33話 露見する悪だくみ
「私が?」
事情がわからずに狼狽えるクロエと、それよりもっとなにがなにやらなアイザックは、なかば店員に引きずられるようにして店内に連れていかれた。
「あの……同志ってなんです?」
「職業婦人同士だからな」
こっそり尋ねてきたアイザックに、クロエは胸を張った。以前、買い物をしたときに、そんな会話を店員としたのだ。
なるほど、と納得したアイザックだが、店内に入り、カフェスペースの一角で目を止めた。クロエもその視線を追って声を漏らす。
「………あ、君は……」
椅子に、ちんまりと座っているのは先だっての婚約式で見た顔。
「確か……ルビーの侍女じゃなかった?」
アイザックが尋ねると、ノラは急に冷水でも浴びせられたかのように身体をふるわせた。
そしてボロボロと涙を流して嗚咽を漏らす。
「この子、数時間前からずっとこのあたりを行ったり来たりしてたんです。なんか思い詰めた顔もしていたので、気になって。……その、ほら。この先に運河があるでしょう?」
はっきりと店員は言わなかったが、入水自殺でもするのかと危ぶんだのだろう。
「それで声をかけて店内にいれたら……。その……。あの、同志、その殿方は同志の婚約者さんですか?」
「ああ、そうだが」
「アイザック・ニコライアンです。よろしくお願いいたします」
ふわりと笑って頭を下げるアイザックを見て、店員はいたたまれない顔をした。
「……あなた、これは無理よ。こんな人、どうにもならないって」
そう言われたノラはさらに声を上げて泣くからいったいなにがどうなったのだ、とクロエとアイザックは困惑した。
「この子、ノラって言うらしいんですが、雇用主からアイザック様を誘惑するように命じられたみたいで」
店員が気の毒そうに言うが、クロエもアイザックも意味がわからない。
「は? え、どういう……」
「誘惑って……。え、誰を? ぼく?」
アイザックが自分を指さして目を丸くしている。
「ルビー嬢が命じた、ということか? アイクを誘惑して来い、と。ということは……醜聞狙いか」
クロエはようやく気づいた。
婚約式でのことを根に持っているのだ。
腹を立て、意趣返しを計画したのだろう。それが、侍女を使ってアイザックを誘惑することだったに違いない。
「お嬢様は、裁判が始まる前にアイザック様の醜聞を流してこい、と。……アイザック様のお相手は公爵様。王太子殿下とはいとこにあたられます。そんな尊い方と婚約を結びながら、私のような者に手を出したりしたら……しゃ、社交界の居場所は完全になくなるだろう、と。あの」
泣きじゃくりながら、ノラは椅子からずり落ちるようにして床に平伏した。
「あの、私……両親にお金を送らなくちゃいけなくて。断れなくって。お嬢様が『首になりたくないでしょう』って。でも、婚約式で優しくしてくださったクロエ様が困るようなことをしたくなくって……」
最後は嗚咽交じりで正直、何を言っているのかわからない。床に突っ伏し、背中を丸くしたノラを、三人はただ黙って見つめた。
「とりあえず、今日は一緒に私の家に帰ろう。もうルビー嬢のところに戻る必要はない」
腹から吹き上がる怒りを必死に抑えながら、クロエはノラの側に座った。激しく泣く彼女の背中を撫でてやる。
「そうだ。うちでメイドを探している。オースティン伯爵家をやめて、うちに来るといい」
「いえ、同志。それはいけません。一度でも家に入れてしまえば、彼女がいくら真実を語ろうが捏造されてしまいます。『メイドとして雇ったのは口封じのためだ』と」
店員がきっぱりと言った。彼女の顔にも隠し切れない怒りがある。
「彼女がこのままオースティン伯爵家に戻らなかった場合、ルビーが『彼女はシェードウィン公爵家に行ったまま戻らなくなった。あの家でなにかあったに違いない』と騒ぐ可能性もあります。家に迎え入れたという事実は、ないほうがいいでしょう」
アイザックも店員に同調した。彼の目にも明白な怒りの色が浮かんでいた。
「しばらくは私の家にどう? 私は一人暮らしだし、王都民よ。貴族じゃないから、ルビーお嬢様とやらも探せないでしょう。身を隠すにはいいと思うわ」
店員がノラにそう話しかけたが、ぶんぶんと首を横に振った。
「両親が……」
「身を隠せる家を用意しよう。準備でき次第、そこに移動するといい。それまでは同志、彼女をかくまってやってくれるだろうか」
「もちろんです、同志」
力強く頷く店員を見てほっとする。だがノラは涙で顔を濡らしたままひたすら首を横に振る。
「そんな迷惑はかけられません……。あの、私、やっぱりいまからお嬢様のところに行って、こんなことはおかしいって……」
「それよりも、ぼくが起こす裁判の証人になってくれないかな」
ノラを挟んでクロエと向かい合うようにして座ったアイザックが、そう提案した。
「……裁判」
ノラはつぶやく。アイザックは笑みをたたえたままうなずいた。
「名誉棄損ということであのふたりと医師を訴えようとしているんだけど、弁護士曰く、『医師はいけるが、あのおふたりは難しい』って言っててね。ほら、医師に騙されただけだって言い張れば……ねぇ?」
「あー……。なるほどな」
クロエがうなる。
たまたま医師とアイザック母の不貞を知っただけだ。そして医師の話は信ぴょう性があり、自分たちは信じた。
悪いのは医師だけ。
そう言い張る姿が目に浮かぶようだ。
「嘘の情報を流したり、そのことによって誰かを貶めようとする行為は、立派な信用毀損罪だ。君の証言があればあのふたりを信用毀損罪で訴えることができる。もちろん、君の身はしっかり護るよ」
アイザックの言葉を真剣に聞いていたノラはしばらく黙考したあと、ぐいと拳で涙を拭って深く首を縦にふった。
「やります、証言します」
「ありがとう。よかった」
ほっとしたようにアイザックが微笑む。クロエは店員に顔を向けた。
「同志、彼女の住まいを整える間、しばらく……」
「もちろんです。かくまいますよ!」
「よろしくお願いします」
ノラは店員にしっかりと頭を下げた後、クロエを見た。
「裁判のあとのことなんですが」
「ああ、そのあとはどこかの貴族屋敷で働けるように手配を……」
「いえ、もしよければ朱紅隊に入りたいんです」
「え、うち?」
目を丸くするクロエに、ノラはまっすぐ視線を向けた。
「噂では、来年度は王都民にまで枠を広げるとか。格闘技とかは……したことないんですけど、近所に外国人が住んでいたので、小さなころから外国語はできます。あと、ロバには乗れます。幼いころは父の大工道具を運んだりしたので」
クロエはちらりとアイザックに視線を向けた。
特別なにか意図があったわけじゃない。
ただ、自分以外の誰かの意見が欲しかったのは確かだ。
「裁判はいまから起こしても判決が出るのに半年はかかると思います。ちょうど、来年度始まりに間に合いますよ」
アイザックは口端を上げて笑みをにじませた。
「彼女の新しい門出に間に合うように、ぼくも頑張ります」
「あの、クロエ様。私、あの……」
ノラが床に両手をつき、クロエのほうに身を乗り出した。
「私、もう誰かの一言で仕事を失うんじゃなくて、自分で選んだ仕事をしてみたいんです。辞めるも続けるも、自分で決めてみたいんです」
ノラの言葉に、クロエは目をまたたかせた。
ああ、そうだ、と思う。
雇い主の機嫌で雇用が継続されるのではない。
やるもやらぬも、本来は自分が決めることなのだ。
(やりたい、というなら後押しをするべきなのではないのか?)
そうでないなら、なんのために設備を整えたのだ。
自分が理想の子女を探すのではない。
誰かの理想となるべき職場を作るのが自分なのだ。
「よし、では今日から君も同志だ」
クロエはノラに手を差し出した。
「ともに、新しい未来へと一歩進んでみよう」




