29話 親族の顔合わせ
「婚約会場はそのホールかい?」
ミハエルが、さっきまでアイザックのいた場所を指さすから、クロエは多少ほっとした。
「ええ。ホールと、中庭と」
「ああ、いいねぇ。この公爵邸といえば中庭がみごとだからな。ところで、ご母堂様は?」
「結局、アイクに言われて誘ったのだが、『その日はミサライブが入っている』と断られてな」
大爆笑をするミハエルのところに、控えめながら招待客が近づいてくる。たぶん、王太子である彼に挨拶をしたいのだろう。
クロエが視線をむけると、わかっているとばかりに片目をつむり、ミハエルはクロエから離れて声掛けに回る。
「会場に行きましょうか。ぼくのほうの親族を紹介させていただきたいのです」
アイザックが言う。
アデルはどうしているだろう、と目を向けると、ようやく立てるようになった友達たちと、キャッキャと話を始めている。
「うむ、向かおう」
クロエはアイザックと腕を組み、カツカツとヒールを鳴らして歩く。
「そのあと、なにか食べましょう」
「まったくだ。朝からなにも食べていない」
「ぼくもです」
「こういってはなんだが、いま一番食べたいのは、アイクが作るポトフだ」
言った瞬間、おなかがぐう、と鳴った。
クロエはしまったと眉根を寄せ、アイザックは目を丸くしたが、すぐに破顔した。
「なんだかとてもうれしいし、光栄です。今日は無理でしょうが、明日は作りますね」
「いいのか? 神殿の方は?」
暴漢に襲われたものの生きている旨を公表しているため、神殿側にも「そろそろ仕事を再開できそうだ」と伝えているはずだ。
(いままでは家事全般を任せていたが……。今後はそうはいかんしな。誰か人を雇わねば)
そうだ、その相談もせねばと思っていたら、一転アイザックの表情が曇る。
「どうした」
「いや、それがですね……」
アイザックが言いかけたとき、広間に通じる廊下の片隅に副隊長の姿を見つけた。
「副隊長。ここにいたのか」
「ご挨拶が遅れました。本日は誠におめでとうございます」
軍の礼服を着た副隊長が、花かごを差し出してくる。
ありがとうとクロエが受け取ると、どこからともなくメイドがやってきて、さりげなく下げてくれた。
「隊長のそういう格好をはじめて見ました」
「馬子にも衣装だろう」
「大変お似合いです」
「副隊長にお世辞を言わせてしまったな。ああ、そうだ。ちょうどよかった、いまからアイクの親族に挨拶に行くのだ」
「そうですか、では」
副隊長が一礼して下がろうとするから、慌ててその腕をとらえる。
「私の親族として来てくれ」
「血縁関係はありません。親族であるならば、王太子殿下では? お探ししましょうか?」
「あれはいかん。それに血はつながっていないが、副隊長は私の父親代わりのようなものではないか」
「………」
そう言ったら、ぶわっと目から涙を噴き出したのでクロエはぎょっとした。アイザックが慌ててハンカチを差し出し、副隊長は遠慮なく受け取る。
「過分なるお言葉を頂戴し、つい取り乱しました」
「うむ」
「自分でよければ、お供いたしましょう」
「よろしく頼む」
そうして、クロエはアイザックと腕を組み、副隊長を従えて歩き出したのだが。
すぐに燕尾服の集団に取り囲まれた。
気づけば広間まで来ていたようだ。
父がまだ健在で、家族で住んでいた時は、よくこの広間で舞踏会や母の音楽会が開催されていた。
見回すと、そのときとは比べ物にならないぐらいの少人数ではあるが、家族以外の人間が入っていることに感慨深さを覚えた。
ガラスを多用した窓からは透明度の高い日差しと、この邸宅の名物とまでいわれている中庭が一望できる。春や冬はいいが、夏の昼間は地獄の暑さだったことを思い出した。そのかわり、夏の夜は蛍が飛んだり、父が花火を打ち上げたりしていたような。
(……思えば、イベント好きな両親だった……)
その母はまだ健在。釘を刺しておかないと、自分の結婚や出産がイベント化するおそれがある。クロエは身を引き締めた。
「クロエ様、こちらが母方の祖父母になります」
アイザックに紹介され、クロエは我に返る。
「はじめまして。シェードウィン公爵のクロエです。末永くよろしくお願いいたします」
目の前にいるのは燕尾服をぱりっと着こなしたひげの紳士と、ちまっと小さな夫人。
母方ということは、ニコライアン伯爵と伯爵夫人か。
「こちらこそ、お初にお目にかかります」
祖父母はそろって丁寧に礼をしたあと、「いまはもう伯爵位は息子に譲っている」と律儀に教えてくれ、「これがその息子です」と燕尾服のひとりを紹介してくれた。
そのあと、順次ニコライアン伯爵家の親族を紹介してくれる。
なるほど、さっきアイザックを取り囲んでいたのは彼らだ。
「誠に申し訳ないのですが、私側の親族は都合により誰も来ることができず……」
「先ほど、王太子殿下にはお声がけいただきましたが?」
「あれは……まあ。その、結婚式には母が来ると思います。彼は、職場で私のことを娘のように目にかけてくれている副隊長です」
クロエが紹介し、副隊長が丁寧に名乗ってあいさつをする。ニコライアン伯爵一族も穏やかな態度で互いに自己紹介などをしていた。
「いやしかし……アイザック。お前が公爵を生涯の伴侶として迎えるとは」
あいさつがひと段落すると、祖父が鷹揚に笑う。誰もがうなずき、なかにはアイザックの肩をこづいて「奥手だと思ったのに」という紳士も現れ、笑いがはじけた。
「あの……公爵さま」
どこか必死さを含んだ声にクロエは目をまたたかせた。
アイザックの祖母だ。
「ぜひ聞いていただきたいことがあるのです」
「なんでしょうか」
「この子の母親で……私の娘ですが、その。巷で言われているような不貞など決してしておりません」
「やめないか、こんなめでたい席で」
祖父が声をとがらせるが、祖母はきつくにらみつけた。
「こういう場でしか言えないじゃありませんか! あの子は潔白だというのに、あちら様は悪しざまに罵って……! 孫を除名まで!」
「よしなさい!」
「アイザックが暴漢に襲われたというのに、あちら様は、『母の因果が子に』とまで! 私の娘は人さまに後ろ指をさされるようなことはなにもしておりません!」
震えた金切り声は予想外の大きさで広間に広がり、一瞬、しんと静まり返った。
「これは大変失礼を……」
「その、でも!」
まだ言いつのろうとする祖母を祖父が制したが、クロエは首を横に振った。
「私はアイクの母上というのはとても愛情深く、献身的な方であったのだろうと思っています。なぜなら、彼がそうですから」
祖母の目線に合わせて腰をかがめ、クロエははっきりと言った。
「ここにいる誰も、アイクの母君が悪いことをしたなどと信じておりません。ご安心ください」
祖母は目から涙をこぼし、ありがとうと繰り返す。その祖母を祖父は抱きしめ、爵位を継いだ息子も目を赤くして唇をかみしめている。
クロエが執事に目くばせをすると、祖父母に耳打ちして壁際の椅子まで誘導した。
「祖母がすみません」
アイザックが暗い声で言うので、クロエは目をまたたかせた。
「何を言う。実の娘の汚名をそそぎたいのは親ならば当然だ」
「ですが、なにもかような場で……」
アイザックからすれば叔父にあたる伯爵が肩を落とすが、副隊長がなにか言葉をかけると、うんうんと何度かうなずいた。
「近いうちに裁判所で、アイクの母君の身の潔白について争うつもりです」
クロエが言うと、ニコライアン伯爵が驚いた顔をした。アイザックが続ける。
「クロエ様と王太子殿下が動いてくださったのです。確たる証拠を示せそうです」
「そうか……。それはなんとお礼を言えばいいか……!」
ニコライアン伯爵が頭を下げると、ほかの燕尾服の親族たちもならうからクロエはうろたえる。
「いやそんな大層なことでは……。証拠集めをしてくれたのは副隊長ですし」
「いえ、自分はその……」
途端に副隊長を燕尾服の集団が取り囲み、「ありがとう」コールが起こる。
「あの、おふたりはやはりご結婚後も、いまのお住まいですか?」
ニコライアン伯爵が尋ねる。
「ええ、そうですが」
「失礼ですが、あれは官舎では? こちらの本邸にうつられる、とか」
「駐屯地に近いものですから」
「ああ、なるほど」
ニコライアン伯爵がつぶやき、燕尾服の一団もちょっと肩を落とす。
「えっと……叔父上。それがなにか?」
意図が分からずにアイザックが質問する。
「いや、もしよければニコライアン一族で、おふたりの新居を用意しようかとおもっていたのだ。ちょうど王都によいタウンハウスがあってな。それを買ってもいいか、と」
「そんな! 大丈夫です、大丈夫です!」
「ええ! 二人暮らしならあの広さで!」
アイザックがうろたえ、クロエも同意を示した。
「ですが、こう……。一族の恩人でもある公爵になにか形になるものを差し上げたいのです」
熱意のこもる視線を向けられ、クロエは「うーむ」とうなった後、「あ!」と声を上げた。
「では腕のいい料理人か働き者のメイドを紹介いただけませんか? いままでアイクが家事全般を担ってくれていたのですが、彼もそろそろ仕事復帰をするので」
「なるほど!」
「いや、あのクロエ様……!」
「アイク。私もメイドにお暇を告げられ、しばらく一人暮らしをしたが……家事を一人で担うのはしんどい。やはりメイドか料理人を」
「その、クロエ様。神官として復帰する話ですが」
「復帰するのだろう?」
「………しばらくは、閑職というか……。その、ぼくの配置部署が決まらなくて……ですね」
「決まらない?」
クロエだけではなく、ニコライアン側とも声がそろった。アイザックは居心地悪そうに身を縮める。
「もともと湖水地方に決まっていましたが、それがこのようなことになって。暴行犯は全員死亡して、王都警備隊は捜査を打ち切りましたが、まだ実況見分などもあるため……赴任は白紙。ぼくは元通り金虎神殿にて勤務となったのですが、そもそもぼくのいたところには、サミュエルがすでに働いていて……」
「……余剰になっている、ということか」
クロエがつぶやく。
その代わり、湖水地方がマイナス1なのだろうが。
「おいおい決めていく、ということで。あの、あんまり仕事も忙しくなさそうですから、家事もいままでどおり……」
「待て、アイザック! ではお前は無職なのか!?」
ニコライアン伯爵が蒼白になって詰め寄る。
「無職、というか……配置が決まるまでは……無給?」
アイザックが額をぽりぽりと掻く。はああああああ、とニコライアン伯爵がため息をつき、燕尾服の集団が色めきだった。
「ならばやはり、料理人とメイドぐらいは我が一族で派遣させねば!」
「神殿にも働きかけよう! すみやかになんらかの職を!」
「いやもう神官にこだわらずとも! 大学に戻らせてはどうだ⁉ 研究室に空きはないのか⁉」
わいわいと騒ぎ出した一族になんと声をかけようとおろおろしていたら、「お嬢様」と執事に耳打ちされた。
「どうした」
「ご相談したいことが」
クロエとアイザックは素早く目線を交わした。気づかれないように集団に背を向けると、執事が小声で言う。
「招待状を持たないお客様が来ております。忘れた、と」
「ん? 子爵令嬢のご友人だろうか」
ほかに誰か渡したかな、と小首をかしげるが、執事は口をへの字に曲げた。
「それが……ハミルトン伯爵と、オースティン伯爵令嬢だと名乗っておられて」
クロエは一瞬言葉を失った。
ちらりとアイザックを見るが、彼の顔も真っ白だ。




