38話 花乙女の警備
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10日後の執務室にて。
「花乙女の祭事警備?」
クロエは裁決済ボックスにサインした書類を入れる手を止め、目の前に立つ副隊長を見た。
「ええ。ご存じですか? 金虎神殿が毎年行っている祭りです」
直立不動の副隊長にクロエはうなずいていみせた。
「あれだろう? その年に結婚が決まった娘たちが集まって、祭壇に献花する祭りだろう?」
結婚が決まりましたよ、という報告も兼ねている祭りだ。
娘たちが婚約式の次に気合を入れて臨む場でもある。
衣装、髪型、献花する花の準備にも余念がない。エスコートする婚約者の男性さえも飾りのひとつだ。「まあ、素敵な男性と結婚なさるのねぇ」と言われるように、娘たちは少しのミスも見逃さない。
また、この祭りでは両親の財力も示される。
結婚し、実家を離れる娘が禍から遠ざけられるように。
娘たちは着飾ることに力を入れるが、親たちは寄付金や供物に細心の注意を払う。こんなところでケチがついたら大変だからだ。
「神殿騎士団がいるだろう。なんでうちに」
歓楽街の警備の件でもまだもめているというのに、よくまたなにか言ってこれるもんだな、とクロエが眉根を寄せると、副隊長は相変わらずの無表情で答えた。
「午前中の一般開放のときのみ、お願いしたいと言ってきています」
「一般開放……」
つぶやいてから、さらにカチンときた。
献花は二部制となっている。
午前から正午までは、王都民だけでなく広く誰でも参拝することが可能だ。
だが、午後から夜の7時までは王侯貴族のみ。
「ようするに貴族相手なら自分たちで、それ以外は対象外だと。そういうことか」
あいつら、まだそんなことを言っているのか、と腹が熱くなる。
歓楽街のことといい、なぜ自分たちの警護対象は「貴族のみ」と考えているのか。
「神殿に参拝する者、全員を守る気はないのか」
「そもそも時間を分けていることこそ、推して知るべしというところではないでしょうか」
副隊長に言われ、口を閉じる。
クロエだっていままでそのことになんの疑問をもたなかった。だとしたら、神殿騎士のことを責められないだろう。
「去年まではどうしていたのだ? 午前の部は誰も警護に立たなかったのか?」
「調べましたところ、通常警備はしていたようです」
なるほど、平常運転というところか。で、午後のみ、警備を強化した、と。
「それが今年だけどうして?」
「ひとつは、朱紅隊の存在を知ったことがあるようです。女性に特化した警護なら、女性が主役である花乙女の祭りにぴったりではないか、と」
「神殿のじじぃどもが言った、と」
「あと、歓楽街のほうからも要望が」
「歓楽街?」
心の中で、神殿のじじぃたちに対して呪詛をしていたクロエだったが、その言葉に反応した。
「歓楽街に勤める者たちも当然参加する権利があるわけですが」
「王都民に限らず、誰もが参加可能だろう。今年結婚が決まった娘であれば」
「本人は花街に身を落としたものの、妹や残していった娘の幸せを願うべく、参拝するようですが……。やはりそこは白い目で見る者も多く、なかには石を投げる者もいるとか」
「くそ!」
クロエは思わず机をたたく。
神殿騎士だけじゃない。
全方位に怒りをぶつけたい。
王侯貴族だけではない。結局、ひとというのは、自分より弱者だとおもうものに暴力をふるうのだ。
「……現在、夜間の見回りも続いている。朱紅隊の疲弊度はいかほどか」
クロエは食いしばった歯の間から、ぎりぎりと声を絞り出す。
「なんら問題ございません」
副隊長は平坦な声で応じた。
「朱紅隊は毎日の課業に加えて、個々人のたゆまぬ努力により、技量技術の練度はどの騎士団にも負けません。加えて、夜間見回りにより、多様な社会に接することができました」
クロエが顔を上げると、副隊長は少しだけ表情をやわらげた。
「隊長が抱えるその思いは、隊員全体に共有されております。世界を変えることはできませんが、助けてほしいと手を伸ばす者に誠実に応じることは可能です」
「それでこそ、朱紅隊。それでこそ騎士」
クロエはうなずいた。
「各班長を午後1時に招集せよ。無理なく無駄なく、完璧に遂行するために作戦会議を行う」
「承知しました。すぐに」
副隊長は敬礼をしてからくるりと向きを変えようとしたのだが。
90度の位置で一旦停止し、それからまた向きをクロエに向き直った。
「どうした」
「よく考えれば、隊長も花乙女の対象かと存じますが」
「そうだな」
「参加……なさるのですか」
「参加せん。神への祈りなら、母が毎日修道院で歌って踊っている。狂うほどに」
「さようですか」
「うむ」
さて、午後の会議の前に書類を片付けておかねば、とペンを取り上げたが、副隊長の足音がしない。
顔を上げるとやはりそこに副隊長が立っていた。
「なにか」
「そういえば、アイザック殿の裁判が始まりましたね」
「そうだな。順調なようでなによりだ」
そもそもこちらは証人を多数押さえている。
医師のロバート・ベーコンは減刑目的でペラペラと「これはサミュエル卿とローズ嬢にカネをもらってやったことです」と証言し、ノラは「お嬢様に脅されて、アイザック殿を誘惑するように言われました。そこを菓子店の店員に救われたのです」とはっきり告げた。
「世間ではこの裁判のことで大賑わいです」
「だろうな。醜聞は誰もが好きだ」
副隊長が語るところによると、いまではローズやサミュエルを夜会どころかお茶会に誘う貴族もいないのだとか。
ローズの父であるオースティン伯爵は火消しに走っているが、ハミルトン一家については、サミュエルなど知らないと無視を決め込んでいるらしい。
あれだけアイザックの母をあしざまに言っていた人たちが、いまでは手のひらを返してサミュエルとローズを叩いている。
(滑稽だな)
クロエは鼻を鳴らした。
「アイザック殿と母君の名誉回復も近いでしょう」
「結婚式までに間に合いそうでなによりだ」
半年後に迎える結婚式に『ハミルトン姓で出るか?』と尋ねてみたが、『ぼくはもうニコライアン家の者ですから』と彼は応じた。クロエとしては何姓でも構わないが、やはり汚名は灌いでからの門出にはしたい。
「アイザック殿は裁判がお忙しくて帰宅が遅い、とかでしょうか」
「いや、普通だ。神官職も、判決をもって正式に配置が決まるとか。だから帰宅は私より早いが……どうした」
「いえ、その……差し出がましいようですが、最近、帰宅が遅いように思われますので」
「…………」
「帰宅を遅らせたいなにかがあるのか、と」
「…………」
「アイザック殿がらみですか?」
ぎくりとしたのは確かだ。
無表情ではあるが、無言にはなった。
(……相談、すべきなのだろうか)
アイザックの顔が直視できない、と。
毎晩、寝る前のハグとキスが死ぬほど恥ずかしいのだ、と。
帰宅するとなんとなく彼を意識してしまって、歩き方までぎこちなくなり、右手と右足が一緒に出てアイザックにおそるおそる指摘される始末なのだ、と。
「なにか悩み事があるのでしたら、不肖ながら自分が」
「では副隊長に尋ねるが」
「はい」
「細君を意識しすぎて緊張することはないか?」
「……緊張?」
「例えば、夕飯を食べているときに、なんか視線を感じるなと顔を上げると、アイクと目が合うのだ。にっこり笑って『おいしいですか?』と聞かれたら、なんと答えればいいのだ!」
「……美味しい、とお答えになればどうでしょう」
「以前ならそう答えていたのだ! それがもうなんか!!! あの笑顔を見たらドギマギして!」
「はあ……」
「ソファに並んで座り、無心にデザートを食べていたら、『ぼくのも食べますか? はい、どうぞ』って、あーんってされたらどうしたらいいのだ!!!!」
「……食したらいかがでしょうか」
「できるのか、副隊長は⁉」
「いや、話をこっちにふらんでください」
「シャリーを探して猫じゃらしをぶらぶらしながら家の中を歩いているだけで、『かわいい』と言われ……! いかがすればいいのか!!!!!!」
「幸せそうで安心しました。では」
「待て、副隊長! 私の質問に答えよ!」
「では午後の会議に備えて資料作りがございますので」
「副隊長――――!!!!」




