32話 同志の店
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婚約式から数日後。
クロエは頭を抱えて執務机に座っていた。
「いいことではないですか。隊長が望んでおられる女性隊員の希望が3名もあったんですから」
顔を上げると、彼は起立の姿勢で書類を見ている。
さっきクロエが見た「応募書類」だ。
「そう……そうだな」
自分に言い聞かせる。
新規隊員希望、3名。
いずれも女性が応募してきたのだ。
たぶん、女性専用トイレや更衣室の見通しがたったこともあるのか。
それとも王妃に歎願し、議会で発言してくれたことにより意外なルートへの宣伝効果となったのか。
あるいはその両方か。
(めでたいことではあるが……)
これが少年少女とよばれる年齢層であればクロエは諸手を上げて喜んだだろう。
青年層でも喜んだ。
だが、ふたりは30代後半。ひとりは40代だ。
応募理由はいずれも「経済的に自立したいため」。
詳しくはふれなかったが、どうやら離婚のために嫁ぎ先から出され、実家も頼れないようだ。
来年度からは「王都民も可」と募集対象を広げようと思っているが、現在の朱紅隊の応募資格は「貴族であること」。
警備対象が外国の王族も含まれるため、外国語はもとより、行儀作法や、警護対象の身分がある程度理解できることが最低条件になる。
(……危険手当を含めれば、うちはそこそこ給料がいいからな)
王城内にもさまざまな職種があり、王都内でも貴族たちは常に使用人を募集している。
ちょっと探せばいろいろと申し込み可能な仕事というのはあるだろう。
手に職があれば。
(たぶん、彼女たちにはなにもないのだろう)
別段不思議ではない。
貴族の娘として生まれ、貴族の娘として育てられたのであれば、必須なのは文字の読み書き、楽器演奏とちょっとした手芸。あとは趣味程度の芸術ごとだ。
それを活かして仕事とする、となると真っ先に思いつくのは「家庭教師」。
だが、「離婚」というプライベートなことをあまり表ざたにせず、それなりの給料を稼ごうとおもえば家庭教師職では物足りない。
ちらりと探りをいれただけだが、いずれの三人も子どもを引き取っての離婚だ。さすがに乳幼児はおらず、いずれも学生身分のようだから、その学費と生活費をどうしてもねん出したいのだろう。
「アデル子爵令嬢やそのご友人たちを見ても思いましたが、朱紅隊の評判は最近上がっているようで。そのこともあるのではないでしょうか。『お母さんが朱紅隊』。子どもも誇らしいでしょうな。それに」
ぱらぱらと書類をめくりながら、副隊長は淡々と言う。
「平時の戦闘職種であれば、うちは定時であがれますし。時間通りに仕事が始まり、終わる。やはり子育て中の母親であればこれは嬉しいでしょう。まあ……」
副隊長は息を吐いた。
「ですが、格闘経験がまるでないというのが問題ですな」
「事務職を募集しているわけではないのだ!!!!」
そのことは面接時にしっかりと伝えている。『事務職ではないことは理解しているのか』と。
「いまから格闘技を覚える、と。死ぬ気で頑張るからと言っていたな……」
クロエは深くため息をついた。
「そこまで切羽詰まっておられるのであれば、そうそう辞めないのでは?」
「…………そうだろうな」
クロエはうめいた。
幸か不幸か、いずれも外国語は堪能だ。礼儀作法も問題ない。
ただ、戦闘職種なのに、格闘技ができないのが大問題なのだが。
「……いざとなれば自分が盾になれ、とは教えたくない。死ぬ気で格闘技を学んでもらうか。どうだろう……銃火器を担当させてみるか?」
「そうですね、考えてみましょう。あと、来年からは王都民に限って募集をかけるのでしょう? きっとそれなりの若年層が応募してくるでしょう」
「……王都民に広げたとして、来るだろうか。設備が整ったのに、人が来ないなんて最悪だ……」
「歓楽街でも大人気とか」
「それはそれで問題なのだ! なんだ、あの横断幕は!」
昨日、夜間警備に行ったら、歓楽街の中央広場に『いつもありがとう! 朱紅隊!』と横断幕が張られており、娼婦と男娼の代表から花束の贈与までされた。
「朱紅隊が夜間警護を始めてから、格段に安全になったそうですよ。幽騎士も出なくなったとか」
「それは……!」
アイザックとシャリーがやっているのだ、とはさすがに言えずに言葉を飲み込む。
結局アイザックは毎日神殿に出仕しているが、ほとんど仕事らしい仕事がないらしい。
元の同僚からは「早く戻ってきてくれ!」と泣きつかれているようだが、辞令がおりないとアイザックとしてはどうしようもない。
同僚の泣き言より堪えたのは「やることがない」ことだったらしい。
そこで自ら志願し、『悩める人々の救済』のため、昼間は歓楽街に行って娼婦や男娼、酔客を扱う店員の悩み相談などをしているそうだ。
表向きは。
その裏では、出没する幽騎士退治をひとりと一匹で行っている。
(昼間はアイクが。夜は朱紅隊がいるんだから、当然治安はよくなるだろう)
以前は、酔っぱらいが店員にからんでも誰も止めず、「カネ払ってんだ!」と強気な態度でいたようだが、朱紅隊はそこにも介入する。
もちろん悪質な店があると客から報告があれば、どうなっているのか、と店主に問いただすこともする。
アイザックは働き手の心のケアしかできないが、朱紅隊は武器を持って実力行使ができる。
だからある程度安定してきているのは確かだ。
「と、とにかく! うちがあんまりやりすぎると、王都警備隊や神殿騎士たちが『今後も朱紅隊に』とか言い出してしまう!」
「まあ……夜間警備となると、女性隊員は嫌がるでしょうしねぇ」
そうなると限られた隊員での仕事になってしまう。
先細りは明白で、無理がたたるとどこかにほころびがでてくるだろう。クロエはそれがおそろしい。
「すみません、隊長」
ドアノックが鳴り、扉の前で警備していた隊員が顔をのぞかせた。
「婚約者殿がいらっしゃっていますが」
「アイクが?」
椅子から立ち上がると、アイザックが顔をのぞかせた。
「これは副隊長。先日はお忙しいなか、婚約式にご出席いただき、ありがとうございました」
「とんでもありません。ありがとうございました」
そんな定型的な挨拶をかわしたあと、アイザックはクロエに顔を向けた。
「今日はもう直帰しようと思って。もしクロエ様もお仕事終わりなら、一緒に帰りませんか?」
いつもなら歓楽街での救済活動ののち、神殿に寄って帰宅するのだろうが、今日はそのまま帰宅するらしい。
クロエはちらりと柱時計を見た。
時間的には業務終了だ。
だが、さきほどの女性隊員に合格通知を出したり、五日後からの訓練内容について副隊長やほかの隊員と打ち合わせもしたい。
「合格通知ならば自分がある程度用意しておきます。隊長は明日の朝、それにサインをしてください。なので、今日はもう帰宅されてはどうですか?」
「いや、だが……」
「婚約式のことがあって、このところ残業続きでした。今日ぐらいは婚約者殿が迎えにこられているのですから、おかえりください」
副隊長に言われて、「あ、それで来たのか」とクロエは目を丸くした。
なんとなく駐屯地に来たわけではなく、アイザックはアイザックで心配してくれていたらしい。
(……そういえば、婚約式のあと、バタバタしていて残業続きだったからな。昨日は夜間警備だったし)
ちらりとアイザックに視線を向けると、にっこりと微笑まれた。
「今日ぐらい、一緒に帰りましょう。このところ、朝しか顔をあわせていませんし」
思い返せば、「寝る前のハグ」も数回で終わってしまっていた。
「そう……だな。副隊長、すまないが頼む」
「なんてことはありません。お疲れさまでした」
深々と頭を下げてくれるので、クロエはかばんに荷物を放り込み、アイザックと共に執務室を出た。
「お疲れ様です」
警備兵が敬礼をするので、「うむ」と答礼をして建屋を出た。
そのままたわいない話をしながら、家までの道を二人で歩く。
「そういえば、結界の方はどうだ。金虎神殿の方にはあまり滞在できないようだが……問題ないのか?」
尋ねると、アイザックは苦笑する。
「神殿にいるはずの神獣を連れて街を練り歩いているようなものですから。結界は万全です。ようやく従来通りになったと、ほかの神獣たちからもほっとされました」
「ほかの神獣とも話せるのか⁉」
「え? ええ、まあ。話せる相手が少ないから、結構遊びに来たりします」
神獣界隈はどうなっているのだ、とクロエは困惑する。
そんなクロエを一瞥し、アイザックはつづけた。
「歓楽街に行くと毎日しゃべりに来る、アルマって娘さんがいるんです。ご存じ、ですよね」
「知っている。もうあのクソ男とは別れていたか?」
「付きまといは続いているみたいですよ」
「うむ。今度の警備の時に確認してみ……。こうやって仕事が増える……」
「ですが感謝している人はたくさんいます。みな、神殿の神獣よりクロエ様に祈っています」
「やめてほしい……」
うなだれたクロエを見てアイザックはくすりと笑ったが、不意に腰をかがめて顔を覗き込んできた。
「なんだ?」
「手をつなぎませんか?」
「手を?」
「ええ。せっかくなので」
なにが「せっかく」なのかわからないが、とりあえず、クロエはアイザックの手をぎゅっと握った。
そのまま、歩き続けたのだが。
アイザックが噴き出すように笑い始めた。
「なんだ」
「幼児じゃないんですから、手をそんなにぶんぶんと振らなくてもいいと思いますよ?」
「おお、そうか」
行進なみに両手を振っていたのだが、違うらしい。
どうりで通り過ぎる人がみな、なんかぎょっとしているはずだ。
する、と。
アイザックが一度手をゆるめ、すぐに指をからませて握る。
指だけじゃなくて手のひらもぴたりと合うから、じんわりと彼のぬくもりが伝わってきた。
「たまにはこうやって歩くのもいいですね」
「そうだな。婚約者だしな」
思えばなにも婚約者らしいことをしていない。
洗濯をしてくれるヨハンナ刀自は、「婚約なさったのですから、もう少し色っぽい下着を購入されてはどうですか」と言っていた。
色っぽい下着と婚約がどうかかわるのか。
そんなことを含めて、クロエにとっては「婚約者らしいこと」とはなんなのかいまいちよくわからない。
ふと、アデル子爵令嬢を思い出した。
彼女も最近婚約した人物だ。
初めて会ったのはミハエルと破局した直後だったから、さめざめと泣き、見るたびに細くなる彼女を心配したものだが、いまは溌溂としてとても幸せそうだ。
(そういえば、アイクも幸せそうだな)
ふと隣を見る。
彼はご機嫌で歩いている。
……ように見える。
(私もかような顔をしているのだろうか?)
あまり感じないが、自分も幸せなのだろうか。
そもそも、世間の婚約者は一体なにをしているのか。
今度副隊長に聞いてみようと思っていたら、「あ」とアイザックが声を上げた。
「どうした」
「あのお菓子屋さん。以前、クロエ様が買ってきてくださったお店ですね」
「そうだ。定時上がりのときにはまだ開いてるんだったな。寄っていくか?」
「ええ、ぜひ」
アイザックが笑顔で頷く。
ふむ、なるほど。こういうのが大事なのかもしれないとクロエは思った。
それにこれなら自分も楽しい。
少なくとも、乳幼児のように手をつないで歩くよりは。
(久しぶりにあの店員に会いたいしな)
婚約者であるアイザックを報告しよう。そして、職業婦人として互いに情報交換をしよう。
店に向かってふたりで進んでいたら、勢いよく扉が開いて、ドアベルがガランと鳴る。
そして血相を変えた店員が飛び出してきた。
あの、ふくよかな白いエプロンをつけた店員だ。
おもわず立ち止まったクロエを見て、店員が手を挙げた。
「同志!」
「どうした同志!」
「同志!?」
アイザックだけが素っ頓狂な声を上げる。
「よかったよかったよかった! 今日も、お帰りが遅かったらどうしようかと!
「まさか強盗か?」
ついそんなことを聞いたのだが、店員は首を横に振って半泣きの顔でクロエにすがりついた。
「お願いです! ちょっと店内に来て、話を聞いてやってください!」




