最終話 ふたりだけの夜は……
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その日の晩。
「では、やはりあの金虎はシャリーだったのだな?」
「幽騎士を大広間に放り込んだのもシャリーです」
隣を見ると、アイザックは怒りを通り越してあきれている。
並んで座ったソファ。
夜の庭を眺めながら、ふたりでワインを傾けていた。
「この前、神獣同士の集まりがあったじゃないですか」
「ああ、供物を持ち寄って、とか言っていたな」
クロエはワインを一口飲む。
このワインはアイザックが買ってきてくれたものだ。
金虎神殿でお参りを済ませた後、クロエはまっすぐ帰宅したのだが、アイザックが『絶対シャリーがなにか企んでいます。ちょっと探してといつめてきますので』と神殿に残ったのだ。
さすがというかなんというか。
夕飯時には総菜や飲み物を買って戻ってきた。
『さて、アイクがいないのなら、ひさしぶりに料理でもしてみよう』と腕まくりをしていたクロエは肩透かしをくらった感じだ。
食事のときはシャリーのことよりルビーとサミュエルのことが話題になった。
神殿騎士に『アイザックに一方的に殴られた』と訴えたが、目撃者や男爵たちが証言してくれて嘘だとわかり、こっぴどく叱られたこと。
神獣と思しき金虎が怒りを露わに咆哮し、サミュエルを指さしたこと。
このふたつのことで、さらにふたりの評判が地に落ちたことなどを簡潔に、淡々と報告してくれた。
(このワイン。味が好みだな)
香りもいい。アイザックが「クロエ様がお好きそうだったので」と買ってくれたものだが、彼が提供するもので苦手なものはなにひとつない。
「先日開催された神獣会合で、シャリーが『懲らしめたい人間がいる』とか言って相談したらしくて」
「なんと」
「だったら、幽騎士を使って天罰を与えてやれってことになったらしく」
「ほう」
「どこかから捕まえて、生かしておいた幽騎士をタイミングよく放り込んだらしくて」
そもそも死んでいる幽霊騎士を「生かしておく」というのもよくわからない状態だが、やはり神獣と交流が深くなるとそんな些末なことは気にならないらしい。クロエはちょっとだけアイザックのことを感心した。
「そのたくらみは成功したわけだ」
クロエは苦笑いする。
さっきアイザックから聞いた感じでは、サミュエルもルビーも、社交界では今後相手にされず、仕事場である神殿でも信用されることはないだろう。
そもそも、そのいずれもはアイザックを蹴落として奪ったものだ。
ルビーとサミュエルはこのあと、裁判の結審も待っている。ふたりの前途は多難だ。
「まったく。死人やけが人がでなかったからいいものを……。シャリーをきつく叱っておきました」
「それで姿が見えないのか?」
夕飯も終え、こうやってふたりで過ごす時間になってもシャリーが戻ってこないので変だと思っていたのだ。
「そんなに怒ることないだろう、と逆切れして……。いまごろ、ほかの神獣のところに文句を言いに行ってるんじゃないですか?」
彼にしては珍しく、ぶつぶつと愚痴じみたことを口にしている。
「まあでも。これでひと段落ついた感じだな」
「え?」
「奪われたものは戻ってきただろう?」
「母の名誉ですか?」
「それもそうだし、貴卿もハミルトン姓に戻ることができるのでは?」
「未練はありませんし、神獣に嫌われて滅ぶ伯爵家です。これからもニコライアンで過ごします」
「そうか」
「それに、奪われたものが戻ってきた、というか。いろんなものをなくして、新たに別のものを手に入れたって感じですね」
「なるほど」
物事はなにごとも見方によるのだなとクロエはまたもや感心した。
婚約者を奪われ、家を失い、命さえ危うかったのに。
この男は常に前向きだ。
「一番うれしいのは、あなたとの結婚です」
「私?」
つい聞き返してしまった。
顔を向けると、アイザックはにこにこ笑っている。
「ぼくが手に入れた最大の幸せですよ」
「そう、か」
そういえば、ルビー嬢との婚約破棄があって。
それから、ミハエルがかかわってこの婚姻が成立したのだ。
「私も、嬉しいと思う」
そう伝えると、アイザックは「嬉しいな」とさらに笑った。
「なんというか、貴卿は私にとって特別だ。そう、特別なんだと思う。いままで出会ったどの男とも違うし、これから出会う男とも違うだろう。誰とも違う。私だけの特別」
言いながら、ようやく心の中で整理ができた気がした。
特別だから戸惑うことも多いし、特別だからドキドキするし、特別だからぬくもりを感じたい。
なるほどなぁ、と自分で納得していたら、いきなりアイザックが抱き着いてきた。
「うわ! ワインが!」
「なんかものすごくうれしいです、クロエ様」
「それはいいのだが、ワインが!」
「じゃあワインを置いておいて」
アイザックは素早く離れると、クロエの手からワインを取り上げ、軽々と横抱きにして立ち上がった。
「アイク!?」
「じゃあ、あなたにとって特別なぼくと、ぼくにとって特別なあなたと」
目を白黒させるクロエに顔を近づけ、アイザックは微笑んだ。
「特別なことをしませんか?」
「特別な……こと」
「明日、お休みですよね、お仕事」
「そう……だな」
「どうですか?」
「ううううううむ」
どうしようかな、と正直迷った。
こういうことはやはり結婚してからのほうがいいような気もするが。
一方で。
なんとなく今日はアイザックの誘いに乗ってもいいような気もする。
ふたりの距離感をもう少し縮めてもいいのではないだろうか。
なにより。
いま、この家はふたりっきりなのだ。
「そう、だな。うむ。それもよかろう」
深く頷き、アイザックがクロエを横抱きにしたまま歩き出した時。
カリカリとガラスをひっかく音がする。
反射的に庭と居間を遮るガラス扉を見た。
月光のように白い猫が、前足でガラスを掻いていた。
「シャリー!」
「うなあおう」
目が合ったクロエに、開けてとばかりに鳴いたのだが、アイザックは無視を決め込む。
「アイク、シャリーが」
「うなうなうな」
「ぼくには見えません」
「アイク」
「うなああああああ!」
「激しく鳴いているが」
「門限に遅れた人はいれません!」
「うな!!!!」
「なんで帰って来るかなあ、いま!!!」
「可哀そうじゃないか。いれてやろう」
「クロエ様までなんで……! ぼくとシャリーのどっちが大事なんですか!」
「…………」
「そこでなんで黙り込むかなぁ!」
こうして。
ふたりと神獣一匹が住む家では、今日もにぎやかに夜が更けていくのだった。
了




