7話 幕間1
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一時間後。
アイザックは浴槽に浸かって深く息を吐いていた。追加で焼き石を入れたら割とすぐに湯に戻ったので、食堂の片づけを終え、入浴することにしたのだ。
「にゃんだか変わった女だにゃあ」
そう言われて、アイザックは視線だけ出入り口に移動させる。
本来は着替えをいれる籠。
それを逆さにし、底部分にシャリーがきちんとお座りしている。
「変わっている……ねぇ」
アイザックも苦笑いだ。
入浴剤として入れた石鹸がむくむくと泡立つ風呂。これもヨハンナが『お嬢様は大層お好きなのですが、湯船を洗うのが面倒だとメイドがなかなか使用しなくてねぇ』と言っていたので使ってみたものだ。
それなのに風呂上がりの彼女は無表情。
気に入らなかったのかと『どうでした』と尋ねたら、『非常に満足で堪能した』と、やはり仏頂面で言う。まるで表情筋が動かないのだ。
「彼女、宮廷でなんて言われてるかしってる?」
「知らにゃい」
「スネークアイだよ。わかる気がするねぇ」
「わかるにゃ! なんか時々、捕食者の目であたちを見るにゃ! でも蛇退治は得意にゃ!」
言うなり、シャリーは「うにゃにゃにゃ!」と言いながら猫パンチを繰り出すからアイザックは笑い声をたてる。その呼気にあわせて風呂の泡が揺れた。
「冷徹で冷酷で。敵陣に突っ込むときは先頭を駆けているらしいよ。隊員の規律にも厳しくて違反した者を決してゆるさないとか」
「怖いにゃ」
「怖い人に見えた?」
「うにゃ。変な女にゃ」
またアイザックは笑った。
「そうなんだよ。いい人だね、彼女」
料理好きだと聞いても侮るわけでもない。
名前を変えたくない理由を伝えたらすぐに意見を飲んでくれた。
スネークアイと呼ばれ、「女なのにおそろしいことだ」と揶揄されながらも凛とした態度で宮廷を闊歩する。
そんな彼女はプライベートでも非常に好ましい。
「少なくともルビーとは大違いにゃ」
吐き捨てるシャリーに、アイザックはまた知らずため息をついた。
「どうしようなぁ……本当に」
「しばらくはここに身を隠すしか無いにゃ。それで情報を集めて伯爵位を取り戻すにゃ!」
力強くシャリーは言い、ひたすらまた前足でパンチを繰り出している。たぶんルビーをぶん殴っているらしい。
「伯爵位はどうでもいいんだけど。神殿に出入りできないのが痛いな。というかシャリーだけ戻れよ」
「いやにゃ。あたちが神殿にいるのはアイザックが来るからにゃのに。来ないならいる意味にゃいにゃ」
「ぼくの生まれる前からずっといたろう?」
「そのときはシモンがいたにゃ」
「……次の誰かを探せば?」
「いやにゃ。あたちはそんなに尻軽とは違うにゃ」
はあ、とアイザックは重い息を吐く。
「それより傷はどうにゃ?」
うなうな、といいながら前足で顔を洗い、その合間にシャリーはアイザックに尋ねた。
「あー……。もう全然なんともない。君、すごいよね」
ざばりと風呂から腕を出してみる。
ざっくりと斬られ、腱が切れる音と白い骨まで自分は見た。
腕だけではない。左脇もやられたし、なにより激痛と大量出血に死を覚悟した。
(それなのに、まったく傷跡がない)
いまでも信じられない。
確かにあのとき、自分は死ぬと思った。
湖水地方へと向かおうと王都を出た直後のことだった。
アイザックとてそれなりに武芸には自信があった。
だが多勢に無勢とはあのことだった。
あっという間に取り囲まれ、数人で一斉に切りかかられた。
血でぬかるんだ地面に倒れこみ、とどめを刺そうとやってくる賊に抵抗さえできない。
そのとき、夜を駆逐するばかりの圧倒的な光をまとい、金色の虎が現れたのだ。
その虎は賊たちに咆哮を浴びせつけるや否や、次々と牙と爪で襲い掛かり、撃退してしいまった。
そしてアイザックをくわえて親友であるミハエルのところまで宙を駆けて連れて行ってくれたのだ。
傷も治して。
「あたちに感謝するにゃ」
得意げに言うシャリー。
それがまさかあの金虎だとは誰が信じるだろう。
「ほんと、ありがとう。だけどさ」
「アイザックのいない神殿には興味ないにゃ」
「……」
このままでは、いずれ結界が破れる。
(なんとしても身の潔白を証明し、もとの生活を取り戻さなきゃ……)
アイザックは気づかずにまた深い息を漏らしたのだった。