通常環境・ダークドワーフと巨人型悪魔
世界の中央は毒森で隔てられているが、東や西などは暗黒と秩序が互いに接しているため、度々争いが起こっている。
今現在も世界の西側に位置する国家の連合軍が、大防壁と呼ばれる長い要塞に集結し、南からやって来る悪しき軍勢を待ち受けていた。
「ふー……」
三十代中頃で金髪碧眼の兵士、ジャンが息を吐きながら目を凝らす。
彼は数度の防衛戦に参加しているが、その度に死にそうになっていて、今回も生き残れますようにと内心で神に願う。
(だがこれを凌いでなんになる?)
悪魔の囁きではなく、単純にジャンの理性が混沌とした世界を揶揄する。
(リーア聖国の連中は異端狩りの機運が高まって、ドワーフの連中は太古の失地回復を狙ってる。エルフもどんどん排他的になってるんだ)
今現在、秩序と善の側で戦っている……事になっている各勢力は好き放題し始めており、一枚岩などとは口が裂けてもいけない状況だ。
いや、単に仲が悪いだけならまだマジなのだが、各国は明らかに戦争を意識した。それも一応ながら同じ秩序・善を狙った政策を推し進めている。
明確なイデオロギーが違う、暗黒の軍勢と戦っているのにこれでは負けが見えた。
とならないのが世界の不思議、もしくは愚かさだ。
(暗黒の連中、どうも仲間割れしてるっぽいんだよな……)
暗黒の領域である南側の国々は、複数回の北進に失敗したため国力に差が出始め、変に秩序・善に喧嘩を売る前に、弱った味方を食って力を付けた方が効率がいいのでは? と思い始めたらしく、秩序・善側にすら偶に聞こえる程、派手に殺し合っている有様だ。
ただこれも仕方ないと言うべきか、一口に暗黒の勢力と言っても信奉している邪神や暗黒神が違い、更に特有の権力争いの激しさや、神からの恩寵を巡ったライバル関係なども絡み合うため元々仲が悪い。
悪いのだが……それは秩序側も全く同じことが言えた。
一応、原初のアーリー神話体系が最大派閥だが、後発で生まれた神々はアーリーを頂点とするシステムを忌み嫌っているし、逆にアーリー神が頂の国々は後発の神を信奉する国々を敵視している。
それに種族間の仲もいいとは言えず、殺し殺されの複雑な歴史もあるので、いつ爆発してもおかしくなかったのだ。
つまり秩序も混沌も、本来は同じ方向性の勢力圏内で争う、馬鹿げた時期に突入していた。
(いや、今は集中しないと)
気を取り直したジャンの意識が現実に戻ってくる。
混沌の軍勢が互いに争っているとはいえ、それでも侵略が行われない訳ではない。
現に軽く万を超える敵軍がやって来ていた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!』
雄叫びを上げる破壊の使者がゆっくり姿を現し、煮え滾る憎悪の視線を要塞に向ける。
くすんだ鎧。意味を理解もしたくない邪悪な血化粧。血走った目に涎を垂らす口。
オークやゴブリン、獣と人がアンバランスに混じったビーストマンに、堕落した人間たち。
決して相容れないものたちが武器を掲げ、これから始まる惨劇に期待を膨らませる。
「弓矢を放て!」
「行くぞ野郎どもおおおお!」
尤も戦い自体は酷く単純だ。
秩序側は遠距離から攻撃して、暗黒側はそれをなんとかいなして内部を崩す、ありふれた攻城戦でしかない。
(くそっ! 今回はいるのか!)
ジャンも防壁から弓矢を放つが、盾もなく全身に血化粧をした一団を見つけ罵倒する。
普通に考えるなら弓矢を防ぐ最低限の盾や鎧があってもいいのに、その一団は雨のように矢が降り注ぐ地点に足を踏み入れ……。
何事もなく走り続ける。
「ダ、ダークドワーフだ! やつらは魔法で攻撃しろ!」
面倒なことになったと秩序側の全員が思った。
ドワーフや暗黒に魂を売り渡したダークドワーフは、人体の柔軟さを持っているくせにやたらとタフで硬く、単に剣で斬ったり弓矢を放ったところで意味はない。
殺すには魔法という大火力を用いる必要があるドワーフと、それに近しい種族は単なる歩兵にとって恐怖でしかなかった。
「くそったれ!」
「撃て! 撃て!」
「ぎゃああああ⁉」
秩序と混沌。両軍で悪態と魔法、絶叫が飛び交い、戦場は瞬く間に血生臭くなる。
その間にもダークドワーフたちは防壁に取りつき、僅かな窪みに指を差し込んで驚くべき速度で這い上がっていく。
攻城戦においてドワーフやダークドワーフが頼もしすぎるのは、頑強さだけが理由ではない。
活火山や溶鉱炉の近くで活動しているこの種族は、炎や熱に対する耐性が高すぎ、攻城戦でよく使われる煮えたぎった油が落ちてこようと平気だ。しかも険しい場所を踏破する能力が極まっており、平地で走るのとそう変わらない速度で城壁をよじ登ることが出来た。
「おおおお!」
「死ねええええ!」
「こっちだ! 早くしろ!」
こうなるともう、通常の人間種はダークドワーフに太刀打ちできず、刃も槍も通じない一方的な虐殺が起こるが、幸いにも全てのドワーフが愚かと言う訳ではなかった。
「どりゃああああ!」
「裏切り者共め!」
「地獄に落ちろ!」
通常のドワーフが巨大なハンマーやメイスで堕ちた元同種をぶん殴り、秩序と混沌で分かたれた種が殺し合う。
その鈍器による応酬は周囲に響くほどの衝撃波を発生させ、まともにハンマーを受けたなら頭蓋と脳漿をまき散らす羽目になる。
(あっちはどこ当ててもいいのに、俺は目を狙わないといけないなんて不公平だ!)
その争いに巻き込まれたジャンが神に理不尽を嘆く。
もしジャンの体の何処かにハンマーが当たれば、そのまま骨が粉砕されて戦闘不能になり死ぬだろう。一方、ジャンが骨格や筋肉が頑強なダークドワーフを殺そうとするなら、ほぼ唯一の急所である目を狙う必要があるのだから、嘆くのも当然の話だ。
「くそっ! くそっ!」
ジャンの口は勝手に動いて悪態を吐く。
確かにジャンの剣はダークドワーフの肩に届いたのに、まるで岩でも切っているかのような硬さを感じ、刃も肉を切り裂いていない。
しかもすぐ隣にいた兵士はダークドワーフのハンマーで肉塊と化す。
そのダークドワーフは、駆け付けたドワーフたちに袋叩きにされ息絶える。
またすぐ近くの兵士は弓矢を喉に受けて必死に押さえ、別のところでは混沌の軍勢が魔法の爆炎を受けで消し飛ぶ。
悲鳴。怒号。悪態。
それらは秩序・暗黒を問わず発せられて混ざり合い、強者だけが生き残る純粋な環境へと昇華されていく。
単なる一兵士でしかないジャンは、善と悪が生み出した混沌に翻弄される存在でしかない。
「悪魔だ!」
「悪魔が現れるぞおおお!」
「っ⁉」
その叫びで秩序側の軍勢に緊張が走る。
ちんけな悪魔なら人間でもある程度は対抗できるため、それほど気にする必要はない。だが戦場がぐちゃぐちゃになった段階で現れる悪魔が、並みの存在だと思うのは現実逃避に等しい。
『オオオオオオオオオオオオ!』
「巨人型だ!」
「くそったれえええええ!」
巨人が吠えた。
そこらの木々より大きく、手を伸ばせば城壁にも届く大質量の巨人型悪魔は、身動ぎするだけで脅威だ。
「ど、どうしろっていうんだよ!」
ジャンの泣き言は多くの人間が同意するだろう。
巨木を倒すのだって長時間必要なのに、相手はその質量で動き回って反撃もしてくる怪物だ。鎧を着て、剣を持って、弓矢が扱える器用な人間種? それがどうしたと言うのだ。比べるのも馬鹿馬鹿しくなる基礎能力の差があった。
「はあああああああ!」
戦場に轟く勇ましい声が聞こえた。
ジャンには単に輝く人型にしか見えなかったが、神器を持つ人間が切り札として投入され、巨人と派手な決戦を繰り広げ始めた。
「ひいいいいいいいいい⁉」
悪魔が体を支えるために城壁に手を伸ばした。
たったそれだけ。
一つの動作。
ジャンが最期に見たのは、城壁ごと自分を潰した悪魔の掌だった。
これが通常環境……




