にした」


 俺は木から飛び降りると、家路を急いだ。  

 門限を破れば、母の雷が落ちる。それだけは避けなければならない。

 自宅まであと少し。人気のない路地を小走りで抜けていた、その時だった。


「――おい。そんなに急いでどこ行くんだ、坊主」


 行く手を塞ぐように、大きな影が立ちはだかった。  

 見上げると、薄汚れた着物を着崩した、大柄な男がニヤニヤと俺を見下ろしている。  

 酒臭い。ただの酔っ払いか、あるいは辻強盗か。


「……お前には関係ない」


 俺は冷たくあしらうと、男の脇をすり抜けて走り出そうとした。

 ガシッ!


「っと、つれないねぇ」


 太い腕が伸びてきて、俺の左腕を万力のように掴んだ。  

 振りほどこうとするが、ビクともしない。  

 この十年間、子供の体には慣れたつもりだったが、大人の男の腕力差は歴然だった。


「なんだこれ」


 男の視線が、俺の左腕に釘付けになった。  

 袖がまくれ、真鍮の留め具がついた腕守りが露わになっていたのだ。


「小僧、さてはいいとこの子だな?」


 男の目が、卑しい欲望の色に変わる。


「この高そうな腕守りは、おじさんが大事に貰っとくからな」


 男はそう言うと、無理やり俺の腕から腕守りを引き剥がしにかかった。


「やめろ!」


「うるせぇ!」


 ブチッ。  嫌な音と共に、腕から温もりが消えた。


「へへっ、上等な細工じゃねぇか……」


 男がニタニタと笑いながら腕守りを懐に入れようとした、その瞬間だった。


「――いてっ!」


 男が悲鳴を上げ、腕守りを取り落とす。  

 カラン、と乾いた音がして、大切な家紋入りの腕輪が地面に転がった。


「広から手を放せ!」


 龍だった。  

 いつの間にか背後から駆け寄っていた兄が、男の腕に獣のように噛みついていたのだ。


「なっ……こいつ!」


「放せ! 広を放せぇっ!」


 龍は必死の形相で、男にしがみついている。  

 だが、相手が悪かった。


「なんだこのガキども……大人に歯向かうとどうなるか、教えてやるよぉ!」


 男の顔が怒りで赤黒く歪む。  

 男は俺を掴んだまま、腕にまとわりついた龍を強引に持ち上げ――思い切り蹴り飛ばした。

 ドカッ!


「ぐうっ!」


 鈍い音がして、龍の体がゴミのように吹き飛び、土壁に叩きつけられた。


「龍!」


 龍は苦悶の表情を浮かべ、うずくまったまま動かない。  

 その光景を目の当たりにした瞬間、俺の全身を冷たい恐怖が支配した。  

 圧倒的な「暴力」だ。


(逃げるしかない)


 俺は龍と自分が助かる道を必死に考えた。  

 だが、龍に駆け寄ろうとした瞬間、首に強烈な圧迫感を感じた。


「がっ……!?」


 体が宙に浮く。  

 男が俺の首を片手で掴み、持ち上げたのだ。  

 酸素が遮断され、視界がチカチカと明滅する。


「よそ見すんなよ。……いけ好かねぇガキだ」


 男はそう吐き捨てると、足元に落ちていた腕守りを、草鞋わらじの裏でグリグリと踏みつけた。

 泥にまみれる家紋。  

 砕けそうになる留め具。  

 それは、父と母が込めた「絆」を踏みにじられるようだった。


「あ……が……」


 男の目には、もう金目の物への執着はない。  

 あるのは、自分に逆らった子供を痛めつけるという、昏い加虐心だけだ。  

 俺の意識が遠のいていく。  

 手足の力が抜け、抵抗することすらできない。


(……ここで、終わりか……?)


 視界が暗闇に覆われそうになった、その時。

 ズドンッ!!

 大砲が炸裂したような音が響いた。


「――ぶべっ!?」


 目の前にあった男の顔が、ひしゃげたように歪んだかと思うと、次の瞬間には視界から消え失せていた。  

 首の拘束が解け、俺は地面に崩れ落ちる。


「げほっ、ごほっ……!」


 必死に空気を吸い込み、涙の滲んだ目で顔を上げる。  

 数メートル先で、あの大柄な男が白目を剥いて壁にめり込んでいた。


「……何やってくれてんだ、てめぇ」


 地獄の底から響くような、低く、ドスの利いた声。  

 そこには、一人の巨人が立っていた。

 夕闇の中、逆光で表情は見えない。  

 だが、そのシルエットは、さっきまで「大柄だ」と思っていた男が小柄に見えるほど、圧倒的に大きく、分厚かった。

 父だ。怒髪天(どはつてん)を衝く鬼神の如き姿が、そこにあった。


「と……ちゃ……」


 安心感からか、それとも酸素不足のせいか。  

 父の姿を認めたまま、俺の意識はプツリと途絶えた。


***


 ふと、意識が浮上した。  

 目を開けると、そこはいつもの我が家の天井だった。  

 だが、いつもとは決定的に違うことがあった。

 静かすぎるのだ。


「……広」


 俺が身じろぎしたのと同時だった。  

 布団の脇に控えていた母が、音もなく身を乗り出し、俺の体を抱き寄せた。


「よかった。……目が覚めて」


 母の声は震えていたが、泣きじゃくるようなことはなかった。  

 ただ、俺の背中に回された腕の力が、少し痛いほど強かった。

 その体温と心音が、俺の生還を何よりも雄弁に喜んでいた。

 母の腕の隙間から、部屋の様子が見えた。  


 父が胡座あぐらをかいて座っている。

 いつもはふざけてばかりいるその顔が、見たこともないほど真剣に引き結ばれていた。

 その隣には龍の姿もあった。着物は泥だらけのままだが、擦り傷には丁寧に手当がされている。


「……大丈夫か、広」


 父が尋ねた。怒っているわけではない。恐ろしいほど静かで、それでいて深い慈愛に満ちた声だった。


「……うん、大丈夫」


 喉が(かす)れていたが、なんとか声が出た。


「何があったか、教えてくれ」


 父の目は、嘘を見透かすような鋭さを秘めている。だが、俺は任務を明かすわけにはいかない。

 咄嗟に、子供らしい言い訳を構築した。


「……友達と遊んでいたら、日が暮れてしまって。急いで帰った時に、あの男に絡まれたんだ」


 俺は左腕に視線を向けた。

 今は包帯が巻かれていた。


「あの男、俺の腕守りに目をつけたみたいだった」


「……これか」


 父が懐から何かを取り出し、俺の前に差し出した。

 それは、見るも無惨な姿になっていた。  

 茶褐色の組紐は泥まみれで毛羽立ち、一部が切れかかっている。  

 そして何より、真鍮の留め具に刻印された『鉄線』の花には、踏みつけられた際についたと思われる深い傷が走っていた。


「あ……」


 それを見た瞬間、胸の奥から熱い塊が込み上げてきた。  

 なぜだか分からない。けれど、涙が止めどなく溢れて、視界が歪んだ。


「……ごめんなさい」


 それは、自然と口をついて出た言葉だった。  

 壊してしまったことへの謝罪なのか、心配をかけたことへの詫びなのか、それとも無力だった自分への悔しさなのか。  

 自分でも感情の整理がついていない。  

 ただ、この言葉以外、喉から出てこなかった。

 父は大きな手で、俺の頭を無造作に撫でた。


「あんま、母さんに心配かけるな」


 頭上で父の声がする。


「まだお前は子供だ。……あんま無茶すんじゃねぇ」


 叱責されると思っていた。

「自分の身くらい自分で守れ」と言われると思っていた。  

 だが、父の言葉は、ただひたすらに俺の身を案じるものだった。

 想像していた言葉とのギャップに、涙腺が完全に崩壊した。声を出して泣いた。  

 物心がついてから――いや、前世の記憶を含めても、これほど感情を剥き出しにして泣いたのは初めてかもしれない。


 その時だった。  

 横にいた龍が突然立ち上がり、俺の手から傷ついた腕守りをひったくった。


「えっ……?」


 俺が呆気にとられていると、龍は自分の腕から綺麗なままの腕守りを外し、俺の(てのひら)に強引に押し付けてきた。


「交換してやるから、泣くな!」


「は……?」


 俺は涙で濡れた目で龍を見上げた。


「大丈夫だよ、自分のでいい」


 俺は返そうとしたが、龍は「いいから!」と叫んで、半ば無理やり俺の指を握り込ませた。


「兄ちゃんの俺が傷ついた方を持つ! だから広はそっちを持っとけ!」


 理屈になっていない。  

 けれど、その滅茶苦茶な理屈が、龍なりの精一杯の慰めであり、愛情なのだと痛いほど伝わってきた。  

 俺の手の中には、傷一つない新品同様の『鉄線』がある。  

 そして龍の手には、俺の身代わりに傷ついたそれが握られている。


「……ふふっ」


 母が、涙をぬぐいながら小さく笑った。


「龍は、優しい子ねぇ」


 その一言で、部屋に立ち込めていた重苦しい空気が、魔法のように霧散した。  

 父も、困ったような、それでいて誇らしげな顔で鼻をすすっている。

 俺は、兄から押し付けられた腕守りを、今度こそ強く握りしめた。

 

 そして俺はある『決意』をする。



お読みいただきありがとうございます!


転生してから初めての挫折。

ここから広の人生は大きく変わりそうです!


次回、2/6(金)18:00頃に掲載予定です。


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