40話 うちの婚約者が一番美しい
花乙女当日。
一般の部の警備は滞りなく終わった。
副隊長に業務指示を伝え、各班長にねぎらいの言葉を告げたあと、クロエは彼らに背を向けた。
すでにアイザックとの待ち合わせ時間は迫っている。
「隊長」
「忘れものですよ!」
副隊長と班長たちに声をかけられ、クロエはいぶかしげに振り返る。
「あ、そうだった」
班長のひとりが持っているのは、花冠だ。ぶんぶんと振ろうとして、副隊長に手を叩かれている。
「……いらないんだがなぁ」
つい口からはそんな言葉が出た。
その花冠は歓楽街関係者からさっきもらったものだ。
今年は朱紅隊のおかげで、歓楽街に勤める者も安全にお参りができた、と礼を告げにきてくれたのが、1時間ほど前だ。
そこから『ぜひこのあと、お礼として食事をごちそうさせてほしい』と言われたので、断る口実として、『自分もこのあと、お参りをするから』と言ったのが間違いだった。
『では、急いでお着換えに戻られるのですか? もし衣装を持参されているのでしたら、近くの部屋をおさえましょう』
そう言うから、クロエは首を横に振った。
『いや、自分はこのままの格好で』
途端に、歓楽街の関係者は押し黙り、じっとクロエの姿を頭の先からつま先までなめまわすように見た。
頭には軍帽をかぶり、きっちりと軍服を着て、磨き上げた軍靴を履いて、着帯し、剣をつけた自分を。
『ひょっとして……我々が要望したからクロエ様はその格好で参加することになったのですか?』
『最初からこの予定だが』
正直に言ったのに、なぜだか気を遣ったことになってしまい、あれよあれよという間に見事な花冠がクロエの前に用意された。
『せめてこれを頭にかぶってお参りを!』
いらない、気持ちだけで、と固辞したのに、班長達まで寄ってたかって『実は我々も、軍服はないと思っていた』『好意は受け取るべきだ』『場にふさわしい格好というものがある』と言い出し、受け取らざるを得ない状況になってしまったのだ。
「むこうだって神官服なのだから、私も仕事着でよかろうに」
クロエはいまだぶつぶつ言いながら、軍帽を脱いだ。副隊長が手を伸ばしてきたので、彼に渡すことにして、代わりに花冠をかぶる。
「アイザック殿もお喜びになりますよ」
「似合うじゃないですか」
どちらかというと喜んでいるのは班長達のような気がする。
「来年の警備には女性隊員を連れてくるのもいいかもしれんな」
クロエが話を変えると、途端に班長達もまじめな顔になった。
「そうですね。やはり我々だと威圧感が」
「思ったより、若年層も多いですから」
結婚が決まった娘とその両親が来るものだと思っていたが、実際は、一族郎党引き連れてくるところが多い。そうなると、子連れとなり、最終的に迷子問題が出てきた。
朱紅隊が保護するのだが、むくつけき男どもだとやはり泣く。泣き止まない。これが女性なら泣き止むのかどうか、誰も判断がつかないのだが、少なくとも今回隊に入った女性たちは全員子育て経験者だ。泣く子を前に、なすすべなく立ち尽くす男どもより役に立つだろう。
「そういった方面での警護も今後出てきそうですね。貴族や王族の子女など」
副隊長がひとりごちる。
特に王太子ミハエルは結婚適齢期。いまから妻も子もできる。その警護を担う可能性も出て来た。
「新隊員はどうだ?」
「体力不足は否めませんが、くらいついてくるガッツはあります」
担当班長が力強く答えてくれる。彼が言うのなら問題ない。クロエは安心した。
「我々の主力になるかもしれん。よろしく頼む」
「承りました」
「それでは行って来る。皆は解散」
「行ってらっしゃいませ」
軍服の男たちに見送られ、クロエは金虎神殿の正面玄関に向かった。
時間はもう正午をとうに過ぎ、参拝者は一般人から貴族たちに切り替わっている。
だが露天商は構わず商売を続け、買い物客も貴族というより一般人だ。
参拝自体は身分が問われるが、入場制限はされない。だから神殿周辺は相変わらずのひとごみだった。
(記帳所にいると言っていたな……)
警護の時に、ちらりと見たが、そのときは長蛇の列でその先頭がどうなっているのかなどわからなかった。
クロエは人の流れに乗ったまま、神殿の正面にある石階段のところまで移動した。
「クロエ様!」
聞き覚えのある声に顔をむけると、アイザックだ。
数段上った階段からこちらに向かって手を振っている。なるほど、こんなに混雑していても上からなら発見しやすいと踏んだのだろう。
それはいいのだが、あの大きな花束はなんだ。彼の上半身が隠れるほどにある。
「すまん、遅れた」
クロエは足早に階段を上り、彼の側に行く。詫びると、アイザックはなんでもないとばかりに笑った。
「お仕事お疲れさまでした。今回は朱紅隊が来てくださったおかげで、とてもおだやかなお参りだったと、皆、口々にほめておられましたよ」
「そうか。ならよかった」
「それ、可愛いですね。どうしたんですか?」
その花束のほうがなんだと問いたいが、クロエは花冠をつついた。
「歓楽街の関係者がくれた。礼らしい」
「似合ってますよ」
「そうか?」
小首をかしげると、アイザックはまぶしいものを見るように目を細める。そんな表情をされると目のやり場がなく、クロエは視線をさまよわせた。
「なんだか、その。アイクのその姿も新鮮だな」
「神官服ですか?」
「ああ」
白を基調とした服だ。
軍服のように縦襟で、裾はくるぶしを隠すほどに長い。腰のあたりで絹の幅広ベルトをしめていて、肩からは斜めがけに帯がかけられている。それがどうやら階級を示しているようだが、クロエにはアイザックが上位なのか下位なのかわからない。
「似合ってません?」
「いや、似合っている」
そうですか、とアイザックはまた嬉し気に笑った。
「アイザック、もう休憩か?」
神官服のひとりが通り過ぎざまにアイザックに声をかけた。
「いや、ぼくはもう終わり」
「なんだよ、いいなぁ。こっちは駆り出されたまんまだぜ? 飯、食いに行くのか?」
「これからお参りに」
「そういえば公爵と婚約したんだっけ? すげえな、おい。お相手は? 紹介してくれよ。一度会ってみたい」
気さくな態度から察するに、同僚なのか。年もアイザックと変わらないように見えた。
神官服の男は好奇の目できょろきょろと視線をさまよわせている。
(たぶん、私のことは、その公爵の警備兵だとでも思っているんだろうな)
まぼろしのアイザックの婚約者を探す神官を見ていたら、アイザックが腰を少しかがめて紹介してくれた。
「クロエ様、彼はぼくの同僚で。翻訳部にいるゼノ・スーファです」
「そうか。初めてお会いする。スーファ殿、今後ともよろしく」
手袋を外して差し出すと、ゼノと紹介された神官は呆然とクロエを見降ろし、そしてそれが不敬にでもあたると思ったのか、だだだっと数段駆け下りて、頭を下げた。
「あの、初めまして、公爵。ゼノ・スーファと申しますっ」
「うむ。アイザックをよろしく」
「かしこまりましてございます」
それからばね仕掛けのように上半身を跳ね上げ、慌てたように付け加えた。
「その花冠、きれいですね!」
「ありがとう」
「では、行きましょうか、クロエ様」
「うむ」
アイザックに促されてクロエは彼に並んで階段を上がる。ついでに手袋もはめなおした。結局握手はせずじまいだ。
神殿内に到着するまでに何度もアイザックは神官たちに声をかけられ、「婚約者はどこだよ。紹介しろ」と言われた。
その都度、隣にいるクロエを示され、神官たちは「その花冠、きれいですね!」と言ってくれた。
「この花冠、便利だな」
「そうですか?」
会話に困らない。そう思ってアイザックに言ったのに、珍しく彼は不機嫌そうだ。
「どうかしたか」
「こんなに美しい婚約者を連れているのに、ほめられるのはその花冠だけじゃないですか」
外しますか?とまで言い出し、クロエはあっけにとられた。
「軍服の女を連れているんだ。なにかほめどころがないと、相手も困るだろう」
「なにが困るんですか。ほめればいいじゃないですか、ぼくの婚約者を」
「いや……」
それがないから花冠を、とエンドレスな会話になりそうなところを、アイザックが封じる。
「ぼくの婚約者は世界一美しいんです」
「……そう、か」
なんか言い返す言葉もなくしてクロエは同意した。
ふと、周囲に視線を向ける。
祭壇の設置された大広間に続く廊下。
さすがにここまでくると、参拝者たちだけになった。
そしてクロエはなんだか可笑しくなって噴き出した。
というのも。
花の乙女と呼ばれる着飾った娘をエスコートする男性。
そのいずれもの顔が「ぼくの婚約者は世界一美しい」という顔をしていたからだ。




