30話 招かれざる客
「……どちら様もお出しになっていないのですね?」
いつの間にか副隊長もいて、静かに尋ねる。
「私は……出していない」
「ぼくもです」
「隊長、一応警備のために隊員を3名、屋敷の外に待機させています。呼びましょうか?」
「いや、そこまでは……。わかった。私が行って断って来る」
「クロエ様、ぼくが行きます」
いまにも駆けだしそうな彼をとどめ、クロエは言う。
「私の方が冷静に対応できるだろう。それにいま、親族同士で話し合いがなされているしな」
クロエはできるだけ冗談めかして、議論が紛糾している燕尾服の集団を親指でさした。
「ここにいてくれ」
そう言ってクロエは執事とともに広間を出た。
玄関ホールに向かうまでの道々、招待客がクロエを見て笑顔で言祝いでくれる。クロエも律儀に返し、お祝いをいただいては礼をしながらも腹の中ではだんだん怒りが煮えくりかえる。
(どの面下げて……!)
アイザックの母を侮辱し、そのうえ一族から除名したやつら。
確たる証拠はないが、アイザックに半死半生の傷を負わせたのは絶対あいつらだ。
それなのによくもまあ、いけしゃあしゃあと顔を出せるものだ。招待状すらないというのに!
「お嬢様」
「なんだ」
「お気持ちはわかりますが、乱暴ごとは……」
「こちらの悪手になるようなことはせん」
「さすが賢明なるお嬢様です」
「だがもし堪忍袋の緒が切れたら、外にいる朱紅隊の隊員を呼んで私を止めてくれ」
「承知いたしました」
玄関ホールに到着すると、執事たちの一団が見えた。
なんだ、といぶかしむと、その執事たちに取り囲まれるようにして三人の男女がいる。
ほかの招待客はさりげなく玄関ホールから出されたのだろう。ということは、かなり騒いだと見える。だから執事たちが包囲しているのだ。
(あの女がルビー嬢で。男がサミュエルだな。もうひとりは侍女か)
金髪巻き毛の人形のような女がルビーだ。
サミュエルというアイザックの弟は初めて顔を見たが、あまり似ていない。男前であることは確かだが、なんとも男臭いというか……。あれが男の色気といわれればそうなのだろうが、クロエは少し苦手な部類であり、アイザックにはないものがある。なるほど、父が違うと言われればそんな気にもなった。
もうひとりの侍女らしき娘は、見ているだけでひたすら気の毒になる。
自分の主が非常識であることはわかっているのだろう。ルビーがなにか言うたびに、執事たちにぺこぺこ頭を下げていた。
クロエが近づくと、執事たちはようやくほっとしたように輪を解き、自分に対してうやうやしく頭を下げる。
そうしてようやく三人はクロエに気づいたようだ。
無言でねめつけてくるから「無礼者」と言いそうになって堪える。
「初めまして。シェードウィン公爵のクロエです」
そう言うと、ルビーとサミュエルはぽかんと口を開けてクロエを凝視した。
侍女だけが二つ折りになるんじゃないかというぐらい頭を下げる。
「招待状を忘れたとおうかがいしましたが」
「そうなんです! えっと、いやちょっと違って! あの」
ルビーが手をパタパタさせながら、「えっとお」とか言う。
クロエと年は変わらないように見えるが、ちゃんとした言葉遣いを躾けられなかったらしい。オースティン伯爵家は一体全体どうしたのだろう、とクロエは思った。
「うっわ! びっくりした! 軍隊にいる女だって聞いたから、もっとこう……ごつい女を想像してたよ!」
サミュエルが大笑いする。
こっちはこっちでアイザックと真逆だ。なるほど、「あの家の躾はどうなっているのだろう」ではなく、「この子の躾はどうなったのだ」なのだな、とクロエは学んだ。
「こんなに凛々しいお方だなんて! あのぜひ、私のお茶会に来てくださいませんか⁉ 公爵様なら問題ありません! 大歓迎ですわ!」
なんでお前のお茶会に行かねばならんのだ、だいたい、問題ないとはなんだ。こっちが大問題だ。
「へえ! なあんだ、兄上も面食いだったわけだ!」
こっちはこっちで底が知れるから喋らなければいいのに、とクロエはうんざりした。
「アイザックにも確認しましたが、私も彼もあなたがたに招待状を出していない。お引き取りを」
クロエがぴしゃりと言うと、ふたりはまたもや、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で黙り込む。
「おかえりである」
クロエが執事たちに言うと、彼らはうやうやしく頭を下げて、ルビーとサミュエルを退席させようとした。
だがさっきまで機能停止していたのに、ばね細工のようにふたりは急に動き出した。
「お待ちください! せっかくお祝いに来たんですよ⁉ 招待状だって、きっとアイザックが出そうと思っていたけど忘れていただけなんです! アイザックに会わせてください!」
「こっちは祝いを述べに来たっていうのに! 兄に会わせもしないで門前払いですか⁉ おれら、親族になるんっすよね⁉」
頭が痛い、もういっそ斬り捨ててもいいんじゃなかろうか、と思い始めたクロエだったが。
「誰が親族だって? ぼくは数か月前にハミルトン家を除名されたんだよな」
アイザックだ。
振り返ると、珍しく凍てた視線をルビーとサミュエルに向けていた。
「え⁉ アイザック……、顔……!」
「兄上、顔に大けがを負ったんじゃないのか⁉ なんか、ひどいけが!」
ルビーとサミュエルは目をまんまるにしてアイザックを見る。
その視線をはじき返してアイザックは答えた。
「治ったんだよ、クロエ様のおかげで」
それでもふたりはまじまじとアイザックの顔を凝視した。まだどこかに傷があるんじゃないか、化粧か何かで隠しているんじゃないか、と。
「というか、なんでここにいるんだ」
「なんでって……おれたち、半分は血がつながっているじゃないか。兄の婚約を祝いたくて」
サミュエルは笑いながら近づいてくる兄に両腕を広げた。ハグをしたいらしい。どういう神経しているだ、とクロエは目を剥いた。
「お前と血がつながっていることがいまほどいやなことはないよ」
アイザックはサミュエルのハグを無視し、クロエの隣に立った。
「アイク、来なくてよかったのだぞ?」
「ぼくにかかわることですから」
アイザックは硬い表情で首を横に振った。
「来てくれてちょうどよかったわ。ねぇ、アイザック。私たちに招待状を出すのを忘れたんですよね? お忙しかったでしょうし、仕方ないことだわ。だからその旨を公爵様にご説明してくださる? いま、ここで」
ルビーがにっこり笑って言う。こっちはこっちですごい神経だ、とやっぱりクロエは目を剥いた。
「なんで君たちを招待しようと思うんだ。君はぼくを捨てて弟を選び、弟はぼくを家から切り捨てた。もう縁は切れているだろう」
アイザックの言葉はまさに正論だ。
それなのに、ルビーもサミュエルも被害者みたいな顔をして「信じられない!」「まったくだ!」と悲鳴を上げた。
「あなたのお母さまのせいで、わたしはひどい目にあったのよ⁉ 婚約破棄をするなんて一生にあるかないかの経験までさせられて! それなのにわたしはそれを流してお祝いに来たのよ⁉」
「そうだよ。ちょっと王族の女と婚約したからって。やけに態度がでかくなったじゃないか。さては自分だけでなにかを独占しようとしてんじゃないだろうな」
いったいになにがどうなってアイザックはこんな女と結婚しようとし、こんな弟を一時はかばおうとしたんだろう、とクロエは新たな謎を抱えた。
「母のことだけど、近いうちに潔白を証明するために裁判所に申し出るつもりだ」
アイザックの言葉に、ルビーとサミュエルは硬直した。
「根拠のないデマを流し、嘘の証人をしたてたことで、医師と、きみたちふたりを訴えるつもりだから」
「なんてひどいことを言うの! あなたのお母さまが不貞を働いたのであって、わたしたちはなにも悪くないじゃない!」
金切り声を上げるルビーを、アイザックは冷淡に見つめた。
「なにも悪くない? ほんとうに? 言いたくないけど、ぼくが襲われたとき、君たちはどこでなにをしていたの?」
途端にルビーは黙り込む。代わりに大声を張ったのはサミュエルだ。
「お、おれたちにはアリバイがあるからな! おれたちじゃない!」
「へー。アリバイとか言うやつらが一番あやしいんだけど」
陽気な声にクロエは振り返る。
ミハエルだ。
アデル子爵令嬢や、そのお友達を従えて近づいてきた。
「本日の主役が消えちゃうからさ。なにかとおもったら……どうしたの、これ。どういう状況?」
興味津々なミハエルに、なんでもないから黙っていろと言おうと思ったら、ルビーとサミュエルがクロエを押しのけるようにして前に出て来た。
「王太子殿下! このたび、親族になりますルビー・オースティンです! あの、父が伯爵なんです!」
「アイザックの弟のサミュエルです! なにとぞ仲良くしてください!」
もう頭を抱えたくなった。
アイザックも思考停止一歩手前だ。
「お、お嬢様。あの、もう帰りましょう」
そんな中、果敢に声をあげた人物がいた。
侍女だ。
ルビーの前に立ちふさがり、また二つ折りになって頭を下げている。
「招待状もございません、もうあの……」
「うるさいわね! あなたが忘れて来たんでしょう! 王太子殿下の前で無礼よ!」
ルビーがドンっと侍女を突き飛ばす。
侍女はあっけなく床に転がり、頭をぶつけた。
「大丈夫ですか⁉」
クロエが助け起こすと、打った額を抑えながら、侍女はまた平身低頭謝ろうとするから制する。
「額を打ったな。誰か、手当を」
侍女の手をそっとどけて額を見ると、こぶになっている。執事が意を汲んで濡れタオルを取りに走ってくれる。アデルも近づき、おろおろと手で風を扇いでくれた。
「おおげさな! さっさ立ちなさい! わたしが悪いみたいじゃない!」
「申し訳ありません」
ルビーが怒鳴り、侍女がクロエやアデルに目礼して立ち上がった。
「あの……あんまりですわ! 彼女はなにもわるくありませんでしょう⁉」
アデルが義憤にかられたようすでルビーに抗議する。
ルビーは鼻で笑った。
「あら、誰かと思えば遊んで捨てられたと噂の子爵令嬢じゃございませんの? よくもまあ、恥ずかしくもなくこんな場に顔を出せること」
お前が言うか⁉とクロエは驚いた。
「別に私は恥ずかしいことをしておりません。王太子殿下と恋をして、そして破局しただけです」
アデルが胸を張る。
(おお、あの泣いてばかりいた子爵令嬢が……!)
感慨深い、とクロエの目頭が熱くなる。
友人たちもアデルに「そうですわ!」「その経験を活かして、いまは婚約者様とお幸せですし!」と声援を送った。
「それに、それがもとでこのように生涯の友を得ましたし、なによりクロエお姉さまと知り合うことができました。当時はとてもつらかったですが……。いまでは自分自身が成長したような気がします。その証に、こうやって、おかしなことはおかしい、と言えるまでになりました!」
「すごい! さすがわたしが惚れただけはあるよ!」
「あんたがいいますか」
ミハエルが拍手をするから、クロエはあきれ返った。
「いや、だってさ。やっぱり人間的な魅力があるから惚れたわけで。ほら、あっちの伯爵令嬢さんとはなんどかお会いしたけど……惚れなかったしね☆ はは!」
ミハエルが陽気に笑う。
「兄を蹴落として地位を奪った男にも興味はないしなぁ。なんか、わたしと会ってコネクションを作りたいみたいだけど。泥船に乗るのは嫌だよ」
ミハエルはサミュエルを見て肩をすくめた。
「ねえ、クロエ」
「なんでしょうか」
「そろそろ母上がいらっしゃる。こんな状況は困るんだよなぁ。ぼく、近衛隊連れてきてるんだけど。排除しようか? そこのふたり」
ミハエルが指さすと、さすがにルビーとサミュエルは危機的状況を察したらしい。
「……帰るわよ! なによ、せっかく祝いに来てやったっていうのに!」
「ひどい兄だ! そりゃ、どこぞで怒りを買って襲われても仕方ねぇよな!」
ふたりは吐き捨てて屋敷を出る。
その後ろを、額にこぶをつくった侍女だけが、クロエたちにぺこぺこと頭を下げて辞した。




